コロナ禍によるデジタル化の波で千載一遇のチャンスを得た「EdTech」
ドワンゴは、2016年に学校法人角川ドワンゴ学園が運営する通信制高等学校「N高等学校」を開校したことを皮切りに、現在さまざまな教育サービスを展開しており、特にスマホアプリを通じて予備校の授業を受けたり問題集を解いたりできる「N予備校」は数多くのユーザーから支持されている。
本セッションに登壇したドワンゴの顧問である川上量生氏によれば、現在EdTech業界には「空前の変革のチャンス」が訪れているという。
「保護者や生徒は実績のない教育手法へお金や時間を使うことには極めて慎重で、既存の教育機関も、今のやり方で回っているのに、外部から新しい技術を導入するインセンティブがない。まして、お金とかを払ってくれるわけがない。B2CもB2BもEdTech企業にはつらい状態でした」
しかしコロナ禍によって社会全体でデジタル活用やオンライン化の必要性が叫ばれるようになり、これまで保守的な態度を崩そうとしなかった既存教育機関も次々とEdTechを採用するようになったという。「このチャンスを逃してはならない」と川上氏は力説する。
「コロナ禍により一気に流れが変わりましたが、これはあくまでも一過性の外的要因なので、これを機に日本の教育が変わらないとひょっとしたらもう二度と変革のチャンスは訪れないかもしれません。このチャンスを逃さないために今EdTech業界がやるべきことは、企業の垣根を越えた『情報共有』だと考えています」
この千載一遇のチャンスを逃さずにEdTechを教育の世界に一気に根付かせるためには、EdTech企業同士の競争や切磋琢磨が重要である一方で、業界全体でムーブメントを継続させる努力をしないと、せっかくのチャンスを逃してしまうことにもなりかねない。そこで「EdTech企業がやっていることを広くオープンにして他社と共有するとともに、世の中に対してそのメリットをアピールする努力をしていかないと、教育業界はなかなか変わっていかないのではないでしょうか。私たちもそのために、こうした場を借りて自社でやっていることを真っ先にオープンにしていきたいのです」と川上氏は訴える。
勉強を面白くするためのゲーミフィケーション手法の理想と現実
ドワンゴでは教育事業を手掛けるにあたり、まずは教育というものに対する「理想論」や「きれいごと」を疑ってかかることから始めたという。
「教育を語る言説にはきれいごとや理想論ばかりが多く、現実をクールに分析する視点が欠けているように感じます。『生涯教育』『勉強の楽しさを伝える』といった高邁な理想を語るのは決して悪いことではないのですが、それだけでは万人のための事業にはなり得ません」
現実的には、大多数の生徒は勉強を「やらなくてはいけないこと」だとは分かっていても、本音の部分では「できればやりたくない」と思っている。教育業界に参入するときに行った同社のマーケティング調査によれば、教育に対して消費者がお金を払うのは大学受験(およびそこから逆算した高校受験や中学受験)か、もしくは資格取得といったように、就職におけるメリットを得るために「必要に迫られたとき」ぐらいしかないといった結果が出たという。また、多くの若者は社会に出て労働するまでの間のモラトリアムを得るための手段として「仕方なく」勉強しているというのが現実だ。
教育論で語られる理想論やきれいごととは異なり、実際には大半の生徒にとって勉強というものは「本当はやりたくない」「つらい」ものなのである。だとすれば、EdTechが目指す方向性も「本来はつらいものである勉強をいかに面白くこなせるようにするかに注力すべきだろう」と川上氏は語る。
そのために最も有力な手法と現在考えられているのが、ゲームの手法を取り入れて学習を楽しく進められる教材コンテンツの開発・提供だ。いわゆる「ゲーミフィケーション」の手法を取り入れるやり方だが、「現在多く見られるゲーミフィケーションの実装方法はあまりうまく機能していないのではないか」と川上氏は疑問を呈する。
