トークンは福利厚生か人件費か──全員に配る会社、成果で渡す会社、5社のリーダーの線引き【Newbee Conf】
「Newbee Conference 2026」レポート(後編)
「AIに関する情報が、最近コモディティ化してきたように感じています」。9月9日に初開催された「Newbee Conference 2026」の最終セッションで、SmartHRの芹澤雅人氏はこう切り出した。ところが同じ日、立場の違う登壇者たちが職種を越えてそろって口にした悩みがある。社員に配るAIのトークンを、どう管理するかだ。全員に使い放題で配る会社もあれば、成果を示した人にだけ枠を広げる会社もある。答えは割れたが、その背景には、人が担ってきた仕事がトークンに置き換わり、コストの構造そのものが変わりつつあるという共通の認識があった。後編では、その認識を形づくった2つの対談とあわせて議論を追う。
社員1人で始めた、4つの境界を越える1日
Newbee Conference 2026は、プロダクトやスタートアップ、組織づくりをめぐる対話を発信するテクノロジーメディア「Newbee(ニュービー)」が初めて開いたカンファレンスだ。会場はSHIBUYA STREAM Hall(東京・渋谷)で、来場者は約200名。Newbee 代表取締役/CEOの蜂須賀大貴氏は開会のあいさつで、社員1人でカンファレンスを始めることに周囲から驚かれながら、この日を迎えたと明かした。
セッションは1トラックのみで、5つのセッションはいずれも資料も台本も用意しない対談として進んだ。答えを受け取って持ち帰るのではなく、異なる問いを持つ人同士が掛け合わさって新しい問いが生まれる場にしたい、というのが蜂須賀氏の狙いだ。全員が同じ議論を聞いているため、後のセッションの登壇者が前のセッションの話を拾い、テーマを越えて論点がつながっていった。
前編では「人と組織」をテーマに3つのセッションを紹介した。後編は、事業と経営をテーマにしたセッション2「AI×ビジネス」とセッション5「経営戦略」、そして複数のセッションをまたいで議論になったトークンの配り方を取り上げる。
「SaaS is Dead」を、原典と金利から読み直す
セッション2「AI×ビジネス」に登壇したのは、Zen & Company 代表で日本CPO協会 理事の宮田善孝氏と、レクター 代表で日本CTO協会 理事の広木大地氏だ。テーマは、この1年ほどプロダクトに関わる人たちを揺さぶってきた「SaaS is Dead(SaaSは死んだ)」という言葉。AIエージェントが業務アプリケーションに取って代わり、SaaSの時代は終わる。そうした主張として広まり、事業の先行きを案じる声も多く聞かれた。
蜂須賀氏によれば、2人との事前の打ち合わせは「みんな『SaaS is Dead』と言っているが、原文を読んだのか」という話だけで20分ほどかかったという。
宮田氏は冒頭、会場に尋ねた。「SaaS is Dead」の元になった、マイクロソフトのサティア・ナデラ氏が出演したポッドキャストを聞いたことがある人はいるか。手が挙がったのは5%ほどだった。
「英語になった瞬間、原文まではなかなか行かないし、今はChatGPTで済ませるケースもあると思います。でも物によっては、原典を見ないと何も始まらないと思っています」
広木氏は、言葉の由来から補った。「〜 is dead」の元になったのは、王の死と新しい王の即位を同時に告げる「The King is dead, long live the King」という言葉だ。
「王は死んだけれど、王の時代は次の王に引き継がれて続く。もともとは、そういう標語なのです」
何かが終わっても、その役目は別のものに継がれていく。「Newspaper is dead, long live journalism」と言えば、新聞という形は終わってもジャーナリズムは続く、という意味になる。日本語の「死」から受ける印象と、実際に指していることは違う、というのが1点目の指摘だった。
