IT機器が高度にネットワーク接続された我々の社会では、日常的に情報が発信消費されています。情報社会ではネットワークは不可欠であり、災害時には情報収集と発信が行える心強いツールです。東日本大震災を教訓として、災害時にITインフラにどのようなことが起こったか、ITでは何ができたのかを最初に学んで行きます。
この文章には、東日本大震災当時を想起させる記述が含まれます。お読みいただく前にご留意ください。
東日本大震災発生時の交通・通信ネットワーク状況
前回『災害によるITインフラへの影響と情報発信の在り方』で、震災後に何が起こっていたかについて見てきました。今回も当時の様子を順を追ってみましょう。
当時最初に分かってきたのは、今回の災害が広域であるという事実でした(図1:首相官邸のPDFより)。
私が記録として残していた財団法人日本道路交通情報センター(JARTIC)の交通情報によれば、その影響は翌日以降も色濃く出ていたことが分かります。ご存じのとおり、東日本大震災では東北地域への交通網は一般利用が可能となるまで一か月を要しました(図2:財団法人道路交通情報センターの当時記録より)。
また、国土交通省道路局の発表によれば、国道・空港・港湾・高速道路が一般用として復旧するまでには、最短でも二週間以上を要したのが分かります。(図3:国土交通省道路局ITS推進室のPDFより)
私たちは今後も起こり得る大きな地震の際、被災地からの避難行動が数日単位で容易に行えない状況になるという事実を学ぶことができます。
また、通信事業者ではよく知られていた事実ですが、震災直後から主要な海底ケーブルが多数切断され、道路交通網以上に長い日数をかけての復旧作業が行われました。(図4:海上保安庁 水路通報の当時記録より)
このように、当時記録から震災時に交通・通信の2つのネットワークに大きな被害が出ていたことが分かります。
お気づきになった方もいらっしゃると思いますが、震災当時でも新しい情報が発信され続けていました。ITを活用した、これら情報に触れる機会を持つことが減災の一つの「助け」となり、また家族の身を守る1つの「道しるべ」です。
次回も記録に残されている東日本大震災の「生きた情報」を紐解いていきます。