このお話の舞台は、飲食店の予約サービスを提供するIT企業のプロジェクトチーム。ツワモノぞろいのチームに参加した新人デザイナーのちひろは、変わり者のメンバーたちに圧倒されながらも日々奮闘しています。第2回となる今回のテーマは「カンバン」です。
登場人物
和田塚(わだづか)ちひろ
この物語の主人公。新卒入社3年目のデザイナー。わけあって変わり者だらけの開発チームに参加することに。自分に自信がなく、周りに振り回されがち。
御涼(ごりょう)
物静かなプログラマー。チームではいろんなことに気を回すお母さんのような存在。今後もちひろをよく見て助けてくれる。
鎌倉
業界でも有名な凄腕のプレイングマネージャー。冷静で、リアリストの独立志向。ちひろにも冷たく当たるが…
藤沢
チームのリードプログラマー。頭の回転が速く、リーダーの意向を上手くくみ取って、チームのファシリテートにもつとめる。
境川(さかいがわ)
彼の声を聞いた人は数少ない。実は社内随一の凄腕プログラマー。自分の中で妄想を育てていて、ときおりにじみ出させては周りをあわてさせる。
片瀬
インフラエンジニア(元々はサーバーサイドのプログラマー)。他人への関心が薄いケセラセラ。ちひろのOJTを担当していた。
1人で抱え続けたタスクの行方
「まあまあ、藤沢くん。そのくらいにしておいたら」
御涼さんが割って入らなければ、藤沢さんの問い詰めはあとどれだけ続いたか分からない。私は、うっすらとにじんだ視界を正すべく、目頭を拭いた。その様子を見て、藤沢さんはふっとため息をついて私から視線を外し、ホワイトボードに向き直った。
「毎回同じことを言ってる気がしますよ。いい加減、タスクが終わらないと分かった時点で、自分からアラートをあげたらどうなの」
私に振られたタスクがまた終わらなかったのだ。ふりかえりをやるようになって、できることが少しずつ増えてきた。そこで、自分から積極的にタスクを取りに行くようにし始めているのだけど、裏目に出てしまっている。自分のキャパシティをあっさり越えて、タスクは中途半端な状態で山のように残っていた。
いつものやりとりが終わるのを待ちかねていた鎌倉さんが、やれやれと口にして朝会をクローズしようとしたところで、異変に気がついた。
「おや。片瀬は?」
「そういえば、まだ来てませんね。この時間になっても来ないのは、うっかりが平常運転の片瀬さんでもめずらしいですね」
「彼もタスクを背負いすぎていて、最近夜が遅かったですよね。このところ、だいぶ元気がなかったように思います」
厚い眼鏡の奥で心配そうに目を細めて、御涼さんがリーダーの方を見た。片瀬さんに何か起きているのではないかと訴えかけているようだった。鎌倉さんもめずらしく考え込む様子だ。
「そうだな。あいつは、一人暮らしだったな。昼になっても来なかったら様子を見に行った方が良いな」
「じゃあ、私が行ってきます」
御涼さんが即座に答えた。鎌倉さんもうなずく。
「…あ、私も行きます!」
お前はそんな暇ないだろうと、藤沢さんが止めに入るより早く、御涼さんが返事をした。
「はい、2人で行きましょう。和田塚さんのタスクは、後で私がフォローしておくわ」
もう好きにしてくださいよとばかりに、藤沢さんはホワイトボードペンを乱暴に置いた。その雰囲気に、私はまた気持ちが弱くなるのだけど、御涼さんは「大丈夫、大丈夫」と小声でつぶやいた。藤沢さんにも、私にも、言い聞かせているようだった。
1人ではなく「チーム」で仕事をする
結局、昼を過ぎても片瀬さんはチームのプロジェクトルームには現れなかった。私と御涼さんの2人で、片瀬さんが住んでいるワンルームマンションを訪れた。ドアの前に立ち、何度もチャイムでコールしたが、一向に反応はない。御涼さんは、少し焦った様子でドアをたたき始めた。
何度かドアをたたきコールを重ねて、ほぼ諦めかけたとき、ようやくドアが開いた。現れたのは、髪の毛がすべて逆立ちしている片瀬さんだった。まぶしそうに目を細めながらこちらを見ている。
「…あれ? …御涼さんと、和田塚さん? …なんすか」
「なんすかじゃないよ。何があったの? 何の連絡もなく急に来ないから。皆で心配したんだから」
片瀬さんは、えっと絶句し、自分のスマホを取り出して何かを調べ始めた。
「…あ。メッセが送れてなかった…」
どうやら、風邪をこじらせたようで熱が高く、今日は休みを取るとメッセージしたつもりが、送れていなかったらしい。御涼さんはほっと安心したようなため息をつくと、片瀬さんを押しのけて、ずかずかと部屋に入った。私もあわてて続く。
「どうせ何も食べていないんでしょ。何か作るわ」
キッチンに立ち、手際よく洗い物を始めた。片瀬さんはまだ熱が続いてるらしく、ぼーっとした様子でベッドに戻り、額に手をやって荒い息をし始めた。私はどうして良いか分からず、おろおろして、とりあえず御涼さんの邪魔にならないように、片瀬さんの傍らに座った。
私がそばにいることに気づいた片瀬さんは、スマホを取り出してイジり始めた。まもなく、私のスマホが鳴る。片瀬さんからのメッセージだった。
「…それ、俺のTODOリスト。」
リストには、20個くらいのタスクが並んでいた。
「え! こんなに!?」
片瀬さんは、荒い息を整えながら言葉を続けた。
「…自分がやれることだから、何でも取ってきた。1人だけでやっていくのは気も楽だからね。でも。1人では一人前以上の仕事はできない。 …チームで仕事することを始めないといけない」
結果的に仕事を放り出した形になっているのを、片瀬さんは気に病んでいるようだった。うっかりが多いとか、藤沢さんには茶化されているけれど、出会ったときから責任感の強い先輩だったのだ、片瀬さんは。
「だけど、実は俺はこれまでチームで仕事するということを、それほどやれてきたわけじゃないんだよね。だからどうしたら良いか分からない。鎌倉さんのチームは、すごいメンバーが集まっている。むしろ、集まりすぎているから、個人個人でタスクをこなすだけになってしまっている」
そういう状態をどうにかしたいんだけど、自分にはすべがない、と片瀬さんは言いたげだった。天井を見つめながら、自分の過去を思い起こしているのだろう。前職でどんな風に仕事していたかを独り言のようにつぶやいていた。片瀬さんの昔話をぶった切って、私は宣言した。
「私たちの現場は過去の思い出の中にあるんじゃなくて、イマココだと思います」
案の定、呆気に取られた様子で片瀬さんは私の方を見た。今度は私が片瀬さんの役に立ちたい。
「私が、あの集まりをチームにしていきますっ」
どうすれば良いかの作戦は全くない。私がやれることをやるだけだ。上手い下手じゃない、やるだけ。片瀬さんが教えてくれたことだ。
「…そうだね。和田塚さんみたいな向こう見ずな人が、このチームには必要なのかもしれないな」
「あれ? 私のこと褒めてます? それとも、ちょっとバカにしてます?」
片瀬さんはそれには答えず、唐突に寝息を立て始めた。私は、片瀬さんの送ったタスクを眺め直して、まずはこれを片付けようと決意した。