AIで得た実装速度を短納期ではなく、機能量と品質保証量に振り向ける
3つ目の軸は「主体」だ。高坂氏が伝えたのは「立場が変われば『正しい』の意味が変わる」ということだ。
品質を練り直す場面でよくあるのはQAの観点を増やす打ち手だが、同社は「観点を増やすというよりも、見る主体を増やしていったほうがいいだろう」と判断した。開発・QAは正しく動くか、意図した通りに動くかを見る。社内実利用は実際の使われ方を集める。そこに加えたのが、開発部門から独立して出荷可否を判定する「製品検査」という主体だ。初見で分かりやすいか、ある画面で違う言葉を使っていないか。作る人とは別の人がそれを見る。
より高い品質を担保するためには、異なる主体で、長い時間をかけて試用することが必要だ。同社は、さまざまな工夫により設計やレビューで縮まった時間でリードタイムを短縮するのではなく、「リードタイムの考え方は変えずに」検査の時間を確保し、社内実利用の期間を長く取った。社内実利用ではエラーログの検知と監視を強化し、失敗をためて、直していく。
もっとも、3つの分離で最も大事なのは分けること自体ではないと高坂氏は強調する。「距離の遠いところでしか本来見つけられないものを、きちんと近いところで検知できるようにするループを作るのが一番大事です」。遠い層で見つかった観点はスキル化して派生する成果物へ反映し、継続利用の問題は新規エラーの自動起票として監視へ戻す。月単位で見つけた失敗を、分単位・秒単位で捕まえられる場所へ降ろす設計だ。
結果は数字に現れた。1人・週あたりのMerged PR数は2.46から2.42で、AI導入前の1.42から上がった水準のまま変わっていない。Issueのリードタイム中央値も12.9で不変だ。「1個の機能を開発するスピードは変わっていないです」。それでも週あたりにクローズしたIssue、それもバグ修正を含まず機能として実装したものに限れば、13.4から39.9へと約3倍に増えた。人間が時間をかけてPRレビューをする状態がなくなり、「並行できる数が増えた」ためだ。品質保証の側も、検査体制による起票が0から24.0へ、仕様未定義やマニュアル漏れの指摘が0から28.0へ増えた。
開発における「当たり前」を言語化し、工程と資産に残す
「AI時代に差がつくのは基本」。高坂氏が常々言っている一文だ。「今回の話も、その基本をいかに工程の中に実装できるかという話だったのではないでしょうか」。理由は2つある。
ひとつは、使う側から見た「当たり前」の水準が上がり続けていること。狩野モデル(製品やサービスの品質を分析するフレームワーク)で言えば最下層にあたる当たり前品質の要求は日々高まり、フロンティアAIの登場でセキュリティ要求は高度化した。昨日の専門性が今日の当たり前になる。
もうひとつは、ツールの高度化で基本動作がブラックボックス化し、リモート・非同期の働き方が暗黙知の伝承機会を削っていることだ。「基本は残していこうと思わないと残りません」と、高坂氏は現在の開発環境の難しさを率直に語る。
だから同社は「当たり前」を明文化し、5つの基本原則として言語化した。進捗ではなく終わるかどうかを見る、数字ではなく成果物を見る、一点突破ではなく網の目で守る、反省ではなく問題を閉じる、単体ではなく境界を見る。「こういうことをきちんと書いて言語化して、それを人間にもエージェントにも伝えています」。
最後に高坂氏が触れたのは、この仕組みを動かした土台だった。新規事業開発では、まず出すことが大事だという考え方もある。正式提供の延期は「すごく迷った決断」であり、その微妙な判断を最後に後押ししたのは、自社が品質を大事にする会社であるというフィロソフィーだった。
「我々は品質を大事にしないと、会社として積み上げてきたものが失われるのではないか」。変更静止点、コンテキスト分離、製品検査、社内実利用、AIスキルという工程は、その最下層に「品質に達していないものは正式提供しない」という思想があって初めて成立した。
速度と品質、そしてAIがもたらす新しさと基本。2つの二面性をつなぐのは人間の意思と工程設計だと高坂氏は言う。「AIがどんどん速度を上げていっても、品質をどれくらい大事にするのか、そもそも品質とは何かというところは、結局人が決めていくところになります」。その決定として同社は、得た速度を機能量と品質保証量に振り向けた。
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