任せると丸投げを分けるのは、責任の置き場所である
任せることと、丸投げすることは違う。
同氏の定義はこうだ。任せるとは、アウトカム(成果)に対する責任は自分が持ったまま、「ここは君に背中を預けた」と専門家にオーナーシップを渡すこと。対して丸投げは、成果がどうなるかまで手放してしまうことである。あなたに任せたのだからあなたが決めてよ、という態度だ。
「こんな人たちで固めてしまうと、総合職、専門職の前に事業が破綻しますよね」
書籍ではもう一段踏み込み、丸投げは「責任の所在があいまいになり、事業はほぼ確実に失敗します」と書かれている。専門家に任せるには「依頼のスキル」と「質問のスキル」が欠かせない、とも。
では、何を渡せば「任せる」になるのか。挙げられたのは5つだ。なぜやるのか(目的)、制約条件、成功指標、代替案、そしてリスク。この5つを自分が握って初めて、専門家の思考は広がる。裏返せば、背景と文脈を渡さずに具体的な依頼だけを投げることが、最悪のアンチパターンにあたる。
それは、プロンプトの投げ方と同じではないか
「これって冷静に考えると、プロンプトの投げ方と一緒じゃないか、と思っています」
AIに適当な指示を与えれば、出力はあちこちへ散る。だから目的を伝え、制約条件を伝え、成功指標を示し、代替案とリスクを渡す。ハーネスエンジニアリングやループエンジニアリングと呼ばれる考え方が生まれた背景も、そこにある。専門家に任せるために握るべき5つは、エンジニアがAIに向けて日々渡しているものと、一つも違わない。
「ぶっちゃけ、AIにいい成果を出してもらうために日頃からやっていることでは、という話です」
専門家に任せるための作法は、エンジニアがこの3年間、AIに向き合いながら磨いてきた作法とまったく同じ構造をしている。
「エンジニアリングのスキルを対AIに活かしてきたこの3年間のわれわれの活動は無駄じゃない。そう断言できると思っています」
越境を迫られたとき、多くの人はゼロから学び直さなければならないと身構える。だが同氏の見立ては違う。ゼロから新しいことを始めるのではなく、この3年間やってきたことを活かせるタイミングが来た、というのが結論だ。渡す相手をAIから人へ、向ける先をコードから顧客と事業へ置き換える。それだけでいい。
「対顧客、対事業にこれを応用する時が来た」
手のひらを返された側であるはずのエンジニアが、返してきた側よりも先に、この作法を練習させられていた。そう読み替えると、越境という言葉の重さは変わる。新しいスキルの習得ではなく、すでに持っている依頼の作法を、AIから人と事業へ向け直すこと。それが越境2.0の実装である。
職人の前に、われわれは商売人である
とはいえ、向け直す先の知識は足りない。P/Lをどう読むのか、広報とは何をする仕事なのか。「情報はどこにある」と自問した蜂須賀氏は、自著『勝てるプロダクト開発の教科書』を示した。プロダクトを作るだけでは片手落ちだと気づき、指標選びから顧客理解、マーケティング、広報、法務までを1冊にまとめたという。利用規約をどう考えるか、データをどう持つか。いずれもプロダクトを世に出すなら避けて通れない領域だ。
そして最後のスライドで、エンジニアという職業の定義そのものに触れた。
「エンジニアの前に、われわれはものづくりの職人である。ただ、職人の前にわれわれは商売人であるはずなんですよね、事業を伸ばすという意味では」
だからこそ、今こそ商売人であることと向き合うときが来ている。「あくまでエンジニアリングが強みの商売人と名乗ってもいいのかな、とこれからの時代は思っています」。
書籍を開くより前にできることもある。直近で自分が下した非機能要件の判断を、事業の言葉で言い直してみる。専門家への依頼を読み返し、目的、制約条件、成功指標、代替案、リスクのうち、いくつを渡していたかを数えてみる。AIへのプロンプトなら書けているはずのものが、人への依頼では抜け落ちているかもしれない。
「今日の話が自分ごととして捉えられたら、やり始めていただければと思います」。蜂須賀氏はそう言って、クロージング講演を終えた。
