生まれ育った土地への愛着や"いい波"を求めた結果、宮崎への移住を決意
――まずは、それぞれ自己紹介をお願いいたします。
長友孝之(以下、長友):宮崎県ソフトウェアセンターで、宮崎県の「宮崎県ICT人材スカウト事業」である「ひなターンみやざき」の運営統括を担当し、事務局の運営に携わっています。「ひなターンみやざき」は当社が受託して2021年7月より運営を開始し、宮崎県のICT企業情報の発信や交流会などの企画・運営を通じて、県外のUIJターン希望のエンジニアの移住支援を行っています。いわばICT人材を宮崎にスカウトする役割ではありますが、私自身「宮崎で働くエンジニア」でもあるので、今回は自分のリアルな体験を踏まえてお話をさせていただければと思っています。
狩野岳洋(以下、狩野):私も長友さんと同じく宮崎県ソフトウェアセンターで、情報サービス部の主任として働いています。よろしくお願いします。
――お二人とも、もともとは県外でお仕事をされていたそうですね。どんなお仕事をされていたのでしょうか。また、なぜ宮崎に移住しようと思われたのでしょうか。
長友:私は実家が宮崎県にあり、約10年前にUターンで戻ってきました。以前は、東京でインフラ系のエンジニアとして働いていたのですが、その時に宮崎県のお客さまを担当することになり、そのご縁を伝って戻ってくることを決意しました。いつかは宮崎に戻ってこようと考えていたので、それがきっかけとも言えるでしょう。当時はエンジニアというよりIT教育系のインストラクターとしてジョブチェンジする形で入社し、5年前から管理職として業務にあたっています。
狩野:私は全く地縁のないIターンで宮崎県に移住してきました。もともと神奈川県の湘南出身ということもあってサーフィンが趣味で、どんどん"いい波"を求めて住む場所を変えているうちに、約10年前に宮崎県にたどり着きました。
以前から、仕事もしっかりしつつ趣味も充実させたいと考えており、宮崎県に来る前は千葉県の房総地域に住んでいたこともあります。房総も波はよかったのですが、電車通勤からは逃れられず、東京の会社まで2時間近くかけて通勤していたんです。さらに、私が住んでいたエリアは公園などの施設が少なく、子育てする生活環境としてもう少し利便性が高いほうが良いと考えました。そこで、以前から「波がいい」と聞いて憧れていた宮崎県も含めて移住先を検討し、地方都市として生活に便利で、かつ自然も豊かな、両方のいいとこどりができる宮崎県への移住を決めました。
――実際に、Uターン、Iターンをされて、以前の生活とどのようなところが変わりましたか。また、想定外だったところはありますか。
長友:正直に言えば、東京の方が刺激的で楽しかったというのが本音ですね(笑)。でも、生まれ育った土地として愛着もあるし、歳を重ねていく中で、落ち着いた生活ができるというのは大きな魅力に感じました。
狩野:私は東京の刺激的な生活より、断然"いい波"のある生活のほうがいいです。休日はいい波があれば、サーフィン三昧で楽しんでいます。ただ房総でも波はよかったので、一番「変わった」と感じたのは"通勤"でしょうか。満員電車に乗らなくていいというのは、やっぱり快適です。先に居住地を決めてから今の会社に入ったので、距離にして37kmほど、車で約1時間かかるのですが、好きな音楽を聞きながらなので、ほとんどストレスはないですね。
長友:ほとんどみんな車通勤ですが、狩野さんのように時間をかけている人は少ないかもしれません。私は15分ですし、遠い人でも30分程度ですね。
狩野:私が住んでいるのは宮崎でも山の方で、庭先に猿やモグラが出没する自然豊かなところです。その分、近所を気にせず好きな時にバーベキューもできますし、すぐに海にも出られるので最高です。とはいえ、最初は全く知らない土地ですし、知り合いはいないので不安なところもありましたが、子どもの保育園や地域の行事などを通じて徐々に知り合いが増え、そこから輪が広がりました。宮崎の人って、はじめはとっつきにくい印象がありますが、親しくなると本当に面倒見がいい人が多いと思います。
長友:そのあたりはちょっと踏み込んで、自分から入っていこうという気持ちは必要かもしれませんね。基本、どの地域でもシャイな人は多いし、地方は特にそうじゃないでしょうか。