Salesforceサービス開発責任者の登壇
Salesforceといえば、まずマーク・ベニオフ会長の顔を思い浮かべる人が多いはずだ。著名雑誌の表紙を飾り、トップ・インフルエンサーに名を連ねる同会長は、同社のビジョンをリードする一方、業界随一と言われるトップセールスの名手だ。
一方、Salesforceの共同設立者であるパーカー・ハリス氏は、そうした派手な場面にはあまり顔を見せない。しかしハリス氏はCTOとして創業時から同社をリードし、現在でも利用するテクノロジーの選定も含めた製品戦略を統括し続けている。「マネージメントのマーク、テクノロジーのパーカー」というコンビは、米ウォールストリート界隈から高く評価されてきた。浮き沈みが激しいシリコンバレーで、大企業のトップが19年間変わらないのも珍しい。
そんなハリス氏が同基調講演で「ほら、まだ僕の髪が黒いでしょう!」と、はにかむ口調で黎明期に撮った一枚の写真を紹介した。スライドのタイトルは「We Set out to Make CRM Easy For Everyone(我々は誰でも使えるCRMを届けます)」というもの。サブタイトルには、「クラウドデータを誰でも使える」「先端技術知識はいらない」「どんな企業でも成功できる」……の文章が並ぶ。常に先端技術を取り入れサービス開発を牽引してきた同氏が、それが無くても成功できるための製品を古くから真剣に考えていた点は興味深い。
またそんな若き日の写真に続いて同氏は「A New Tech Hero Was Born:The Salesforce Admin(新しいテックヒーロー誕生、それがSalesforceのアドミニストレーターだ)」というタイトルと共に、Salesforce管理者が並ぶ写真を紹介した。『若き日に描いたビジョンが多くの人に受け入れられている』事を暗示する一枚だ。
おそらくは、この頃から「先端アプリを誰でも学べて、楽しく使える」という基本コンセプトが、同社に育まれてきたのだろう。設立間もない頃は「End Software(ソフトウェアの終焉)」などと過激なキャッチフレーズを掲げていた同社だが、今はそれがSalesforceの学習を支援するゲーミフィケーションというエレガントなコンセプトに昇華されている。
専門知識のいらないAIアプリケーション開発
続いて同基調講演のデモンストレーションではJLL社が登場した。1999年に設立されたJLL社はエージェンシー・リースから投資業務まで手広くやっている不動産業界の大手。年間売上は68億ドル(約7600億円、2016年末)、従業員7万7,000名で、米国を中心に、ロンドンや中東、アジアでも事業を展開している。
同社で営業管理ソフトとしてSalesforceを利用しているメンバーは全事業部にまたがる約400名。副社長兼上席Salesforce Administratorの肩書を持つナナ・グレッグ氏は、メンバーの細かい希望に従ってカスタム・アプリケーションを構築することが使命だ。
彼女は今回、新機能(パイロット/β版)のLightning Object CreatorとEinstein Prediction Builderを活用した、プロジェクト期間をAIで予測するアプリを構築して見せた。
デモはまず既存のスプレッド・シートのレイアウトを元に、Salesforceにおけるデータベーステーブルであるカスタムオブジェクトを自動的に作成し、ビジネスプロセスを適用するワークフロープロセスを構築。その後、Einstein Prediction Builderを開き、画面から分析対象のオブジェクトを指定するだけで、同社のAIであるEinsteinによってプロジェクト終了期間を予測する機能を盛り込んだ。
実際にEinsteinを動かすと、担当者が感覚で入力したのは105日というプロジェクト期間だったが、過去の実績などのデータからAIによって120日の正しい予測を導き出すことに成功した。
このデモでは、専門的な技術的知識なしにプロジェクト管理アプリにAIによる予測機能を追加している。また、大手消費財メーカーであるユニリーバのデモでも同様にEinsteinによる予測機能を簡単に実装していた。
高度な専門知識と開発期間が必要だと思われているAI機能がノンプログラミングで実現されていく。
米国では一般に「大企業で数百本、多国籍企業なら1000本を超えるアプリケーションを利用している」と言われており、それは単純なスプレッド・シートやワープロソフトからSaaS、ビッグデータ、モバイル、IoTソリューションまで多種多様だ。
そして近年エンタープライズITでも、AIの活用が急速に台頭しつつある。
このような状況では、一つのITシステムごとに専門家をアサインたり多額の予算を投入するということは事実上難しい。しかし、ITシステムの優劣が企業競争力を左右し、株価から経営陣の進退まで左右する米国では、ITシステム需要は際限がない。
このような厳しい状況において、Salesforceでは非技術職のシステム管理者を貴重なIT戦力に変身させるのだ。ノンコーディング・プログラミングとはいえ、日々の業務に必要な機能を彼ら自身が現場で作成していく姿を見ると、彼らももはや”開発者”なのかもしれない。
ノンプログラミングが普及すれば開発者は必要なくなるのか?
