第1回目の抜粋(2-1 余白の価値)はコチラ!
ゴキゲンでいること。言い方を変えると、ポジティブマインドでものごとと向き合うこと。この前向きな姿勢は、目の前の課題を乗り越える原動力となったり周囲の雰囲気まで変えていったりと、大きな力を持っています。
ゴキゲンは人を前進させる
私たちを取り巻く世界は、不確実性に満ちています。こうすればうまくいくと思っていたものが思いもよらない出来事で失敗したり、そもそも前提が崩れていったり。そういった変化の最中にあって、ゴキゲンさは再び立ち上がり前進する原動力となります。
レジリエンス
レジリエンスとは一般に「復元力」や「しなやかな強さ」を意味しており、この記事では「心の回復力」として用いています。
「竹」という植物があります。昔話の「竹取物語」で取り扱われたり、そもそも日常の中で目にする機会が多かったりと、我々にとっては大変馴染み深い植物です。竹は強い風や大雪で大きくしなっても、ポキっと折れてしまうことなく、状況が過ぎ去ればまたもとのまっすぐな姿に戻る力強さを持ち合わせています。レジリエンスとは、まさにこの竹のような強さのイメージです。ソフトウェアエンジニアは、ときおり強い風や大雪に晒されるようなストレス環境に晒されることがあります。
たとえば、本番環境での障害発生。リリースした機能に重大なバグがあり、サービス停止を伴う大規模な障害が発生し、ユーザーから多数のクレームが寄せられるような状況。目の前で発生している事象をまず止めなければいけないし、なぜ発生したか原因を特定しなければならない。そのうえでユーザーからの問い合わせに対しても、サポートデスク部門などと連携しながら適切に対応していく必要があります。
このとき、「自分のせいでユーザーにも会社にも損害を与えてしまった」という罪悪感を抱いてしまったり、「誰のせいでこれが発生したんだ?」と犯人探しをするような行動をとったりしてしまうと、肝心の障害からは復旧しないし人間関係は悪くなるしでいいことがありません。
一方で、冷静に状況を把握し、再発防止までを見越して迅速に対応を進めていくことは、顧客への影響を最小化しつつ自分たちの学びにも転換するしなやかさをもたらします。発生してしまったことだけと向き合い閉じこもってしまうのではなく、そこから脱却し前進するために行動する。そういったレジリエンスを持ち合わせておきたいものです。
このように大きなプレッシャーをしなやかに受け流し、未来の糧へと転換する力こそがレジリエンスです。気をつけたいのが、レジリエンスというのは「何があっても動じない鋼のメンタル」や「決して落ち込まない強さ」という剛性の高い力強さとは質感が異なるという点です。
困難に直面したとき、適切に落ち込んだり悩んだりすることを認めつつ、そこから立ち直り、教訓を得て次の一歩を踏み出す力がレジリエンスです。辛いということ、うまくいっていないことを認めるしなやかさ。失敗や批判に対して「全くへこまない」のがレジリエンスなのではなく、「へこんだ状態から、自分の力でもとの状態に戻ってこられる」のがレジリエンスなのです。
たとえば、仕事で手痛い失敗をした夜、「こうすればよかったんじゃないか」という考えが頭の中を占領し、うまく眠れないかもしれません。しかし、レジリエンスが高い人は、翌日か数日後には「この失敗から学べたことは何だろう?」「次はどうすればうまくやれるか?」と、自然と意識を未来や改善に向けて切り替えることができます。
この「立ち直る力」は、変化の激しい現代において、長期的にパフォーマンスを発揮し、心身の健康を保つために不可欠なスキルとして注目されています。
判断力の柔軟さを保つ
ポジティブ心理学[1]の「拡張形成理論(Broaden-and-Build Theory)[2]」 によれば、人はゴキゲンでいる(ポジティブな感情を持つ)とき、思考や行動の選択肢が広がることがわかっています。心に余裕が生まれ、ものごとを多角的に捉えたり、普段なら見過ごすような代替案に気づきやすくなったりするのです。
[1]人間の強みや幸福に焦点を当てる心理学の分野で、従来の心理学が問題解決に重きを置いたのに対し、人間の長所やウェルビーイングに注目している
[2]Fredrickson, B. L. (2001). The role of positive emotions in positive psychology: The broaden-and-build theory of positive emotions. American Psychologist, 56(3), 218–226.
