人材バンクネット [著] 2008/02/08 00:00
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10カ月の世界放浪を終えた後、正社員としてタツノコに復帰した石川氏。制作進行からの再スタートだったが、三カ月後には複数の制作進行をまとめ、シリーズ全体の予算とスケジュールを管理する制作デスクに昇進。その後も熱心な仕事への取り組みが評価され、順調にステップアップ、3年後、27歳のときにはプロデューサーに昇進した。しかし石川氏はまたしても辞表を出した。今回はアニメ業界そのものから去るつもりだった。

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魂の仕事人 第25回 其の二
悔しさから独立、フリーに 結果を出して、社長に就任 世界のI.Gが産声を上げた
 
10カ月の世界放浪を終えた後、正社員としてタツノコに復帰した石川氏。制作進行からの再スタートだったが、三カ月後には複数の制作進行をまとめ、シリーズ全体の予算とスケジュールを管理する制作デスクに昇進。その後も熱心な仕事への取り組みが評価され、順調にステップアップ、3年後、27歳のときにはプロデューサーに昇進した。しかし石川氏はまたしても辞表を出した。今回はアニメ業界そのものから去るつもりだった。  
株式会社プロダクション I.G代表取締役社長 石川光久
 

タツノコから独立
フリーのプロデューサーに

 

 そのころのタツノコはリストラをして優秀な社員がどんどん離れていったから、すごく保守的な会社に映っていました。当時僕はプロデューサーだったので社内では優遇されていたのですが、末端のアニメーターや制作進行の人間 にとっては決していい環境とはいえなかった。

 そういう状況を見て、タツノコは守りに入ってもはや戦う集団ではなくなってきていると感じていました。だから決して仕事そのものが嫌になったわけではなくて、このままだったらぬるま湯に慣れて、自分自身も勝負しなくなっちゃう。そういう危機感を感じていたんですね。

 それはタツノコに限ったことではなく、だいたい他の会社も似たり寄ったりだから、アニメ業界そのものに嫌気が差してきていたんです。だから辞表を出しました。

 だけど、実は、当の僕本人もリストラの対象に入っていたようなんです。僕はへそ曲がりだから、逆に辞めろといわれたら頑張ろうというファイトが沸いてきた。自分でもよくわからないんだけど、悔しさがあった。それまで会社から与えられた仕事に関しては全部結果を出してきたという自負はありましたが、会社全体で見れば業績が悪いって言われてしまう。だったら、タツノコから離れて、膿や垢を取って、僕だけの仕事で勝負して結果を出そうと思った。だからフリーランスのプロデューサーとして独立して人を集めていい作品を作って、タツノコを驚かそうと思ったわけです。

 リストラじゃなくてあのまま辞表がすんなり受理されていたら、今頃、アニメ業界にはいないでしょうね。その後のこと、次は何をやろうかなとかは全く考えてなかったです。そんなことは辞めてから考えればいいんですよ。

タツノコから離れて勝負したいと思った石川氏はこれまで一緒に仕事をしてきた優秀なアニメーターに声をかけてまわり、「石川組」を結成。当時考えられる限りの最強の集団となり、タツノコを見返すことができるアニメーション作品が作れると確信した。しかし会社は28歳の若造になかなかすべてを任せようとはしなかった。このとき、石川氏は初めて人前で涙を流した。

人前で初めて流した悔し涙
 

 タツノコから離れても結果を出せることを証明したくて、『赤い光弾 ジリオン』という全31回のテレビアニメシリーズの制作を、フリープロデューサーとして独自のチームでやりたいと思ったんです。

 やるなら最高のものを作りたいと思って、86年の大晦日から正月にかけての4日間で、これまで一緒に仕事をしてきた優秀なアニメーターやスタッフを口説いて回りました。そうしたらみんな快諾してくれて、最高といえるチームができたんです。

 どうやって説得したか? 「やってくれ」。それだけですよ。必ずやってくれると思ってました。これまで一緒に仕事をしていく中で、そういう信頼関係ができてたと思い込んでましたからね。

 だけど、みんなを説得する時点では、まだ『ジリオン』がやれる保証はありませんでした。だからこそ、タツノコを説得するために、当時最高といわれてるスタッフを集める必要があったんです。

 それで正月明けにタツノコに「『ジリオン』をやらせてください」って直談判したんですが、タツノコはなかなか首を縦に振らなかった。最高のスタッフを集めただけじゃなく、制作費も通常では1000万くらいかかるところを580万でやる、赤字が出た分は全部自分がかぶるとまで言ったのに。

