SHOEISHA iD

※旧SEメンバーシップ会員の方は、同じ登録情報(メールアドレス&パスワード)でログインいただけます

CodeZine(コードジン) ProductZine

CodeZine編集部では、現場で活躍するデベロッパーをスターにするためのカンファレンス「Developers Summit」や、エンジニアの生きざまをブーストするためのイベント「Developers Boost」など、さまざまなカンファレンスを企画・運営しています。

人生を『変化するシステム』として捉える

人生を『変化するシステム』として捉える
#1 なぜ努力が報われないのか


生成AI時代、なぜこの話が今、重要なのか

 冒頭の技術ブログ担当者の話に戻ります。その担当者の問題は、怠惰でも技能不足でもありませんでした。半年後に何が変わっていれば成功なのかを、誰も渡していませんでした。そして、それを尋ねる立場に一番近かったのは、社内で一番軽く扱われている担当者でした。

 この現場で必要だったのは、誰のどの状態を良くしたいのかを関係者と言葉にし、現場の人から発信の材料と制約を知ることでした。担当者は、その情報経路を作る前に記事を出すことから始めました。ただし、これを担当者一人の段取りの誤りにはできません。目的を決める権限も、エンジニアの執筆時間を確保する権限も、担当者の側にはありませんでした。

 権限がなくても、打つ手は残ります。担当者の側には、断られた回数と理由、依頼から公開までにかかった日数、公開後に届いた質問や問い合わせがあります。これらを記録すれば、「重要だと言われているのに、時間がどこにも確保されていない」という体感を数で裏づけられます。設定を持つ人へ渡せる証拠です。渡しても結果が変わらなければ、誰が決められるのかを疑う段になります。

 生成AIは記事を出す速さを上げましたが、言葉にした望ましい状態と、記事本数を増やす実際の振る舞いのズレまでは埋めませんでした。すでに望ましい状態と情報経路が共有されている現場なら、すべての記事で同じ確認を最初からやり直す必要はありません。

 生成AIを使うと、成果物を作る工程と、望ましい状態と境界を確かめ、文脈を集め、判断基準を育てる工程を別々に進められます。両者が切り離されるかどうかは、完了条件に何を含めるかで決まります。社内で交わされていない会話や、AIへ渡していない現場の判断は、文章生成の速度を上げても入力されません。

 工程の省略自体は新しくありません。電卓も暗算の過程を省略してきました。生成AIで変わったのは、一部の計算だけでなく、候補の作成、比較、説明まで短時間で委任できる範囲です。人間側に残す工程を先に決めなければ、完了後に判断理由を復元しようとしても、比較時に捨てた候補や未確認の前提は残りません。

 生成AIを使えば、成果物は以前より速く、多く作れます。しかし、望ましい状態と境界を確かめず、現場を観察せず、予測と結果を比べて説明する工程まで省けば、判断基準への流入は増えず、情報経路も整いません。ここに、つくる速度と、次にも使える形でわかる速度の非対称性が生まれます。AIは短時間で文章やプログラムを生成できますが、人間やチームの判断基準は、予測と結果との差を確かめ、別の課題で使う中で育ちます。情報経路も、関係者から文脈を受け取り、結果を返すやり取りによって維持されます。

 認証(ログインの仕組み)のように複数の方式がある機能でも、AIを使えば短時間で動く成果物を作れます。検査が通り、動作に問題がなくても、「なぜこの方式を選んだのか」と聞かれたとき、比較した条件をたどれない場面があります。これは作成者の記憶力だけの問題ではありません。候補、採用理由、未確認の危険を残す工程が完了条件になければ、設計の判断は成果物と一緒に引き継がれません。

 先ほどの物差しの不一致と同じ構造です。成果物の量は目に見えますが、判断基準が別の課題でも使えたかは見えにくいです。組織も個人も、早く観測できる方に引っ張られます。

 感情面にも非対称性があります。成果物は増えたのに、「自分で判断して作った」という実感が薄れることがあります。苦労の量より、予測し、選び、結果を引き受けた手応えが残っているかを見ます。その手応えが工程から抜けると、完成品が増えても達成感や自信にはつながらないことがあります。

 責任と学習にも同じギャップがあります。AIが生成した成果物でも、「なぜこの提案にしたのですか?」と聞かれれば答えるのは人間です。確認作業をAIに渡した人と、自分で予測し、結果との差を確かめた人とでは、同じ本数を扱っても残る判断基準が異なることがあります。経験の量だけでは、学びの深さを測れません。