「多く見られるのが、クイズゲーム形式で問題を出題していくというものですが、これではクイズゲームのフォーマットに合わせるために問題形式に制約がかかってしまい、内容に偏りが生じてしまいます。また一般的なゲームと同じように、ステージをクリアしないと次に進めない形式では、自分が学習したいポイントを絞り込んで勉強することができず、学習意欲の高い生徒にとっては逆に効率が悪い教材になってしまいます」
また、教材の製作とゲーミフィケーションの設計・開発が一体化してしまうと、システムの仕様変更の柔軟性がなくなり、教材コンテンツの使い回しも難しくなってしまう。加えて、教材の製作とゲーミフィケーションの設計・開発の両方に長けた人材はほとんどいないため、「教材とゲーミフィケーションが密結合した状態でクオリティを上げることは、現実的に難しいでしょう」と川上氏は指摘する。
外資系ベンダーの独占を阻止するためにもオープンな情報交換を
そこでドワンゴが開発・提供するN予備校アプリでは、教材とゲーミフィケーションを分離して開発・運用している。教材の製作は問題集の執筆経験のある予備校講師に依頼して、彼らが普段、制作している問題と同じやり方、なおかつ、スマホで見ること考慮にいれた授業のコンテンツフォーマットを開発した。一方、ゲーミフィケーション的な要素としてはN予備校アプリに講師と生徒、生徒と生徒の双方向コミュニケーションの機能を実装した。このようにすることで、教材と勉強の面白さを切り離して双方をそれぞれ柔軟に向上できる仕組みを実現している。
授業のコンテンツ作りはその道の専門家が行うことで、教材とコンテンツ・サービスを切り離して双方をそれぞれ柔軟に更新できる仕組みを実現している。
その結果、自由度の高いフォーマットで教材を作成することができ、センター試験レベルの教材をアプリを通じて提供できるようになった。同時に、仲間と一緒に学び合う感覚を得ながら学習効果を高められる「双方向生授業」や、先生に質問できる双方向コミュニケーション機能など、さまざまなアプリ機能を教材製作と切り離して柔軟に実装できるようになった。
「5年前からシステムの大きな進化はないものの、教材を適宜追加していくことで今でも最前線のデジタル教材の地位を確保できていると自負しています。おかげさまで多くの方に使っていただき、またN高等学校をはじめとする教育事業全体の損益分岐点も超えたため、(5年間、システムのアップデートは中断していたが)今後さらにN予備校の機能を進化させていきたいと考えています」
具体的には、IRT(項目反応理論)の手法を導入して、問題が異なるテストでも生徒の能力を短時間に公平に評価できる仕組みを確立していく。そのためには大量の問題を用意する必要があるが、これを実現することでN予備校アプリ上で模試相当の実力判定テストを自動生成・実施できるようになるという。
またLMS(ラーニングマネジメントシステム)の機能を強化し、ログデータを解析することで将来の学習時間の予測や、学習進捗度を管理できる機能の実装を目指す。さらには、アイトラッキングのデータを取り込み、外部のAIサービスと連携することで、より高度なデータ解析を行う計画もあるという。
こうした一連の仕組みを実現して教育の現場に根付かせるまでには、まだまだやるべきことは多いが、川上氏は「やるべきことは極めて単純で、本当はとっくに実現できていてもおかしくないことだ」と力説する。
「目標となる学習テーマを決めて、試験で現在の実力を判定し、必要な学習の内容と時間を割り出した上で、実際にその通りに学習してみて成果を実力判定する。この単純なサイクルをデジタル教材の上だけで回す仕組みは、技術的にはとうに実現可能です。しかしこのまま国内のEdTech業界の停滞が続けば、確実に外資に根こそぎ持っていかれてしまいます。そうならないために、ぜひ皆さんと一緒にオープンな情報交換を進め、保守的な教育業界に風穴を開けていければと考えています」
川上氏はこう語り、セッションを締めくくった。