Salesforceのアプリケーション開発は本当に技術知識のない管理者がすべて行えるのだろうか?
もちろん実際はSalesforceのアプリケーション開発においても専門知識やプログラミングが必要な場面は大いにある。
例えば、SalesforceのUIは、ビジネスロジック処理については標準的・簡易的なものであればノンプログラミングでレイアウトするなど自由に作成が可能だが、標準には無いインタラクティブなUIを必要とする場合やJavaScriptなどの知識、高度なトランザクション処理が求められる場合などには、Salesforceアプリケーション開発向けの、Javaによく似た言語であるApexの知識が必要となる。
さらに言えば、さまざまなアプリケーションが開発できるSalesforce Platformも、全社ITエコシステムからみたらCRMを基軸とした一部に過ぎない。レガシーを含めたその他の基幹アプリと連動しなければ、その価値は半減するだろう。そうしたSalesforceを取り巻く多種多様なITエコシステムとスムーズな連動を図るには、APIの知識や高度なプログラミング技術を持つ開発者の力が欠かせない。
そこでSalesforceではAppExchangeと呼ばれるマーケットプレイスを用意しており、ソフトウェア開発者が作成したUIコンポーネントやビジネスロジックを、管理者が自社のSalesforceへコピーして利用できる機能も提供しており、魅力的で高度な部品を生み出す開発者とそれを組み合わせてアプリを作る管理者、といった構図が成り立つ。これからはお互いの強みを生かした効率的な開発が企業の競争力となっていくのだ。
同社のTrailhead(無料eラーニング)には管理者のみならず開発者が専門知識を学ぶためのコースも豊富に用意され、更にはCTA(Certified Technical Architect)を頂点としたアーキテクト・開発者向け資格認定制度も提供しており、プロフェッショナル開発者の育成もに力を入れている。
実際にDreamforceには、顧客企業の管理者と一緒にAccenture社やPwC社といったグローバル企業や日本のテラスカイ社などSIerの従業員も多く参加していた。こういった点は開発側からもノンコード開発を行う管理者との協業が注目されていることを物語っているだろう。
MuleSoft買収によるインテグレーション戦略の変化
また、今年の5月にSalesforceがMuleSoft社を約65億ドル(約6,800億円)で買収したことによるインテグレーション戦略の大きな変化も忘れてはならない。
Salesforceは古くからREST/SOAPベースのWeb APIを提供しており、データの出し入れを行うことは容易だが、実際の外部のシステムとの統合、とりわけレガシー・アプリケーションへの統合は難易度が高く、統合プロジェクトの成否は開発者のスキルに依存する状態であった。
そんな中、Salesforceは「API-led Connectivity(API主導の接続性)」を標榜するMuleSoftを買収。同社のAnypoint Platformは、レガシー・アプリケーションを含めたあらゆるエンタープライズ・アプリケーションをAPIサービス化し、GUIベースで設定できるフローを用いて簡単につなぎ合わせるための製品だ。MuleSoftでは数百にも及ぶ主要アプリケーション向けのAPIコネクタを既に用意しており、迅速で柔軟性に富むインテグレーションを目指している。
この買収は、Salesforceがレガシー・アプリケーションも含めたより大きなITエコシステム全体のインテグレーションへも「Salesforce流」を浸透させようと狙っているものといえる。これまで開発者たちは、複雑化したITエコシステムをつなぎ合わせる、いわば縫製作業ともいえるインテグレーション機能の開発に多くの時間を費やしてきた。それが、MuleSoftによって大幅に削減できるようになる。企業の競争が激化する中、人と時間を差別化要素に集中できる意義は非常に大きい。
ノンプログラミング管理者による開発の民主化を、インテグレーションの世界にも適用することができたなら、同社にとってそれは大きなエポックになるだろう。