コードに個性はいらないが、文章は違う
伊藤淳一氏は、12年ぶりとなるデブサミ関西の壇上で話し始めた。前回登壇した2014年は3人で12〜13分ずつ話す小さなセッションだったが、今回は立ち見が出るほどの会場になったといい、会場の変化に驚いていた。ブログ歴16年、Qiita歴14年。ランキング上位やはてなブックマークのホットエントリー入りも多く経験している。
商業誌の執筆経験も豊富で、『プロを目指す人のためのRuby入門』(通称チェリー本)や、今年発売した『技術記事を書く技術』、9月には海外書籍を監訳した『世界で闘う エンジニア・アウトプット力を鍛える本』も発売した。
「AIが登場して開発が変わったか」と問われれば、答えは「YES」だと伊藤氏は即座に言う。キーボードを叩いて0からコードを打つ機会は減り、Claude Codeにコードを書かせ、動作確認してよければそのままコミットするという進め方が増えた。ならば同じ理屈で、技術記事の執筆もAIに任せてしまえばいいのではないか。そう考える人も増えているだろうし、実際にそういう流れも見えている。だが伊藤氏自身は、AIに執筆を委ねていない。
その理由は、コードと文章の違いにある。「書くもの」という意味ではどちらも同じだが、ユーザーがコードを直接読むことはない。コードの目的はまずコンピュータを動かすことであり、可読性は大事でも個性は不要だ。「これは明らかに伊藤さんの書いた癖の強いコードだな」と言われるようなコードは嫌がられるはずで、コーディング規約やリンタは、いわば個性を消す方向に働く仕組みだと伊藤氏は言う。
一方、文章は書かれたものを人間がそのまま読む。書き手と読者をつなぐインターフェースであり、読み心地は読者に直接影響する。個性のない技術記事はどこか味気なく、誰が書いても同じような文章ばかりになれば、それはそれで寂しい。ここに、コードでは許されない書き手固有の色を文章では大事にしたいという伊藤氏の立場がある。
AIで書くのが楽になって起きたこと
生産性の観点でも、コードと文章は同列には語れないと伊藤氏は続ける。仕事でコードや文章を書くなら生産性は重要だが、Qiitaやはてなブログに並ぶような技術記事の多くは、そもそも仕事として書かれているわけではない。
伊藤氏自身、記事はプライベートの時間を使って書いている。仕事でない以上、生産性を必ずしも優先する必要はなく、多少は生産性が下がってでも大事にしたいものがあっていいはずだ、というのが伊藤氏の考えである。
そう前置きしたうえで伊藤氏が向き合うのは、AIの登場によって技術記事を書く側・読む側それぞれに起きている変化だ。書く動機も、読む習慣も、これまでとは異なる理由で変化している。