たとえば、リリース直前にクリティカルなバグが発見されたとします。ネガティブな雰囲気が渦巻くチームでは犯人探しが始まり、「だから言ったのに」「切り戻すしかない」といった硬直した発想に陥ります。視野が狭まっているため、「巻き戻す」か「強行する」かという極端な選択肢しか見えなくなりがちです。
一方、ポジティブさをまとったチームでは、「リリース前に不具合を見つけることができてよかった。どうやって解決していくか考えよう」と、課題解決に意識が向かいます。「ユーザーへの影響範囲は?」「暫定的なパッチで凌げないか?」など、冷静かつ創造的な選択肢が次々と挙がってきます。
予測不能な仕様変更や突発的な障害が日常茶飯事である開発現場において、このゴキゲンさによってもたらされる認知的な柔軟性は、チームを前進させる最強の武器となるのです。
筆者が以前在籍していたチームで、次のような出来事がありました。
とあるリクエストのレスポンスタイムを短縮するという目標に向かい、リードエンジニアを中心に様々な試行錯誤をしていました。あるとき、そのレスポンスタイム短縮の試みについてリードエンジニアから報告があったのですが、残念ながら想定していたような効果は得ることができませんでした。そのときにリードエンジニアが発した言葉は、以下のようなものでした。
「今回はこの方法でアプローチしましたが、これだとレスポンスタイムは短縮できるけれども、アウトプットの品質に無視できない影響を及ぼすことがわかりました。なので、今回はこの方法だとうまくいかないとわかったことが成果です」。
一見すると開き直りのようにも感じられますが、答えが見えていない領域では、仮説の棄却そのものが前進です。重要なのは「わかった」で終わらせず、何がわかり、何がわからなかったのかを言語化して共有することです。たとえば、「品質に影響が出た条件」「影響の大きさ(指標)」「再現手順」「判断基準」を残し、次に試す仮説と合わせて示せば、探索は透明性を保ったまま次の一手につながります。
この手の改善は、最初から正解にたどり着けるとは限りません。だからこそ、つい「うまくいかなかったので成果はありませんでした、すみませんでした」といってしまいそうなものですが、うまくいかない方法を明らかにすること自体が成果であるという発想は、探索的な仕事を進めるうえで非常に重要です。
創造性と発想力を引き出す
革新的なアイデアは、リラックスした精神状態から生まれることが多くあります。ポジティブな気分は、ドーパミンなどの神経伝達物質の放出を促し、脳の学習や創造性に関わる領域を活性化させるといわれています。
しかし、それ以上に重要なのが、チーム内の心理的安全性です。ゴキゲンな雰囲気は、この心理的安全性を育むための土壌そのものです。
心理的安全性が高いチームとは、「こんな初歩的な質問をしても大丈夫だろうか」「突飛なアイデアをいったら笑われないだろうか」といった不安を感じることなく、誰もが安心して発言できる状態を指します。
たとえば、開発現場においてアーキテクチャの刷新を検討していたとします。心理的安全性が低いチームでは、発言するのは声の大きい一部のメンバーだけです。ほかの人は「うかつな発言をするとスキルが低いと思われる」「意見はあるけど、いっても取り入れてもらえないからな」と黙り込んでしまいます。結果として、いつもと同じような無難なアイデアしか出てきません。
一方、心理的安全性が高い(ゴキゲンな)チームでは、玉石混交の意見が屈託なく飛び交います。「この分野は素人ですが……」「違う視点からいうと……」といった前置きと共に、若手からベテランまで様々な意見が活発に飛び交います。一見、突飛に見えるアイデアが、議論を深めるきっかけになったり、ほかのアイデアと結びついてブレークスルーを生んだりするのです。
このように、ゴキゲンな雰囲気は、単に「職場が楽しい」というだけでなく、多様な視点を引き出し、チーム全体の創造性を最大化するための戦略的な環境投資といえるでしょう。
