読み手の体験を考えないAI
AI登場以前は人間が苦労してコードを書き、APIドキュメントを読み、ググって、デバッグしてようやく動いた。その苦労を備忘録として、あるいは同じ轍を踏む人がいないようにと記事に残していた。これは裏を返せば、自分の手柄をアピールしたいという動機でもある。
ところがAIがすらすらとコードを書いてくれる今、「なんか動いてる」と眺めながらも、それは自分の手柄ではない。0から自分で書けばもっと時間がかかっただろうと思う一方で、苦労した実感が乏しいため書く動機が生まれず、伊藤氏自身も最近は技術記事のネタを見つけるのがしんどくなってきたという。
もう一つ、多くの人が実感しやすいものとして伊藤氏が挙げるのが、技術記事を読まなくなったという変化だ。以前なら「困った、わからない」の先にググって誰かの記事へとたどり着いていたが、今はAIに聞けば解決してしまう。
伊藤氏自身、記事を検索して読む機会は明らかに減った。加えて最近は、記事の分量そのものが増えている。開くと途中まで読んで「まだ1/4か……」とタブを閉じてしまう。自身が過去にAIを使わずに書いた長い記事を例に挙げ、こうした分量の記事は執筆に1〜2日はかかると振り返る。それが昔に比べてあちこちに増えているのを見て、伊藤氏は「たぶんAIを使って書いているんだろうな」と感じるという。
書き手と読み手のコストの逆転
この変化を、伊藤氏は「人間は自然のリミッターだった」という仮説で説明する。AI登場以前は何を書こうか考え、学んだことを整理し、言語化し、図やサンプルコードを加えて公開前に読み直す。この一連の作業に数時間はかかり、自分の時間というリソースを割く以上、どこかで「ここはもう書かなくていいか」「この説明はこれぐらいにしておこう」と内容は取捨選択されていた。それが結果として読み手にとって優しい分量、密度の濃い文章になっていた。
ところがAIに書かせれば、その制約がなく、すらすらと文章が生成される。書く側のコストが大きく下がった代わりに、大量のテキストを読む側のコストが相対的にふくらんでしまった。書き手と読み手のコストが逆転したというのが伊藤氏の見立てだ。
その逆転がもっとも悪い形で表れたものの一つが、「AIスロップ」だといえる(ここでは読み手の体験を考えていない記事が大量に出回る現象をいう)。ネタが減り、記事は読まれなくなり、書き手のコストが下がった一方で、読み手のコストは相対的に上がった。
伊藤氏の認識を共有したところで前半は終わり、後半は「では、僕はどうするのか」という自身の選択へと話は移っていく。記事を書くことをやめるのではなく、今も自分の手で書き続けるという選択だ。
