「AGIはもうあるのに」──速くなったのに、良くならない
マックス・ショーニング(Max Schoening)氏は、時々こんな冗談を言うという。
「もうAGI(汎用人工知能)があるのに、身の回りのソフトウェアは、思ったほど魔法のようには良くなっていないんですよね」
同氏は2026年9月にNotionのCTOに就任した(就任のお知らせ)。来日中の10月1日、メディアラウンドテーブルとは別に個別インタビューの時間をもらった。同社が掲げる戦略「コンテキストレイヤー」については、ラウンドテーブルのレポートにまとめている。本稿で聞いたのは、その戦略を支えるプロダクト開発の現場で何が変わり、何が変わっていないのかだ。
作る速さは間違いなく上がった。スマートフォンからメッセージを一通送れば、机に戻るころにはアイデアの簡易版ができているし、枝分かれした案をすべて試作して顧客テストに出すこともできる。それでも、AIの世界全体で見れば、GDPが爆発的に伸びたわけではない。チームの単位で見ても、プロトタイプは速くなった一方で、顧客に価値が届く速度はそこまで上がっていない。
なぜか。ショーニング氏の見立てはこうだ。
「私たちはずっと、ボトルネックはコードを書くことだと思い込んできました。でも本当のボトルネックは、良いアイデアを持つことなのかもしれません」
コードレビューの手間よりも重いのは、人間の注意力に限りがあることだと同氏は言う。
「自分たちのアイデアはどれも素晴らしく、エンジニアさえもっといれば全部作れる。私たちはそうやって自分をごまかしていたんです。いまやエンジニアリングの力は無限に手に入るようになりました。それでも、良いアイデアを持つのはやはり難しいと気づき始めています」
「何を残し、誰が決めるのか」への答えは茶室から
Notionは創業以来、アイデアをできるだけ簡単に探索できるようにし、悪いアイデアを持つことを許容して、そのコストを下げることに取り組んできた。その積み重ねの先で起きているのは、一種の逆説だ。
「何を作るかより、何を作らないかを決めるほうが難しくなってきています」
では、何を残し、何を捨てるのか。その基準は何で、誰が決めるのか。そう尋ねると、ショーニング氏は基準も決裁者も挙げずに、Notionの初期の話を始めた。
「初期のNotionを根本から作り直した作業の多くは、日本で行われたんです。創業者たちが日本に来て、素晴らしい茶室で時間を過ごし、ひたすら考え抜いた」
共同創業者のアイバン・ザオ氏も、2020年のインタビューで当時を振り返っている。創業から3年ほどで資金が尽き、社員を解雇して会社をリセットしたうえで京都に移り住み、Notionのブランドを一から作り直したという(ALL STAR SAAS FUND「万能ツール『Notion』共同創設者のIvan Zhaoが考える、プロダクト、採用、バリューのポイントを直接インタビュー」)。
そのうえでショーニング氏は、テイスト(taste)という言葉を使って、問いを投げ返した。
「私たちはテイストを体験しに日本へ来ているのに、その私たちに尋ねるんですね」
テイストとは「その場にいてどう感じるか」を知っていること
ショーニング氏によれば、日本は世界で最もテイスト(美意識や目利き)の高い国の一つで、しかもそれが一部の人に偏らず、広く行き渡っている。
「寺院を建てる人、伝統的な木組みを手がける人、器を作る人、完璧な寿司を用意する人。皆、その場にいるとどう感じるのかを知っています。それがテイストです」
ディテールを大切にすれば、プロダクトがなぜこうあるべきで、ああではないのかを考え抜くことになる。それがテイストなのだと同氏は言う。そこまで考え抜かれたものに十分な数の人が共感すれば、プロダクトは使われ、買われる。
ただし、日本の読者には耳の痛い指摘も続いた。
「日本のテイストが、いつもソフトウェアに反映されているとは思いません。日本のソフトウェアは、日本のデザインや伝統的な職人仕事ほどミニマルではないんです」
Notionは、日本の伝統的な美意識をソフトウェアに応用しようとしている。それも「日本の人たちがソフトウェアに応用しようとしている以上に」だという。磨いて、磨いて、磨き上げたうえで、「いや、これは違う。こうやるんだ」と言い切る。職人のやり方だ。
それが日々の運営にどう現れるのか。答えは毎週のプロダクトレビューだった。Notionでは毎週、取り組んでいるものをすべてレビューする。そのとき見るのは、全体を俯瞰した集計表や数字ではない。
「見るのは、顧客が何を体験するのか、です。デジタルのソフトウェアを作るとき、私たちはなぜかそれを忘れてしまう。でも物理的なものなら、いつも考えますよね。レストランに入ったとき、どう感じるか。よくできた机に座ったとき、どう感じるか。それと同じ見方で、良いものになっているか、使ってみてどう感じるか、どうすればもっと良くなるかを見るんです」
何を残し、何を捨てるかの答えは、基準表や決裁の仕組みとしては語られなかった。語られたのは、顧客の体験を毎週確かめ続ける場のほうだった。