2点目は金融市場である。SaaSは、利用料を毎月・毎年積み上げながら、将来にわたって利益を回収していくビジネスだ。ところが金利が上がると、将来回収するはずの利益は割り引かれ、今の価値は小さく評価される。広木氏は、金利の上昇でSaaSの市場価値が下がる様子を示す「SaaSの企業価値シミュレーター」を自作したほどだ。SaaSの評価が下がったのは、SaaSそのものの価値が失われたからではなく、金融市場が変わったからだ、と同氏は読む。
VCの中にさえ、企業価値の目安となるARR(年間経常収益)の倍率が下がったことを「SaaSの終わり」と受け取る人がいるが、将来の利益で評価される以上、そうなるのは当然だと広木氏は言う。その前提を知っていれば、「SaaSは終わるから、別の何かに転身しなければ」と右往左往しなくて済む。
宮田氏は投資家の側から同じ現象を説明した。金利が高い今は、リスクの低い運用に預けておくだけでも資金がほぼ確実に増える。資金はグロース市場から大型株へ移り、VCは投資を絞る。絞るときに選ばれるのは、再現性高く、確実に成長するチームを作れるシリアルアントレプレナーだ。これは社内の新規事業でも変わらないという。
「いかに自分が再現性高く、蓋然性高く成長できるプロダクトを作れるのか。それをアピールしないと、予算というオプションがなかなか来ない状況になっています」
そのしわ寄せはプロダクトの現場に来る。蜂須賀氏は、ARRを積み上げるだけでは投資家の求めるゴールに届かず、高単価の顧客に業務ごと入り込む、コンサルティングに近い動きが増えていると指摘し、それが「FDE」と混ざって語られていると問題を提起した。
広木氏の答えは、前提となるビジネスモデルが変わったというものだ。大きく投資して作ったプロダクトで将来の利益を回収するSaaSのモデルから、早いサイクルで回収でき、利益率の高いモデルへ。黒字が出るなら、VCから調達するより資本コストの低い借り入れで賄える。経営はそれを前提に方針を変えているのに、プロダクトマネージャーやエンジニアがそこを理解していないと、急に「行って稼いでこい」と言われた理不尽な変化に見えてしまう、と同氏は話した。
FDEの岐路は、プロダクトか人月か
FDE(Forward Deployed Engineer)は、直訳すれば「前線に配備されるエンジニア」だ。会場との質疑で広木氏が説明したところでは、出自はデータ基盤を提供する企業にある。基盤を作っても、データを使いこなせる人が顧客の側にいなければ活用は進まず、やがて使われなくなる。そこで年間に数億円を支払うような大口の顧客には専任のエンジニアを付け、モデルの構築や運用まで顧客と一緒に進めるようになった。Palantirなどがこのモデルを広げたことで、顧客の現場に入り込むエンジニアの役割として注目されるようになったという。
広木氏は、FDEの本質を「離れたあとに利益が積み上がる構造」に置く。顧客先で稼いで終わるのではなく、自分が離れてもARRのような継続収益として残る仕組みを作る。顧客の業務を一度仕組みに置き換えてしまえば、その後の業務を回すのは人ではなくAIになる。提供する側のコストは人件費ではなく、AIを動かすたびにかかる利用料、つまりトークン(生成AIが処理するテキストの単位で、使った量に応じて課金される)の代金に変わる。
「そうなると、プロダクトを作って売るのではなく、売って作るという構造になります。そして、作ったものがお金になり続ける。これはトークンのマージンになっていくと思います」
先に顧客の業務を請け負って売上を立て、その現場でプロダクトを作り込んでいく。順番の逆転である。
業務が1件完了するごとに対価を受け取る契約にしておけば、トークンの単価が下がるほど、売上との差であるマージンは広がっていく。顧客の会社に入り込み、自社のプロダクトを通じてトークンを使ってもらうビジネスは、これから増えるはずだと同氏は見る。
宮田氏は「何でも二元論的にとらえるのは悪い癖なのですが」と断ったうえで、FDEが盛り上がること自体は歓迎しつつ、実態には懸念があると話した。AIで何ができるかがまだ固まらないまま、エンジニアは人月(1人が1か月働く量)あたり500万〜600万円で顧客先に送り込まれる。30代でAIに詳しければ顧客に好かれ、「この論点もできないか」「アップセルを提案してくれないか」と声がかかる。2本目の契約が取れ、次のチームを呼ぶ。