 タツノコが大事なのは作品じゃなかった。タツノコは保守的になっていたから、もっとタツノコの自由になるようなプロデューサーやスタッフにやらせたい、だから石川にはやらせないと。

 デニーズでその話を聞いたんですが、もうボロボロ泣きましたね。大人ってほんとに醜いなって。人前で悔しくて泣いたのは後にも先にもこのときだけですよ。

 でもその後、タツノコの中の石川肯定派が上層部を説得してくれて、結局『ジリオン』の制作を請けられることになったんです。もちろん僕自身もどうしてもやりたいんだというメッセージはタツノコに送ってましたから熱意が伝わったというのもあるでしょうが、それよりも、周りの人間が押し上げてくれたんだと思います。いつもそうです。20年間ずーっと周りの人間に助けられているんですよ。

逆境でこそ燃える男
 

 『ジリオン』は1年間、全31回という長丁場だったんですが、すごく充実した1年間でしたね。この作品にすべてを懸けようと、とにかくがむしゃらでした。予算やスケジュールは厳しかったけれど、全然つらくはなかった。逆に楽しかったですね。世間があいつはもうダメだとか苦しいとかいうときこそ、楽しいですよ。自然にそう感じちゃう。苦しいと思ったらまともに勝負なんてできないんですよ。たぶん自分は楽しんでますね。そういうときこそ燃えるというかね。

 でも好き好んで苦労をするというわけではないですよ。越えられる目標を作ってそれに向かうのが好きなんじゃないですかね。いきなり高い目標を設定するのではなく、まずは小さい目標を立てて、それに全神経を集中して取り組んでいく。それを越えたら自然に次の目標が見えてきます。徐々にハードルは上がっていくんですが、少しずつ上げて行くので越えられます。それを繰り返していくうちに、自分のレベルも徐々に上がっていくんです。

最高のスタッフで作り上げた『ジリオン』は高視聴率を記録し、営業的にも黒字という結果を出した。しかし当初石川氏はこの一作で結果を出したら、チームを解散して、自らもアニメ業界を去るつもりだった。しかし、またしても周りが許さなかった。ここに「世界のI.G」の原型が誕生した。

プロダクションI.Gの前身を設立
 

 当初、『ジリオン』を作った後は、仕事を辞めようと思っていたんです。悔しさを含めて1年間だけはやり遂げよう、答えを出そうと思って一生懸命取り組んだ結果、視聴率と黒字という「答え」を出せた。だからもうこれで終わりにしようと思っていました。

 でも『ジリオン』のために集まった仲間が、このチームを会社にしよう、そして石川に社長になれと言ってくれたんです。その後も一緒に仕事をしたいというスタッフや、アニメーション作品の制作依頼がありましたし、人を集めるだけ集めといて1つだけ作って解散するのは、あまりにも無責任かなと思ったので、会社を立ち上げることにしたんです。

 会社は『ジリオン』の制作チームと、キャラクターデザインを担当した作画スタジオ「鐘夢(チャイム)」を合併させ、さらに「京都アニメーション」の協力を受けて設立しました。それが今の「プロダクション I.G」の原型の「アイジー・タツノコ」です。

 だからこのときは自分から社長になったわけじゃなく、周りがお膳立てしてくれたんです。今から考えると、『ジリオン』を作った1年間は会社として独立するまでのすごくいい準備期間になりましたね。

「アイジー・タツノコ」──アイジーのIは制作チームのトップ・石川氏のイニシャル、Gは作画スタジオのトップ、後藤隆幸氏のイニシャルを取って名づけた。「タツノコ」の名は、これまで育ててもらったタツノコへの配慮から社名に入れた

社長はすぐに辞めるつもりだった
 

 でも会社が軌道に乗ったら他の人に社長をやってもらおうと思ってたんです。会社は1987年の12月に立ち上げたんですが、最初の目標は第一期を黒字で乗り越えることでした。それで税理士に第一期はいつまでか聞いたところ8カ月っていうから、8カ月頑張ればいいのか、それならできるなって思ったんですよね。それで目標を8月にした記憶があるんです。

 その後は、もう1年頑張ろう、また次の1年頑張ろうって続けていくうちに今に至ったって感じなんですよね。常にそこ。会社を作ったからこれから大きくしていこうというんじゃなくて、まず第一期を乗り越えようという小さな目標を立てる。赤字にしないで一期を乗り越えて、次にバトンタッチする人がいれば渡そう。常にその繰り返しなんですね。

