教育現場で行われている5つの仕掛けと環境整備
自ら考え行動するマインドを育てるにはどうすべきか。sumire氏は「考える」「判断する」「手を動かす」という一連の開発プロセスを循環させることが極めて重要だと説く。最初は指導者が伴走しながらサイクルを回し、最終的には補助輪を外し、一人で開発プロセスを回せる状態を目指す。
この目標を達成するため、sumire氏は専門学校の授業において、実務に直結する5つの具体策を取り入れている。
1. 身の回りの「なぜ?」を刺激するアイスブレイク
第一の実践策は、日常の事象に対する観察眼と課題解決思考を養う「アイスブレイク」だ。sumire氏は、午後の授業の冒頭5〜10分を活用し、開発に関連するテーマで雑談形式のセッションを行っている。
例えば、学生が「最近このアプリを使った」と話題に出した場合、単なる感想で終わらせないようにしている。「自分ならどう作るか」「どのような設計にするか」「ボタン配置はどうするか」「ユーザー増加時の拡張性を考えた際、その設計で耐えられるか」「どのような技術スタックで実現するか」といった実践的な問いを次々と投げかけ、学生たちの思考を促す。
飲食店で普及しているモバイルオーダーを例にとっても、「使いにくい」と感じたなら「なぜ使いにくいのか」「どのようなUI/UXであれば改善されるか」を言語化することが、エンジニアにとって極めて重要な感覚となる。
日常で接するサービスやシステムに対し、「なぜ?」「自分ならどうする?」と自発的に問いを立て、周りの事象を他人事ではなく「自分事」として捉える習慣を養うことが、この時間の最大の狙いだ。
2. 3時間に圧縮した「デザインスプリント」の導入
AIの力を借りて即座にプロトタイプが作れる時代だからこそ、「作る前に考える」プロセスの重要性が増している。そこでsumire氏は、プロダクト開発の手法である「デザインスプリント」を授業に導入している。
本来のデザインスプリントは、Googleの投資部門などで用いられる、デザイン思考を用いて課題解決とアイデアのプロトタイプ検証を1週間(5日間)かけて行う短期集中のフレームワークだ。授業時間の制約を踏まえ、sumire氏はこのエッセンスをわずか3時間のショートカット版に凝縮して実践させている。
このワークでは、すぐにコードを書き始めることを禁じる。「どんな課題があるのか」「どうすれば課題が解決するのか」「困っている人は世の中にどれくらいいるのか」「なぜ困っているのか」を徹底的に深掘りさせる。考えた内容を書き起こし、チーム内で議論して合意形成を図り、意思決定を行うプロセスを体験させる。獲得した「課題の本質を見極める力」と「チーム内での合意形成スキル」は、デザインの文脈にとどまらず、実際の開発現場やステークホルダーとのコミュニケーションにおいても強力な武器となる。
3. 顧客の潜在ニーズを引き出す要件定義ワークショップ
より実務に近いコミュニケーション能力を鍛えるため、クライアントが存在する具体的なケースを想定したロールプレイング型のワークショップも実施している。例えば、sumire氏自身が架空の飲食店店長役となり、学生に対して「うちの店にモバイルオーダーを導入したい」と抽象的な要望を投げかける。
ここで重要なのは、学生が要求通りに一般的なシステムを作成して持参するだけでは合格にならない点だ。「なぜモバイルオーダーが欲しいのか」「店舗にはどのような顧客層が何人来店するのか」「どのようなメニュー構成か」など、最初の依頼に含まれていない潜在情報を、自発的なヒアリングで引き出すトレーニングを行う。
実際の開発現場では、顧客自身も真の要件を言語化できていないことが多い。こちらからヒントを与えず、能動的に質問して要件を整理する経験が、エンジニアとしての基礎体力を引き上げる。
4. どんなに小さなアプリでも必ず「公開(デプロイ)」させる
実際のWeb開発演習においては、フロントエンド、バックエンド、データベース構築という一連の流れを経験させる。その際、生成AIの活用やコードのコピー&ペーストは全面的に許可している。ツールを使いこなす能力も現代の開発スキルの一部だからだ。ただし、絶対的なルールとして「作成したアプリケーションは必ず公開(デプロイ)すること」を課している。
ローカル環境で動いて満足するのではなく、自動化されたリリース手順(CI/CDパイプライン)を構築し、インターネット上のサーバーに公開して誰もがアクセスできる状態にする。「どれだけ小さなアプリであっても、この一連の流れが完結しなければ、ユーザーへ課題解決を提供するというWeb開発本来の価値は成立しない」とsumire氏は指導している。
5. 学びを止めない「試行錯誤できる環境」の提供と課外活動の推奨
教育側には、言葉で教えるだけでなく、学生が安心して失敗し、学びの機会を自ら拡張できる環境を整える責任もある。
sumire氏は、受講生33人全員に対して個別の仮想サーバー環境を構築し提供している。いつでもサービスをリリースでき、設定を試行錯誤して環境を破壊しても簡単に復元できる環境を用意することで、遠慮なくインフラ技術に触れる機会を創出している。
また、IT初学者が陥りやすいセキュリティインシデントへの対策も進めている。学生がGitHubなどを利用する際、APIキーや秘密鍵といった機密情報を誤って公開リポジトリにプッシュしてしまう事故は後を絶たない。
注意喚起だけでは完全に防ぐことが難しいため「漏洩事故は必ず起こり得るもの」という前提に立ち、万が一情報が漏れても安全な独自のプライベートLLMサーバー環境の構築を企業と連携して進めているという。これにより、有料のAIサービスを契約できない学生間の格差をなくし、全員が安全かつ平等に最新技術を試せる土壌を整えている。
さらに、教室内での学びに留まらず、成果物の学外コンテスト応募やハッカソンへの挑戦、地域コミュニティやオフラインイベントへの参加を推奨し、成績評価に連動させている。「授業で学べるのはごく一部に過ぎない。挑戦の機会は、自らの足で外部に取りに行く必要がある」という事実を、実体験として学ばせるためだ。
