実装が速くなっても、開発プロセス全体が速くなった現場はなかった
インディードリクルートテクノロジーズは、リクルートグループの人材テック事業の一翼を担う会社として米Indeed, Inc.とともに「Indeed PLUS」を開発・運用するエンジニア組織だ。2025年6月にClaude Code、同年9月ごろにはCodexを自部署のエンジニア全員に配布し、使い方は現場に委ねた。
黒田氏は冒頭、「AIに関する議論は『仕事が消えるか』と『どのモデルが賢いか』に集まりやすいのですが」と前置きしたうえで、今日のテーマはどちらでもない「ボトルネックはどこへ移るか」であることを宣言した。AIを使って実装を進めた現場では確かに開発速度が向上した感触があった。だが、開発プロセス全体を通して同じように速くなった現場は、なかったというのだ。実装自体は速くなっても、どこかが次のボトルネックになる──黒田氏が1年間の観察を通して得た気づきだ。
この変化の構造を理解するために、黒田氏はまず産業史を解説。蒸気機関の登場から工場の動力が置き換わるまで、およそ1世紀かかり、英国の石炭消費は1900年までに3倍に増え、労働者は減るどころか増えた。これが、1865年にウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズが『石炭問題』で指摘した、効率化がかえって需要を増やす「ジェボンズのパラドックス」だ。
経済学者のダロン・アセモグル氏とパスクアル・レストレポ氏が整理したように、自動化は既存タスクを機械に置換する「代替効果」と同時に、人間に比較優位のある新しいタスクを創出する「復権効果」をもたらしてきた。ただし復権効果は自動で発生するわけではない。電気の時代の教訓がそれを示しており、電気を引いただけの工場では生産性は上がらなかった。モーターを前提に作業の順序まで組み替えた工場から、初めて効果が出たのだ。復権効果は、技術に合わせて仕事を組み替えた側に来るというのが黒田氏の説明だ。
日本のITエンジニアは1985年の約32万人から2024年には約144万人へと4.5倍に増えた。単位コスト(機能1つを実装するコスト)が下がるたびに用途が広がり、総需要が増える。ジェボンズのパラドックスは、ソフトウェアの世界でも繰り返されてきたのだ。そして今、AIがコーディングだけでなく、設計案・テスト・調査・移行・レビュー補助まで開発プロセス内の生成作業を広く抽象化し始めている。「歴史の構造に従えば、この先に起きるのは史上最大級の分化と再配置です」と黒田氏は指摘する。
AIで開発コストが下がると、ROI成立境界そのものが下がり、部署単位・顧客単位・業務単位の個別開発が境界上に浮上してくる。「我々が直面するのは『作れない』ではなく、『作る対象が増え続ける』状況です」と黒田氏は語る。
ただし、下がるのは初期開発のコストだけだ。動かし続けるコストは自然には下がらない。その非対称さが、1年間の事例を通じて「ある結論」をくっきりと浮かび上がらせた。