 図中の(+)は前の変数が増えると後ろも増える関係、(−)は前が増えると後ろが減る関係を示します。点線は成果物が積み上がっても、判断基準と共有記録の蓄積は自動では増えないことを表しています。後者には望ましい状態と境界の確認、取材、比較、説明という別の流入が要ります。

非対称性が生む悪循環

 非対称性は複数ありますが、判断基準に関わる経路だけを取り出します。

 判断理由を残さない生産を続けると、改善の出発点を失います。成果物を直せても、なぜ直したかが次の判断へ戻りません。判断基準が不足すると、次の仕事でも候補の生成と選択をAIへ広く任せる条件が強まります。

 「じゃあAIを使わなければいい」と思うかもしれません。ここではAIの使用をやめるより、使い方を含む仕事の構造を見直します。この技術ブログなら、下書きの前に望ましい状態と境界、情報源を確かめ、現場から受け取った事実と判断を人が検証し、公開後の反応を次のテーマへ戻します。すでに確認済みの定型情報なら経路を短くできますが、何を省いたかは説明できるようにします。

 もう少し正確に言えば、AIに渡す作業と、人や組織に残す経験を分けることです。下書きはAIに任せることもできます。しかし、望ましい状態とテーマを選んだ理由は、人が検証して次回も参照できる記録に残します。現場から得た事実、案の採否と理由、公開後に確かめる反応も同様です。ここを設計しない仕事の組み方では、次の判断を育てる試行錯誤と、次の情報を受け取る関係が工程に含まれなくなります。

この道具が説明しないこと

 この記事の初めに、万能ではないと書きました。何を説明できないかを置いておきます。

 観察したことを構造として説明すると、その説明の外にある要因が記録から落ちやすくなります。「これはループの問題だ」と名づけた後も、偶然、感情の揺らぎ、人間関係の機微は残ります。構造仮説には、まだ説明できないことと、外れた場合の見直し方が必要です。万能の道具は存在しません。それでも、次に確かめる条件を一つ増やせます。

今回のまとめ

 努力の量を増やしても同じ結果が繰り返されるときは、量の効果と構造の仮説を分けて検討します。問題を要素・つながり・目的が作る振る舞いとして見れば、時間差や結果の戻り方を観察できます。生成AI時代には、成果物を作る工程と、望ましい状態と境界を置き、現場を観察し、判断基準を育てる工程が切り離されやすいです。「生産と理解の切断」に加え、上流の情報や関係を飛ばしたまま、下流の生産だけを速められるという課題も見えやすくなりました。

 大量の記事が残っても、望ましい状態の共有、現場から受け取った判断、次の企画を支える情報経路が残らないことがあります。だから「努力が足りない」と結論づける前に、努力がどこへ流れ込んでいるかを見ます。目標、結果が届くまでの時間差、測っているもの、使えるリソース、変え方のズレを見ます。

最初の一手は「半年後に何ができていたら成功か」と、いま時間を使っている工程を並べることです。並べたうえで、五つのどれを疑うかを一つ選び、当たっていたら何が変わるはずかを書いて、確かめる日を決めます。望ましい状態を言葉にせず記事本数だけを置き、時間の大半も記事生成に流れているなら望ましい状態と境界、情報の流れ、結果が戻る経路を見直す余地があります。

この記事は参考になりましたか?

連載通知を行うには会員登録(無料)が必要です。
既に会員の方はを行ってください。
この記事の著者

nwiizo(ヌウィゾウ)

インフラエンジニアとしてホスティングサービスの開発・運用に携わり、深夜のオンコール対応をきっかけに、運用のあり方を本気で考えるように。現在は株式会社スリーシェイクにソフトウェアエンジニアとして在籍。技術書の翻訳や書籍の執筆をいくつか手がける。本を作ると、わかることが1つ増えるのと引き換えに、わからな...

※プロフィールは、執筆時点、または直近の記事の寄稿時点での内容です

この記事は参考になりましたか?

この記事をシェア

CodeZine(コードジン)
https://codezine.jp/article/detail/29296 2026/09/02 12:39

イベント

CodeZine編集部では、現場で活躍するデベロッパーをスターにするためのカンファレンス「Developers Summit」や、エンジニアの生きざまをブーストするためのイベント「Developers Boost」など、さまざまなカンファレンスを企画・運営しています。

新規会員登録無料のご案内

  • ・全ての過去記事が閲覧できます
  • ・会員限定メルマガを受信できます

メールバックナンバー