4つの壁を突破する実践アプローチ
4つの壁に対し、奥村氏はそれぞれ対応するアプローチを示した。
暗黙知の壁には「SECIモデルの活用」だ。SECIモデルは経営学者の野中郁次郎氏が提唱した組織的知識創造のプロセスモデルで、共同化(S)・表出化(E)・連結化(C)・内面化(I)のサイクルを通じ、暗黙知と形式知を循環させて組織全体の知識を増やす考え方だ。「AI時代においては、AI-Readyになった形式知をいかに増やすかが重要です」と奥村氏は指摘。リモートワークで培ったスタイルを利用し、会議の録画をテキスト化して形式知として積み上げるサイクルを実践した。
情報アクセスの壁には「AI可読化」で対応する。「AIが読めない情報は、存在しないも同然」という発想のもと、保存場所をAIが参照できる環境へと変更した。ExcelやWordといった既存のドキュメントはAIがマークダウン形式へ変換できるため、「まず置く場所を変えること」から始められる。ConfluenceやJiraへのMCP接続、AWSのMCP活用も積極的に整備している。
信頼性の壁には「ハーネスエンジニアリング」で臨む。素の状態のAIは一般知識については高性能だが、プロジェクト固有の知識を持たない。そこでKiroの「Steering」機能を用いてプロジェクト固有のルールをガードレールとして事前注入し、さらに「レビュー用スキル」として別のAIが出力を検証する自動チェック機構を整備した。加えて、人が最終確認しなければならない箇所を絞り込み、環境コードの自動変換なども実現している。
対人・創造の壁には「準備の移譲」で向き合う。これまでコミュニケーションに関わるすべての業務は人間が担っていたが、打ち合わせ前の論点整理・下書き・過去経緯の要約といった準備、打ち合わせ後の議事録整理といったフォローの部分をAIに任せ、人は意思決定と感情が絡む場面のみに集中する役割分担へ設計を変えた。
生産性1.1倍から始まる改善サイクル
4つの施策を進めた先には、フロー効率という「次のボトルネック」が待っている。各タスクの時間見積もりをAIの活用前提で見直し、浮いた時間を次のタスクへ充てる再スケジューリングが必要になる。「人がやれば10時間かかるところをAIで3時間にできるなら、スケジュールも3時間で引き直す必要があります」と奥村氏は語る。人間にとって必ずしも歓迎される考え方ではないかもしれないが、後ろにバッファを持たせたスケジュール感をあえて作っていくことが求められるという。
改善のサイクルはPDCAで回す。アンケートで現状を計測し、仮説を立てて施策を実行し、再び効果を計測する。ロードマップは「1.1倍→1.5倍→2.0倍」と段階的に設計しており、現在は施策1と施策2を実施したことで最大生産性と適用範囲に改善傾向が見られる段階だという。
AI時代のエンジニアに求められること
最後に奥村氏は「これからのエンジニアが目を向けるべきこと」を3点に整理した。「自分から積極的に学び、AIをどんどん活用して個人の生産性を3~5倍に高めること」「暗黙知をAIで利用可能な形式知に変えるサイクルを回すこと」そして「チーム全体を見渡し、ボトルネックを見つけて改善し続けること」の3つだ。「『個人の生産性が3~5倍になり早く終わってラッキー』で終わりにせず、チーム全体で見たときに『ここが遅そうだ』『ここに待ち時間が発生してしまう』という視点で改善していくことが求められます」と奥村氏は語った。
明日からできるアクションとして提示されたのは、「Web会議の録画から始める形式知化」「AIがアクセスできる場所への情報の格納」「AI利用を前提にしたタスクの時間見積もり直し」という、どれも低いハードルで実践できる具体的な一歩だった。「わずか1.1倍の生産性向上」という結果をシグナルとして受け止め、構造を分析して対策を実施し、また計測して次の制約に向き合う。奥村氏のように、このサイクルを回し続ける姿勢が、AI時代のエンジニアリングチームに求められている。
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