感情は伝染する
ゴキゲンな雰囲気はどこから生まれるのでしょうか。ゴキゲンさは、みなさん自身が積極的につくり出していけるものなのです。なぜなら、感情には伝染性があるからです。
チームの中に、いつも機嫌が悪かったり暴言を吐いたりする人がいると、だんだんと場の雰囲気が重苦しいものになっていきます。逆に、「今日も一日がんばっていこうよ!」とポジティブな空気を身にまとった人がいると、不思議とチームの雰囲気も明るくほがらかなものになっていきます。これらの背景には「感情の伝染」という現象があります。
この感情の伝染は、みなさんも日常の中で経験したことがあるはずです。映画やドラマに感情移入し思わず涙を流してしまったり、スポーツ観戦でゴールを決めて歓喜の声を上げる選手たちを見て、自分も心からうれしい気持ちになったり。これらは、「ミラーニューロン」と呼ばれる神経細胞により引き起こされる感情です。
ミラーニューロンとは何か
ミラーニューロンは、他者の行動を見たときに、まるで自分自身がその行動をとっているかのように活動する特殊な神経細胞です。別名「共感細胞」とも呼ばれます。
レモンをかじる人をみたときに、口の中に唾液がじわっと広がるのを感じることがあります。これは、レモンをかじる相手の姿を見て、みなさんの脳のミラーニューロンが発火し、「自分がレモンをかじっている」かのような状態を脳内でシミュレートした結果、身体的な反応(唾液の分泌)まで引き起こされた、ということです。
つまり、私たちは脳内で無意識に他者の行動や感情を追体験しているのです。
日常にあるミラーニューロンの働き
この働きは、私たちの日常のいたるところで見られます。
- あくび:誰かがあくびをするのを見ると、つられて自分もあくびをしてしまう
- 痛み:目の前で人が転んで膝をすりむいたのを見て、思わず自分の膝をさすってしまう
- 笑顔:赤ちゃんに微笑みかけると、赤ちゃんが微笑み返してくれる。店員さんに笑顔で接客されると、自分も自然と笑顔になる
なお、ミラーニューロンが働く対象は、人間とは限りません。テレビゲーム をやっていて自分が操作しているキャラクターが攻撃されたとき、思わず「痛てっ!」と発言してしまうなど、自己投影している対象にもミラーニューロンは反応します。
職場の環境で考える
では、これらミラーニューロンが職場でどのように働くのか考えてみましょう。
もしリーダーが眉間にしわを寄せ、ため息をつきながらパソコンに向かっていたら。きっと、その緊張感はストレスとなってメンバーに伝染し、チーム全体が不安やプレッシャーを感じてしまうでしょう。
隣の席の同僚がイライラしており、ひっきりなしに舌打ちをしたり貧乏ゆすりをしていたりしたら。きっと、その様子を目の当たりにしたみなさんは気持ちが落ち着かず集中力が削がれ、結果として自分自身もイライラしていくでしょう。
では、みなさんが楽しそうに、前向きな言葉を発しながら仕事に取り組んでいたらどうでしょうか。困難が降り掛かってきたときにも、「もうだめだ、おわりだよ〜」ではなく「こうでなくっちゃ!」「この山を乗り越えたらいいところまでいけるぞ!」と、あくまで前向きに突き進んでいたとしたら。そのポジティブな感情は周囲に伝わり、「あの人ががんばっているから自分もがんばろう」とチームの士気を引き上げていくことになります。
ものごとを前向きに捉えているゴキゲン状態であれば、よりこういったコミュニケーションを取りやすい状況になっているといえるでしょう。
みなさん自身がゴキゲンで居続けるのは、自分自身のためであり、同時に周囲のためでもあるのです。そして、ゴキゲンさは天性の性格からのみくるものではありません。自ら整えることができるのです。
ゴキゲンな人がいると、辛くなってしまう