「どんどんフィーは入ります。でも、プロダクトの進化が止まるのです」
顧客の期待に応え、契約を広げられたことは、若いエンジニアやプロダクトマネージャーにとって自信になる。だからこそ、何のための案件だったのかを意識していないと、気づけば受託の仕事ばかりが加速している、と宮田氏は言う。
「そこには岐路があります。プロダクトにしっかり向き合う人と、案件を取りまくって1日20時間働き、PL(損益)を積み上げる人。これは完全に二極化するので、ぜひプロダクトに向き合う方を選んでほしいと思います」
二極化の悪い側の行き着く先を、宮田氏はこう呼んだ。
「AIが使えるSESになってしまう。気づかないうちに」
SES(システムエンジニアリングサービス)は、技術者の稼働時間に対価を払う契約形態である。人を送り込んだ時間だけ売上が立つ形に戻れば、FDEという新しい名前で呼ばれていても、プロダクトの会社ではなくなってしまう。
これに対して広木氏は、FDEかSESかという軸では議論しなかった。入れ替わっているのは、BPO(業務の外部委託)として人が担ってきた部分だという。
「会社にとって何がうれしいかというと、そのBPOの人員が正社員の雇用ではなく、勝手にスケールしてくれるAPIのトークンに変わることです」
先ほどの「トークンのマージン」は、この入れ替わりを提供する側から見た話だ。これまで人を雇って請け負っていた業務を、AIが担うようになる。個人のキャリアとして恐れるべきなのは、FDEと呼ばれるかどうかではなく、BPOの1スタッフになること、そしてその仕事がAIに置き換えられることだ、と同氏は続けた。宮田氏は止まってしまうプロダクトを、広木氏は人からトークンへ置き換わるコストの構造を見ている。2人の議論は、対立というより見ている場所の違いだった。
宮田氏は、SaaS企業の側が何でも内製したがる傾向にも警鐘を鳴らした。社員が100〜200人で選択と集中が必要な会社が、コーディングエージェントで営業支援のAIプロダクトを作り、社内で使うだけになっている。かつてSaaS企業がオンプレミスのプレイヤーを見ていたのと同じ目で、いずれAIエージェントのスタートアップから見られることになる。
「自分のビジネスモデルの境界を見極めないと、やるべきではないことにまで手を出してしまいます」
質疑の中で広木氏は、エンジニアリングの対象そのものが変わってきていると話した。
「事業そのものが安全に、安定して、かつ貪欲に成長していける装置を作りたい。それが最大のポイントで、技術やAIは、その装置を作るための考え方にすぎない、という構造なのだと思います」
インターネット、スマートフォン、クラウドがそれぞれビジネスの前提を変えてきたように、AIの登場で経済の前提が大きく変わった。そのうえで、同氏はこう言い切った。
「我々がこれから作っていくものは、もうレガシービジネスなのかもしれません」
では、すでにAIを事業の中核に抱える経営者と、AIへの対応が遅れたと自ら認める経営者は、何をコストと見て、何に賭けているのか。
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斉木 崇(編集部)(サイキ タカシ)
株式会社翔泳社 ProductZine編集長。1978年生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学専門分野)を卒業後、IT入門書系の出版社を経て、2005年に翔泳社へ入社。ソフトウェア開発専門のオンラインメディア「CodeZine(コードジン)」の企画・運営を2005年6月の正式オープン以来担当し、2011年4月から2020年5月までCodeZine編集長を務めた。教育関係メディアの「EdTechZine(エドテックジン)」...
※プロフィールは、執筆時点、または直近の記事の寄稿時点での内容です
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