60事業を支える決済基盤の技術的負債と向き合う理由
合同会社DMM.comで決済基盤部門のリードエンジニアを務める藤井善隆氏は、急拡大する多事業体を支える巨大基盤のモダナイゼーションを牽引してきた。長年の成長と継ぎ足しによって複雑化したレガシー基盤に正面から向き合い、再構築を進めてきた。
DMM.comのサービスの歴史は1998年の創業期にまで遡る。現在の決済基盤に残る最古のコミットは2013年頃のものだが、それ以前のアーキテクチャ思想やサービス要件が地層のように影響を残し続けているという。設計はモノリスではなくマイクロサービスアーキテクチャを採用しているものの、実態はPHP、Go、Java、Scalaが混在し、インフラ自体もオンプレミス・EC2・ECS・EKSと時代ごとに変遷を重ねてきた。
加えて、60を超える事業を単一の決済基盤が支える構造が、複雑性をさらに押し上げた。事業ごとに異なる要件が累積し、依存関係も拡散。障害発生時には広範囲に影響が波及してしまう。藤井氏のミッションは、この「混沌」に秩序を取り戻すことだった。
藤井氏がまず着手したのは、改善戦略の策定だ。3〜5年という中長期的な視点で、現状把握と課題の言語化に徹底的に時間を投じた。採用したのは、「As-Is」「To-Be」「課題(Why)」「打ち手(How)」「バックログ(What)」という改善フレームワークだ。
As-Isの分析により、サービス間の複雑な依存関係、障害時の影響範囲の大きさ、そして担当者によって認識が異なる暗黙知の多さなどが可視化された。一方、To-Beではドメインモデルに基づく疎結合なアーキテクチャ、リアクティブシステムによる高い障害耐性、さらにはSRE文化が根付いた組織といった理想像が描き出された。
しかし、理想を掲げただけでは変革は進まない。負債返済は日常の開発業務と並行して進めるため、現実的かつ実行可能なロードマップが必要となる。そこで藤井氏が採用したのが、スクラム開発でも知られるEBM(Evidence-Based Management)だ。不確実性の高い環境で、経験と定量指標に基づいて価値創出を最適化するフレームワークである。
藤井氏はEBMをもとに、改善活動を推進するためのゴールを三つの階層へと整理した。最上位には「戦略的ゴール(3〜5年)」を据え、基盤モダナイゼーションの完遂と、SREに基づく改善サイクルが自律的に回る姿を定義した。
続いて「中間ゴール(四半期・期末)」では、戦略を具体的なマイルストーンへと落とし込み、節目ごとに到達すべき姿を設定した。さらに「即時戦術ゴール(スプリント)」では、1〜2週間単位で達成できる短期成果を積み上げ、日々の開発と長期戦略を地続きにする仕組みを構築した。
こうして遠くにある理想像と、現場がいま取り組む作業とが一本の線で結びつき、チーム全体に共通の視界が生まれた。
その上で不可欠となるのが、ステークホルダーへの説明責任である。技術的負債の返済は、新規機能のように即座に売上へ寄与するものではない。そのため「その取り組みが何をもたらすのか」という問いに対し、「市場価値の直接的向上ではなく、組織の能力(Capability)を底上げする行為である」と明確に説明する必要があった。
技術的負債を返済することは、将来の開発速度・品質・安定性を支える基盤への投資にほかならず、ビジネス継続性に直結する取り組みだ。この共通認識を持つことが、藤井氏がプロジェクトを推進する上での前提条件だった。
