人間に残る仕事は2つ。目的地を決めることと、ガードレールを敷くこと
及川氏はここで役割の再配分を整理した。誰のどんな課題を解き、何を価値とするかというWHYを決めるのは人間、従来プロダクトマネージャーの領域である。
WHATの側でコードを生成するのはAIだが、どの品質で、どこまでコストと時間をかけるかを誰かが決めなければ、AIが勝手に判断してしまう。この采配は従来プロジェクトマネージャーの知見の出番であり、両者を束ねるオーケストレーションは双方が協働して担う。
そのうえで及川氏は、人間の役割を2つに絞り込んだ。「目的地を決めること」と「ガードレールを敷くこと」である。
「目的地を決める」とは、正解がない中で正解を決めることだ。プロダクトの成功は、事業(継続のための収益)、顧客(課題の解決)、ビジョン(どんな未来を創るか)の3つで語られるが、このバランスに唯一の正解はない。
スタートアップが顧客課題を優先して収益を後回しにするのはよくあるが、資金が枯渇しそうになれば収益の最大化を考えざるを得ない。それは間違いではない。「机上の空論だけで理想を言っていても、事業は回らないわけです」。ここが人間の仕事である理由を、及川氏はAI固有のリスクとして示した。放っておけばAIは、事業収益の最大化だけを「正解」としかねないからだ。
もう一つのガードレールについて、及川氏は3つの例を挙げた。
1つ目は「トロッコ問題」である。暴走したトロッコの先に5人、進路を変えた先に1人がいる。正解はない。それでも決めなければならない。
「AIは選択肢を示すことができ、相談には乗ってくれます。でも、どちらを選ぶかの責任は彼らは取らないわけです」
及川氏自身、Claudeと対話しながら企画を練っていると、これはいいと思った案に厳しい意見が返ってくる。確かにと思いつつ、それでも「あえてやっている」「ここはリスクを取る」と言える。というより、言わなければならない。すべて受け入れていたら、正しい指摘が積み上がるばかりで物事が進まない。
2つ目は「指標の設計」だ。プロダクトのトップKPIとして北極星指標(ノーススターメトリック)を置く考え方は広く知られている。顧客価値と成長を表す単一の指標を全員で追い、改善しているかを測る。
だが、その裏でブランドの評判やユーザー体験、法令遵守が静かに毀損されていないかは、この指標では見えない。そこで要るのが、越えてはならない境界を示し、悪化していないかを測るガードレール指標である。速度計だけで運転はしない。燃料計とエンジン警告灯を、同じダッシュボードに並べるのだ。
低品質なコンテンツを量産するキュレーションサイトはPVを、コンプガチャはARPUを追い続けて品質と信頼を損ねた。ガードレール指標があれば、同じ画面で見えていたはずだった。
3つ目が、「倫理を設計に組み込む」ことだ。及川氏は今年3月、『プロダクト倫理: あなたのプロダクトは誰かを傷つけていないか』を上梓している。
資本主義的に正しいことだけを目指せば、AIはその方向に最適化された解を出し続ける。その危機感から挙げられた原則は4つ。ユーザーの意思決定を奪わない自律性、何をしているかを隠さない透明性、特定の誰かを不当に扱わない公正性、害を生まない・防ぐ安全性である。こうした配慮は開発のブレーキと見なされがちだが、及川氏はそれを明確に否定する。
「安全装置というのは止まるときのためにあるのではなく、安全に走行し続けるためにあるんです」
そのうえで、この日もっとも重い一文がスライドに置かれた。
「『止めた人』を評価できない組織に、指標は宿らない。倫理は、技術・統計・文化が揃って初めて機能する」
創造性は、AIが出せない「ズレ」から生まれる
生成AIの基本原理は、過去のデータから次に何が起きるかを推論することにある。言い換えれば人類の知見のベストプラクティスの集まりであり、過去に正しいとされていなかったものは決して生成されない。
及川氏が例を挙げたのはピカソである。青の時代を経てキュビズムに至ったとき、初めは理解されなかった。もしピカソが生成AIに「次はどういう画風で行けばいい」と尋ねても、あの答えは出てこない。常識からの逸脱によって美の定義そのものを書き換えたからこそ、時代があとから追いついた。
ビジネスでも同じだ。意図的にズレを持ち込み、リスクを取って進められるのは、意志を持つ人間だけである。同じWHATであっても、誰が言うかで価値は変わる。AIはもっともらしい選択肢を提示できるが、それを選び、引き受けることはしない。及川氏のスライドは、こう締めくくっていた。
「意志なき人はAIに飲み込まれる。意志ある人間を、AIが支援する」
工数が7割減るなら、計器を「成果」に張り替えるしかない
講演の終盤、及川氏は受託・固定価格のビジネスに話を向けた。聴衆にSIerの関係者が多かったからだが、指摘は自社プロダクトを持つ組織にも当てはまる。
AIで開発工数が7割減るなら、値下げしろと言われてしまう。しかし本来これはおかしい、と及川氏は言う。生産性を上げたことで報酬や事業利益が下がるのは筋が通らない。工数を積み上げる人月型のままでは、生産性を上げるほど自社の売上を削ることになる。
だからこそ大手SIerでさえ、成果報酬型など契約そのものの見直しに動き出している。示された方針は3つだ。
- 価値仮説を発注側と握る:あなたのプロダクト要件を固める前に何がアウトカムかを発注者と合意し、RFPや提案の段階で成果指標を1つ混ぜる
- 変更前提で契約を設計する:すべてを最初に固めず、準委任や段階リリースで変更の余地を織り込み、学習できる構造にする
- 計器を「成果」に張り替える:納品物の数ではなく、運用フェーズで使われている機能の割合を測る
これは受託の現場だけの話ではない。自社開発でも、効率化した分だけ人員を減らすという判断が同じ構造で起こる。測っているものが出力である限り、生産性の向上は自分たちの取り分を削る方向にしか働かない。「価値探索は『あなたの世界を否定する』話ではない。受託の現場にこそ、持ち込む余地がある」と及川氏はまとめた。
作ることが希少でなくなるとき、何によって価値を生み出すのか
最後に及川氏は、講演全体を役割の再配分として整理し直した。コードとしてのWHATはAIが生成し、コストと品質の判断はプロジェクトマネジメントが裁く。誰の何のための課題を解くのかというWHYはプロダクトマネジメントが定め、全体のオーケストレーションは両者が境界なく協働して束ねる。「PMの仕事は消えない。むしろ、より人間的になる」というのが結論である。
そのうえで及川氏は、聴衆に問いを残した。「作ることが希少でなくなるとき、私たちは何によって価値を生み出すのか」。この日示したのは解の一つに過ぎず、この問いに答え続けることこそが、プロダクトマネージャーとプロジェクトマネージャーの仕事なのだと。
作ることが安くなった分だけ、決めることの重みが増している。