1987年、29歳のときアニメーション制作会社「アイジー・タツノコ」を設立して以来、一作一作に持てるヒト・モノ・カネそして情熱のすべてを投入した。その妥協なき制作姿勢がクオリティの高い作品を生み出し、それがまた次の制作依頼を呼ぶという好循環を生み出し、「アイジー・タツノコ」は順調に成長していった。

まずは多摩No.1から
 

 アニメーション制作の下請け会社として独立してからも、小さい目標からスタートしました。会社は多摩地区に設立したので、まずは多摩で一番になろうと。それが達成できたと思えば、次は東京一、日本一、アジア一、そして世界一になろうとだんだん目標のハードルを上げていったんです。それも無理に上げたんじゃなくて、自然と上がっていったんです。

 だから会社設立していきなり下請けから脱皮しようなどとは思わないんです。最初からそんな大きな目標を掲げてしまうと得てして実現できないと思います。

 下請けは元請けから仕事をいただいて、それで生活させていただいているわけです。だから元請けに対してまずは感謝の気持ち持つことが大事なんですよ。それなのに元請けに対して、仕事内容やギャラや納期に対して不平不満を言う人が多い。でもそれは違う。最初は「身の丈」で考えるべきなんだから、下請けにはそういう仕事しか来ないのは当たり前なんですよね。

 力がつけばいい仕事がくる。それまではいただいた仕事に 精一杯全力投球する。そうするべきだと思うんですよ。

「今」を全力で頑張る
 

 だから会社を立ち上げたころは、とにかく仕事をくれる元請けから気に入られることしか考えてなかったです。元請けが喜ぶことは、なるべく安いコストで、納期を守って、クオリティの高い作品を作る。これに尽きます。

 それを積み重ねていくうちに自然と元請けからの評価も上がり、ギャラも上がっていきます。逆に下請けを大事にせず、自分たちだけいい思いをしようとする元請けとはこちらから縁を切りました。そんな会社とは付き合う必要がないですから。

 つまり、そのときの「身の丈」で一生懸命仕事をして、次の仕事に取り掛かる。またそこで身の丈で頑張って、次に行く。とにかくそのときそのとき、「今」を全力で頑張るってことが大事なんです。

 経営も常に1年ずつ考えます。会社を作って20年間、売り上げも利益も毎年、今年がピークだと思ってきました。今年以上は絶対に越せないと思ってると、なぜか翌年、必ず越すんです。

 もちろん運もあると思いますよ。言ってることとやってることが矛盾してるんじゃないかって思われることもよくあります。だけどそうじゃない。目標をきちっとクリアして結果を出せる人間にこそ、運がやってくるんじゃないかなって思うんです。

石川氏率いるアイジー・タツノコの作り上げた作品は業界内外で高い評価を得、独立から1年後には異例の劇場アニメ『機動警察パトレイバー 劇場版』の制作依頼が舞い込む。さらにカリスマ映像監督・押井守氏と組んだ当作品がヒットし、ますます業界内での地位を高めることとなった。

その後も95年公開の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』のビデオがアメリカの「ビルボード」誌のセルビデオ部門で1位となる偉業を達成するなど、名実共に世界トップクラスのアニメーション制作会社としてその名を世界にとどろかす一方で、「プロダクションI.G」と社名を変更した93年には作品への出資を開始。その後版権ビジネスを手がけたり、ハリウッドの名だたるメジャー映画会社と直接交渉をして資金を調達するなど、完全に下請けから脱却。いまや単なる制作プロダクションではなく、出資者側にも名を連ねる企業にまで成長した。ここに来るまでに、勝負どころは3度あったと石川氏は語る。

準備期間の1年間にこれまでの20年が凝縮
 

 まずタツノコを辞めて会社を作る間の1年間が最初の勝負でした。やっぱりこの準備期間が非常に大事だったと思います。それが「プロダクションI.G」の基礎を作った。さらに、今年プロダクションI.Gは今年で20周年を迎えるのですが、これまでの20年間のすべてがこの1年に凝縮されてたんじゃないかって気さえがします。

『イノセンス』で立ち上がった
 

 2回目の勝負は『イノセンス』(監督:押井 守)を作ったときです。勝負しようというよりもアニメーションビジネスのスキーム、枠組みを変えようと思った……いや、変えようというより立ち上がろうと思ったんですよね。

 確か『七人の侍』でこういうシーンがあった。百姓はどんなに一生懸命働いても自分の足で立ち上がれず、いつまでも田んぼや地面で這いつくばってのた打ち回ることしかできない存在だと。どんなに虐げられても立ち上がらないことが美徳というか、その時代を生き抜くための術だと。でも武士は自分の命を失うリスクはあっても、自分の足で立って、自分の意志で生きている。当時の状況に当てはめてみると、僕ら下請け会社が百姓で、クライアントや元請けが武士という構図です。

