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Azureを卒業し、次はLINEの"bot"で勝負する――砂金信一郎さんのキャリア

クラウドネイティブ時代のデベロッパー生存戦略 第3回(前編)

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 Azureの登場とともにマイクロソフトにジョインし、それから約8年間、Azureのエバンジェリストやエバンジェリストチームのマネージャーを務めた砂金信一郎さん。砂金さんは、9月末にマイクロソフトを退職し、新たなチャレンジの場としてLINEを選んだ。クラウド時代の開発者のロールモデルへのインタビュー企画、第三弾では、吉羽龍太郎さんが聞き手となり、砂金さんのこれまでのキャリアと、今後何をしていきたいかについて伺った。

目次

オラクルのはみ出し者たちと仕事し、コンサルで現場力を叩き込まれる

LINE株式会社 ビジネスプラットフォーム事業室 戦略企画担当ディレクター
砂金信一郎(いさご しんいちろう)さん

LINE株式会社 ビジネスプラットフォーム事業室 戦略企画担当ディレクター 砂金信一郎さん

 LINEのスマートポータル戦略実現に向けて、ライフスタイル変革をもたらすAIやchat botなどの技術を広く当たり前のものとして普及させることで、企業や社会と個々人の距離を縮めるビジネスプラットフォーム戦略の立案、推進を担当。

 東工大卒業後日本オラクル在籍時にERP導入プロジェクト多数と新規事業開発を、ローランド・ベルガーで戦略コンサルタントを、マザーズに上場したリアルコムで製品マーケティング責任者をそれぞれ経験。その後クラウド黎明期からマイクロソフトのエバンジェリストとしてMicrosoft Azureの技術啓蒙やスタートアップ支援を積極的に推進した後、現職。@shin135

吉羽 新天地のことをお聞きする前に、今までのキャリアについて教えていただけますか?

砂金 大学は東工大で、新卒でオラクルに入社しました。大学での専門は生産管理でしたが、当時は金融工学が流行っていたので、就職先として外資系銀行を選ぶ人が多い中、僕は、メーカーに行くか、大学院行くかと悩み、オラクルを興味本位で受けました。当時オラクルでは、ネットワークコンピュータを開発していて……。

吉羽 懐かしい。それっていつ頃の話ですか?

砂金 僕は1998年入社で、ネットワークコンピュータを打ち出し始めたのがその少し前です。「すごくかっこいい! 何をやっているのかよく分からないけど」と思って興味を持ったんです。当時、僕は大学に通いつつ受託開発をしていて、学生だけどオラクルが少し使えたというのもあります。

 外資系銀行に行くのも魅力的だけど、僕は、金で金を生むのは好ましく感じなくて、じゃあIT企業に行こうと考えたんです。当時のオラクルはすごく輝いて見えましたね。

 実際に入社してみると、当時の社員が1300人いる中、右も左もわからないピヨピヨの新卒社員でが125人いて、それだけ同期がいればけっこう面白い人たちが混ざっているんですね。同期の出世頭はおそらくDeNA社長の守安さん。他にも起業しているメンバーもいれば、マイクロソフトなど色々な会社で活躍してるメンバーもいる。

 DeNA会長 南場さんの著書『不格好経営』の中に「オラクルからキラキラした若者が7人まとめてやってきた」というようなくだりがありますが、僕は最初、そのオラクルから出ていこうとしたメンバーに加わっていたんです。その後引き止めにあい、僕はオラクルの中からその状況を見ていたんですね。

 新卒を大事にしようと思っていたオラクルからすると、辞めていく理由が「オラクルの中では好きな仕事、やりたいことができないから」なので、育てる側からすると非常に痛い。若かりし頃なので、包み隠さず言うわけですよ。

 その結果、何人かは出向という形にして、オラクルでお給料を払いつつ、他の会社で好きな仕事をしてもらうという扱いを受けていて、僕は、今セールスフォースで営業本部長をしている道下さんと一緒に、ドットコム事業開発部という謎の組織のリーダーとなって「お前らに人も予算も付けてやるから好きなことやれ」と言われたんです。言うなれば新規事業開発のようなことを好き勝手やらせてもらいました。そこには、オラクルからはみ出そうな、放っておくと出て行っちゃいそうな人たちが寄せ集まって、楽しくやっていました。

 マイクロソフトでもスタートアップ支援の取り組みをしていましたが、スタートアップとの最初の接点は、スタートアップ向けのオラクルDBの提供です。当時から、スタートアップは初めはオープンソースのDBを使うことが多く、オラクルの無制限ユーザーライセンスは5000万円くらいして、絶対買ってもらえないですよね。それで、スタートアップの方にも使ってもらいやすいように、通常は利用期間が無制限のところ、2年間しか使えない代わりに安く提供できる枠組みを作りました。

 新鮮な驚きがありながら、楽しく仕事させてもらいました。当時、いろいろなサービスを自分たちで作っていて、その中の一つが、ナレッジコミュニティサイトの「知恵の輪ドットコム」ですね。

