それでも、量を重ねる意味は残る
ここまでの話を、自分の勉強や習慣に持ち帰るときに気をつけたいことがあります。「構造が悪いのだから、頑張っても意味がない」と、試す前から決めてしまうことです。僕は、量を重ねなければ得られないものもあると考えています。ただし、きつかったという感覚と、実際に何が身についたかは分けて見ます。
僕は技術書やビジネス書、自己啓発本から、SFやミステリーまで、分野を問わず読んできました。読んだ内容がそのまま仕事に活きることは、正直に言うと少ないです。それでも長い文書を読み切る力や、知らない領域で要点へたどり着く速さには変化を感じました。違いをはっきり感じられたのは、そうした本を読み続けて3年から5年が経ってからでした。これは僕の振り返りであって、同じ年数を待てば誰でも伸びるという話ではありません。
ただ、読み終えた冊数だけでは何が身についたかまではわかりません。たとえば、読んだ箇所の要点を自分の言葉で説明できたか、どこを読み直したかも残しておけば、読む量と読み方を見直す材料になります。何も試さなければ、その材料も手に入りません。反対に、読む量を増やしても同じ難しさの文章で同じところにつまずくなら、量だけを増やす判断を見直します。

仕事の調べものとして読むなら、使いたい箇所をメモしておきます。実際の仕事でそのメモを参照し、役に立ったかどうかで次に読む本を選べば、ここにも一つの循環ができます。読んだ冊数だけを見て次の本を増やすのとは、結果の戻し方が異なります。参照して役立ったか、次に同じ問題を解くときにも使えたかまで見れば、読む対象を選び直す材料になります。成果が遅く返ってくるからこそ、途中で確かめるものを一つ持ちます。