 それでそのとき、立ち上がるときに立ち上がらないと一生立ち上がれず、アニメーション業界の中で這いつくばって、のた打ち回って自分は終わっちゃうと思ったんです。でも「プロダクションI.G」に集まってくれたアニメーターとかスタッフはそういう存在ではなく、世界に通用するすごい人間だった。僕は彼らを尊敬してたし、誇りに思ってた。

 ところが自分に対しては誇りも自信ももってなかったから、もうここで立ち上がらないと自分はダメになっちゃうっていう危機感をもってたんです。だから立ち上がろうとしたんです。

 

プロダクションI.Gに集う人々のために、立ち上がることを決意した石川氏。しかし立ち上がるということはリスクを伴う。いつの時代・どの業界でも既得権益をもつ側は新規参入者を受け入れるまで時間を要する。この場合で言えばテレビ局、出版社、広告代理店がそれに当たる。しかし石川氏はそのリスクをあえて取った。立ち上がるために。

次回は石川氏が立ち上がってつかもうとしたものに迫ります。乞うご期待!

 
2007.8.20リリース 1.普通が夢だった少年時代
2007.8.27リリース 2.悔しさから独立 世界のI.Gが産声を上げた
2007.9.3リリース 3.下請けからの脱皮を決意 アニメビジネスを変えた
2007.9.10リリース 4.経営者、プロデューサーとしての仕事の醍醐味
2007.9.17リリース 5.夢は他人のため 目標は自分のため

プロフィール

いしかわ・みつひさ

1958年東京都生まれ。アニメーション制作会社「タツノコ・プロダクション」で制作進行、プロデューサーを経て、1987年、フリープロデューサーとして独立。同年末、アニメーション制作会社・有限会社「アイジー・タツノコ」を設立、代表取締役社長に就任。2007年の今年で創立20周年を迎える。

『機動警察パトレイバー』シリーズなどで着実に業界内外での足場を固めつつ、1993年社名を「プロダクション・アイジー」に変更。

以降、いち制作プロダクションとしては異例の作品への出資や、ファイナンス会社の設立、海外法人の設立、ハリウッドのメジャー映画会社との直接交渉など、業界の常識を打ち破る方策を次々と実施。下請けから元請、出資者側へとステップアップを果たすだけではなく、アニメーションビジネスのスキームそのものを変える。

制作会社としても『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』や『イノセンス』などハイクオリティな作品を次々とリリース、世界中から高い評価を得、世界的認知度が高い企業に成長させた。

2004年には「アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー」の日本代表に選出されるほか、東京大学の特任教授に就任。2005年にはジャスダックに上場を果たす。

2008年には押井守監督最新作『スカイ・クロラ』の公開が予定されている

【関係リンク】

■プロダクションI.G
■石川社長メッセージ
■石川光久の「だから、なんなんだ!? ええじゃないか!!」
■『スカイ・クロラ』

 
押井守監督の最新作『スカイ・クロラThe Sky Crawlers』2008年公開決定!
 
 
『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』
クリックで拡大

プロダクションI.Gの石川社長が「新生I.G元年の作品」と位置付け、世界の押井守監督が「今を生きる若い人たちに向けて、伝えたいことがある」という真摯な思いから製作スタートした作品。2008年公開予定。お見逃しなく!

『スカイ・クロラ
The Sky Crawlers』公式サイト

日本テレビ、プロダクション I.G 提携作品
2008年公開決定
原作:森 博嗣「スカイ・クロラ」シリーズ (中央公論新社刊)
監督:押井 守
脚本:伊藤ちひろ
音楽:川井憲次
制作:プロダクション I.G
配給:ワーナー・ブラザース映画
森 博嗣/「スカイ・クロラ」製作委員会

 
 
おすすめ!
 
 
『雑草魂~石川光久 アニメビジネスを変えた男~』(日経BP社刊/梶山寿子著)

日経BPのWebサイト上で「アニメビジネスを変えた男」と題して連載されていた石川社長インタビューシリーズに大幅加筆されて出版された一冊。石川氏本人に加え押井守監督や周辺人物の取材により、石川氏の人となりが多方面から丹念に描かれている。

 
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常に「今、ここ」に全力投球すれば、おのずと道は開ける 常に「今、ここ」に全力投球すれば、おのずと道は開ける
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取材・構成/山下久猛
写真/森山 活

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