吉羽 懐かしいですね。

砂金 そこからオラクルを辞めるまでずっと新規事業系のお仕事をやらせてもらいました。そこだけ取り上げると「砂金はチャラチャラしやがって」と思われるかもしれないけど、入社してしばらくは、工場を回って生産管理システム導入をする仕事をやり、成果を出した上でチャンスが回ってきたんです。そこで初めて好き勝手やらせてもらったのがオラクル時代ですね。

 その後、僕が28、9歳の頃に、オラクルを辞めて転職しました。当時MBAを取得したく留学まで考えていたのですが、プライベートの事情で断念したんです。留学に代わる何かができないかなと思ったときに「戦略コンサルティングに行けば、MBAの資格は取らずとも、MBAを卒業された方と一緒に仕事をすることでより実践的な経験ができるに違いない」と思ったんです。ということで、ローランド・ベルガーというドイツ系の戦略コンサルティングファームに入り、いろいろなプロジェクトをやらせてもらいました。ただIT業界のプロジェクトは一つもやらなかったんですね。

吉羽 では、どういうプロジェクトが多かったんですか?

砂金 ドイツ系のコンサルティングファームなので、多いのは自動車業界ですね。完成車メーカーや部品メーカーのブランディングや販売計画や中期経営計画の策定。他にも買収ファンドへのコンサルティングとして、この事業部門はいくらで買収し、どこまで売上が伸びそうかの予測や計画を立てるようなことですね。

 いろいろなことをやらせていただいて、多分、今までの人生の中で一番仕事したと思います。寝ないで60時間連続仕事をした時もありましたし。納品すれば終了であるエンジニアの仕事とは違って、必死に提案書や報告書を作り、それを眠い目をこすりながら、大企業の役員のみなさんがドーンと揃っている前で「こういう結果になっています。ご理解正しいでしょうか。ご意見下さい」と、脳みそフル回転させながら言っているので、しんどかったです。

吉羽 ある意味、異業界への転職ですよね。そうすると、29歳ごろから1から勉強し直したという感じなんですか?

砂金 そうなんですが、コンサルティングファームが中途の人間を採用するのは理由があって、ロジックだけを突き詰めるなら新卒でコンサルティングファームに入ったような人の方がいいんですけど、それを現実解に落とし込む、つまり、コンサルティングプロジェクトをいくらで提案をして、どういう価値を出すかという設計は、相手のビジネス上の課題、ペインポイントを理解する必要があるので、異業種からの編入組は重宝されます。

 他にも、統計解析のスキルセットは貴重でした。ある仮設を検証したい場合に、クライアントのデータが大量にあるので、手作業で分析すると大変だなというときに「では、ここから先はやっておきます」と言って、普通にDBに入れて、データクレンジングして、ピボットテーブル組んだだけで神のように扱われました。

 ただ、クラスタリングや統計的手法を用いた分析を、数学的に説明はできたとしても、ビジネス視点の方に納得してもらえるように伝える術は持ってなかったんです。どういうロジックで、このシミュレーションの前提はこれだというのをわかりやすく説明することが、当時求められていた立ち位置だったと思います。何でもITや道具だけで解決すればいいんじゃないなっていうのはすごく感じましたね。

 当時、『現場力を鍛える』などの書籍を書かれた遠藤功さん(現 ローランド・ベルガー日本法人会長)に、現場感、手触り感を重視する仕事の仕方を叩き込まれました。他の戦略コンサルティングファームでは、かっこいい提案書を書くのがよしとされるけど、どちらかというと、地べたを這って血ヘドを吐くような、お客さん目線で本当に手触り感があるかにこだわっていました。結果、プロダクトアウトなコミュニケーションが僕は苦手で、マイクロソフトでも、お客さんに対して「どういうことがお困りなんですか?」「それ本当に現場で回ります?」「やってみて課題が浮き彫りになったら継続的に改善しましょう」というスタンスが大好きでした。そのベースを叩き込まれたのは、おそらくローランド・ベルガー時代だと思います。

吉羽 なるほど。コンサルだけど上から目線じゃない感じなんですね。

砂金 そうです。仮説から課題を整理して、まではきちんとやるんですけど、それが美しいだけだと許されない感じですね。

吉羽 絵に描いた餅ではダメと。

砂金 今は違うかもしれませんが、私がいた当時の競合との差別化ポイントは、マッキンゼーはロジカルなアウトプット、ボストン・コンサルティングはちょっと斜め上からの発想を出してくる。ではローランド・ベルガーだと、絵に描いた餅のような提案書ではなく、その後も含めて一緒に伴走するようなスタイルを取っていて、やり切れそうな提案書を作ってくれそうだ、というブランディングにもなっていきました。

 その後、コンサルティング業界出身の知人の方がリアルコムという会社をやっていて、そろそろIPOの準備に取り掛かるというタイミングで、僕が一緒にやったら楽しそうだなと盛り上がり、ジョインしたんです。上場前のスタートアップってすごく優秀な人が集まる瞬間があるんですよね。そのタイミングで仕事ができたのは非常に面白かったし、エキサイティングな時間だったなと思います。そこでは、プロダクトマネージャーを中心にいろいろなことをやっていました。


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