デブサミで聞いた「いい話」を実践
2011年9月にグリーに転じた今給黎氏は現在、スマートフォン用ソーシャルゲームの開発に参加している。主にアジャイル方面でさまざまな社外活動も積極的に行っており、TDD Boot Camp 東京 for C++の主催、XP祭り2011の運営委員も行ってきた。
今給黎氏は前職で「社内の技術力を上げる」ことをミッションとしていた。その手法の一つとして考えたのが、社外の「すごい人」を招いて話を聞く機会を設けること。共感し、参考になる情報を得ることが、皆の技術力アップに有効だと考えたからだ。では「すごい人」はどこにいるのか。どういうネタがあるのか。そうした情報を求めて今給黎氏は、デブサミなどさまざまな勉強会に参加するようになった。自称「勉強会オタク」の出来上がりである。
今給黎氏のデブサミ歴は2009からで、以後、毎年参加してきた。初デブサミで非常に感動したセッションは角谷信太郎氏の「時を超えたプログラミングの道への道」で、さっそくAsk the speakerコーナーで名刺交換。同時に社内講演を依頼した。この年「デブサミではいい話を聞ける」と実感したことから「デブサミLover」になる。
昨年のデブサミ2011で一番記憶に残っているのは富士ゼロックスの野村恭彦氏による「未来のために私たちの帆を立てよう」という「4tate(ほたて)」のセッションだった。この「さぁ、あなたの組織で『変革』の帆を立てよう」と呼びかけるセッションを聞いて、今給黎氏はどのような行動を起こしたのか。野村氏は「人数を揃え、自分たちが立ち上げたナレッジ・サービス事業KDIフューチャーセンターに見学に来てください」と話していた。そこで今給黎氏は実際に同僚たちと訪問し「すてきな体験」をすることになる。
そこで問題になったのは「必ずしも仕事に直接結びつくとは限らない見学」を行う際の社内調整だ。上司の許可はどう取ればいいのか。部門横断的なメンバーで訪問する場合、訪問予算はどの部署に付けるのか。交通費の精算はどうするのか。今給黎氏が出した答えは「自分の問題を解決できる奴だけ来い!」という少々乱暴なものだった。その結果は声をかけたほぼ全員、15名以上が参加。今給黎氏は、当時勤めていた会社に「捨てたものではない」と好印象を持ったという。そこで得られたのは「良かれと思ったらまず始め、失敗すれば謝罪すればいい」というスキームだった。
以上のエピソードから分かるように、前職は今給黎氏にとって居心地のいいものだった。では、なぜ転職したのか。前出のデブサミ2011における野村氏のセッションのテーマは「変化の激しい時代の行動を、どのように導き出すか」。セッションは金曜日。では週明けの月曜から何ができるのか。そこで今給黎氏が導き出した答えは「キャリアを変える」だった。今まで技術者としてキャリアを積んできたが、それをもっとゼネラル的な方向に行動を変えていく。そこで上司に相談したのだが、結果としてうまく行かなかった。当時勤めていた会社はゲーム開発会社としては老舗であり、積み重ねてきた規律があるため、希望する展開を実現するには時間がかかる。周りを変えるには何年もかかるが、自分は今すぐにでも変わることができる。会社の外に出たとしても、社内に残っている仲間に良い影響を及ぼすことが可能かもしれない。そこでいろいろな行動をしてみようと考えるに至り、大海原に乗り出すことを決意。実際に転職することになった。
今給黎氏は「自分の行動を決める際のポイントは、終身雇用の時代が終わったと考えるかどうか」と話す。大企業にいれば、順調にエンジニアとしてキャリアを積めると考えがちだが、実は社内の常識は世間の非常識だったりする。実際、会社が変わると通じないこともある。一方、終身雇用が終わったと考えると、技術者は一生勉強しないと生き残れないと覚悟し、自ずと技術力は上がっていくことになる。いざとなれば、自分1人でも世界を切り開くことができる。
一方、部下がいるマネージャーはどうか。地位が上がれば、身分が安定する。安心していいのだろうか。実は会社の平均寿命は30年といわれている。働くのは50年だとすれば、途中で会社がなくなる可能性もある。また終身雇用は「おわコン!」と考えれば、部下がいつ辞めるか分からない。そこでいなくなる可能性があることを前提に、業務の仕組み化に積極的に取り組まなくてはならない。今給黎氏は「いずれの立場にいるにせよ、終身雇用が終わったと考えれば、それぞれの立場で覚悟をもって臨めるのではないか」と語る。