70〜80点の文章を直すぐらいなら、最初から自分で書く
人間に記事が読まれにくくなっている今、伊藤氏があえて自分の手で書き続ける理由は四つある。
一つ目は学びを深めるためだ。記事を書くのは人のためであると同時に、自分のためでもある。考えながら書くことで自分の理解が整理され、調べ直す過程でさらに理解が深まる。
逆に書くネタが見つからない、伝えたいことがないという状態は、AIに頼りすぎて自分の学びが止まっているという警告、ある種の黄色信号かもしれないと伊藤氏は言う。実際、最低月1本というノルマを自らに課し、4年8カ月にわたって書き続けているという。
二つ目は等身大の記事を書くためだ。自分の言葉で説明できるかどうかが、技術を理解したかどうかの判断基準だと伊藤氏は考える。誰かの説明を借りるのではなく、自分なりの言葉で語れるかどうか。AIに書かせた記事を眺めて「うまく書けていそうだからOK」とするのは、この基準からするとやや怪しい。
三つ目は、自分の感性を残すためだ。AIは伊藤氏より物知りで、文章もうまく書けるかもしれないが、好みという意味での感性までは持っていない。好みに絶対的な正解はなく、オリジナルである自分自身をAIが超えることはないだろうと伊藤氏は言う。仮にAIに書かせた文章が70〜80点だったとして、それを読み返して手直しするぐらいなら最初から自分で書いたほうが初手で100点の記事になる。
人の顔をして近づいてくるAI
四つ目の理由は「人のふりをしない」ためだ。記事には書き手の名前やアイコンが添えられ、読者はその人が書いたものとして読み進める。そこに突然AI特有の言い回しが混ざると伊藤氏は「もしかして、お前はAIか…?」と疑い始め、そこから先を読めなくなるという。
人ではないものが人の顔をして話しかけてくる不気味さが、伊藤氏はどうしても苦手だと語る。自分がされたくないことを読者にはしたくないというのが本音だ。
だからといって、AIを使うなと言いたいわけではないと伊藤氏は釘を刺す。誤字脱字のチェックやわかりにくい部分の洗い出し、言い回しの相談や壁打ち相手として、伊藤氏自身もAIを日常的に使っている。今日のこの登壇準備もAIに相談したという。
ただし、主従関係で言えば主体となるのは自分であり、これが逆転すると問題になる。文章を書くのが苦手な人がAIの力を借りて発信する、忙しくてAIに助けてもらう、AIでどこまでできるか可能性を追求したい。任せる範囲は人それぞれでよいと伊藤氏は前置きしつつ、AIの利用はアウトソーシングの側面を持つとも指摘する。
どんな作業でも、そのすべてを明け渡せば手元に何も残らない。技術への理解や文章の個性、人間らしさをどこまで自分の手元に残すのか、それを考えたうえで今も自分の手で記事を書いていると伊藤氏は締めくくった。
