老舗組織が成長を阻む「4つの足かせ」と向き合う
1989年に創業したパーソルキャリアは、転職・副業・リスキリングといったHR領域で右肩上がりの成長を続けてきた。しかし、その成功の裏側には、長年の蓄積が生んだ「技術的負債」という巨大な影が潜んでいるという。
岡本氏がまず指摘したのは、組織の成長スピードを鈍化させる要因の存在だ。特にモノリスでレガシーなシステムは、単にコードが古いという技術的問題にとどまらず、組織構造そのものが「知識のサイロ化」を招いていた。個別のサービスが独立して動くことで、ドメイン知識は特定の担当者に紐付き、結果としてアーキテクチャが分断され、形骸化するガバナンスもあった。
この状態では、全社横断的なスピード感を持った意思決定は望めない。そこで岡本氏は「5年後、今の延長線上で戦い続けられるのか」という自問自答を組織全体に投げかけた。生成AIの登場以降、現状維持はもはや後退と同義であるという強い危機感があるからだ。同社はこの「4つの足かせ」を断ち切り、事業そのものをAIで再定義する決断を下したのである。
IT組織は、ビジネスを加速させる「アクセラレータ」へ
IT組織が陥りがちな最大の罠は、事業側からのオーダーに対してのみ「適切に回答する」という受注者の立場に甘んじることにある。岡本氏は、既存の力学を前提としない構造へ転換する必要があると説明。目指すべきは、テクノロジーを単なるコストセンターとして扱うのではなく、ビジネスを共に成長させる「戦略パートナー」へと位置付け直すことだ。機能中心のアプリケーションを愚直に作るフェーズを終え、ビジネスとITを統合し、組織全体を「インテリジェンス」へと昇華させる挑戦が始まっている。
そのための具体的な土台として打ち出されたのが、「二層分離」というアーキテクチャ・コンセプトである。これは、電気や水道のような社会インフラに相当する「プラットフォーム層」と、各事業が迅速に価値を提供する「サービス層」を切り分ける考え方だ。データやAIインフラ、ネットワークといった共通基盤は全社横断で徹底的に安定・強化させ、その上で各サービスはサイロ化を恐れずに独自の進化を遂げられる環境を構築する。この「守りの標準化」と「攻めの自律性」の両立こそが、激変するAI時代に立ち向かうための、同社にとっての最適解であった。しかし、この分離を実現するためには、システムの作り方そのものを根本から変える必要があった。
ドメイン知識をシステムへ──AIエージェント化への道筋
単に既存の機能にAIを付け加えるのではなく、いかにして「自律型のAIエージェント」へとアプリケーションを進化させるか。ここで岡本氏が鍵として挙げたのが、「ドメイン駆動設計(DDD)」の徹底した活用である。AIを有効に機能させるためには、ビジネス現場に眠る複雑なドメイン知識を、いかに正確にシステムへ落とし込むかが成否を分けるからだ。
DDDというフレームワークを用いることで、ビジネスの境界線を「コンテキスト」として定義し、業務単位でサービスをマイクロサービス化していく。この一見すると地道なエンジニアリングの基本こそが、高い独立性を持つAIエージェントを構築するための道筋となる。また、これらは大規模なリプレイスによる「ビッグバン」方式ではなく、影響範囲の少ない領域から徐々に切り離し、レガシーを「枯らしていく」という、極めて現実的かつ戦略的なアプローチが取られている。既存の巨大なモノリスを尊重しつつも、着実に未来のアーキテクチャへと移行させる。この思考プロセスこそ、多くのエンジニアが直面する「技術的負債への向き合い方」への深い示唆となっている。
スピード感とガバナンスを両立させるためのアーキテクチャ
現場がAIを自由に使おうとした際、最大の障壁となるのがガバナンスのリスクである。一つひとつのプロジェクトで個別にコンプライアンス審査を行えば、それだけで数か月を要し、AI時代のスピード感からは取り残されてしまう。そこで岡本氏らが進めているのが、あらかじめ安全性が保証された「ガードレール付きの環境整備」である。利用先をトラックできるゲートウェイを設け、開発環境を抽象化・標準化することで、エンジニアはリスクを恐れずにスピーディーな検証が可能になる仕組みだ。
投資判断の基準も刷新された。「AIプロダクトマネジメント」を導入し、個別の最適化ではなく、全社的なビジネスインパクトを最大化する領域へ集中投資を行う。さらに、AIの燃料となるデータについては「データメッシュ」の考え方を採用し、データを単なる材料ではなく「プロダクト」として扱う文化を醸成している。高品質なデータを全社横断でオーケストレーションできる基盤を整えること。このインフラ側の整備と、DDDによるアプリケーション側の整備が噛み合って初めて、真のAIネイティブ組織への転換が加速するのである。だが、これらすべての施策を成功させるためには、エンジニア一人ひとりの「マインドセット」の変革が不可欠であった。
AI時代の組織で重要なのは、互いの専門領域を超えること
技術的な基盤がどれほど整っても、それを使いこなす組織のOSが古いままであれば価値は生まれない。岡本氏は、組織の構造自体を「ハイブリッド型のマトリクス組織」へと進化させる必要性を指摘する。これは、エンジニアとしての深い専門性を追求する一方で、事業価値に直接コミットする柔軟さを併せ持つ組織のあり方だ。
AIがコードを書き、デザインやPoCなどを作れるようになるこれからの時代、エンジニアはコードを書くだけ、ビジネス側は企画書を作るだけといった境界はシームレスに溶けていく。エンジニアが企画に踏み込み、企画者がプロトタイプを自ら作る。それぞれの専門性を軸足に置きつつも、領域を超えて互いに“染み出す”ことで、プロダクト開発のサイクルは劇的に高速化する。
岡本氏は「全員がAIプロダクトマネージャー」としての視座を持つことが主流になると予測している。失敗を恐れず挑戦し、職種の壁を超えて価値創造に没頭できる文化。この新しい組織OSの装着こそが、変革の核心である。
再び訪れた産業革命の渦中を楽しむ──今、エンジニアが立つべき場所
こうした変革の種は、すでに具体的なサービス成果として芽吹き始めている。法人向けスカウトサービス「doda ダイレクト」では、大規模言語モデル「LLM」を活用した「検索条件の自動生成機能」を導入し、ダイレクトリクルーティング業務の準備工数を大幅に削減することに成功した。
また、プロダクトへの活用を見据えたAIの研究・開発も進めている。汎用的なGPTに頼るだけでなく、コストと精度の両立を目指し、「自社開発の小規模言語モデル(SLM)」の構築にも成功した。人材業界ならではの専門用語や、ニッチな文脈に最適化された独自AIを持つことは、今後の大きな差別化要因となるだろう。
最後に岡本氏は、現在の状況を「産業革命並みの転換期」と表現した。テクノロジーとビジネスが溶け合い、誰もが事業変革の主役になれるエキサイティングな時代だ。エンジニアにとって、これは自らの役割を再定義し、組織や事業のあり方そのものをデザインしていく「モデルチェンジ」の機会である。この変化の波を脅威として捉えるのではなく、未知の領域を切り拓く絶好のチャンスとして、共に楽しみながら進んでいこうという力強いメッセージで、セッションは締めくくられた。
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