自分が困難な状況に置かれ、心がすり減っているとき。隣で「こうでなくっちゃ!」「トラブルは成長のチャンス!」と太陽のように明るくふるまう人を見て、ああ、自分はあんな風にふるまえない。そもそもそんなに明るく捉えていいような場面じゃないでしょ? と、暗い気持ちになったり反発心を覚えてしまったり。そんな経験はないでしょうか。
よかれと思っての発言だと頭ではわかっていても、どうしても「白々しい」「本心でいっているとは思えない」と心を閉ざしたくなる。なぜ、そのような感情が芽生え、ポジティブさに対して息苦しさを感じるのでしょうか。この現象の根底にあるのは、自分の内面(感情)と、相手から提示される外面(あるべき姿)との間に生じる大きなギャップです。自分が「辛い」「しんどい」と感じている現実があるのに、根拠のない(少なくとも、みなさんから見て根拠がないように見えている)ポジティブさをぶつけられると、脳は「みなさんのそのネガティブな感情は間違っている」というメッセージとして受け取ってしまい、認知的不協和[3]を引き起こします。
[3]矛盾する認知や行動が同時に存在するときに生じる不快感で、人はこの不快感を減らすために認知や行動を変えようとする
また、相手がポジティブであればあるほど、「自分もそうでなければいけないのではないか」というプレッシャーが生まれます。ただでさえ辛い状況に対処しているのに、さらに「ポジティブな自分を演じる」というタスクが加わることで、心は二重に疲弊してしまうのです。これは、「有害なポジティブさ(Toxic Positivity)」とも呼ばれる現象です。
みなさんからは、ひたすらにポジティブにふるまう人が、困難な状況をありのままに認識せず、ただただ明るい言葉を並べているように見えるでしょう。そのため、相手が「現実から目をそらしている」ように見えてしまい、信頼することさえ難しくなっていきます。では、このような状況に陥ったとき、私たちはどうすれば自分自身の心と向き合えばよいのでしょうか。
まず、自分の感情を肯定しましょう。「ポジティブな人を見て疲れてしまう自分はダメだ」と責める必要は一切ありません。その感情は、みなさんが自分の心に正直である証拠です。まずは「そりゃ、今は辛いよな」と自分自身の気持ちを認めてあげることが大切です。
そして、自分が辛いと感じているとき、無理に相手に合わせる必要はありません。「ちょっと集中しますね」と自分の作業に没頭したり、少し席を外したりして、その場から離れることも有効な自己防衛です。
また、周囲を頼ることも大切です。信頼できる同僚や友人に「今、正直しんどくて」と打ち明けてみましょう。誰かに自分のありのままの感情を受け止めてもらう経験は、心を回復させる大きな力になります。
このように一定の距離を置いて、冷静に観察しながら、ポジティブさのよい側面に着目していくことで自分なりに前向きさを落とし込むことができるでしょう。さて、みなさん自身が「ポジティブすぎる」場合はどうしたらいいでしょうか。前向きな姿勢はもちろん尊いものですが、その伝え方次第で相手を追い詰める可能性も知っておきましょう。本当の意味で相手の力になりたいなら、「共感」を入口にすることがなによりも大切です。
「トラブル大好き!」ではなく、「大変な状況だけど、何か手伝えることはある?」と声をかける。一方的な励ましよりも、まずは相手の置かれた状況を肯定し、同じ目線に立つ姿勢を見せること。それだけで相手は「この人は自分のことをわかってくれる」と安心し、みなさんのポジティブなエネルギーを素直に受け取る準備が整うのです。
ポジティブさは、本来は歓迎したいものです。だからこそ、そのポジティブさが誰かの独りよがりのものにならないよう、共感を起点としたポジティブさを大切にしたいですね。
刊行前重版を記念して、抜粋記事の第2弾をお届けしました。続きは書籍を確認いただけますと幸いです。ぜひお近くの書店でお手に取ってみてください。


