時代の変遷とともに変わった、インフラエンジニアのあり方
黒澤氏はまず、社会人になってから現在に至るまでの、自身のキャリアの歩みについてふり返る。黒澤氏がエンジニアとしてのキャリアをスタートしたのは2000年ごろ。すべての機器がネットワークでつながれ、インターネットへの常時接続が当たり前になる時代が到来しようとしていたころだ。
「今後はネットワークエンジニアが活躍できる」と考えた黒澤氏は、基礎知識を身につけるためにCisco認定資格であるCCNAに挑戦する。数回のチャレンジの後に、見事合格した。その努力が実を結び、Ciscoの機器を扱う案件を担当できたという。「資格取得に加えて、やりたいことを積極的に周囲や上司にアピールしていったことが功を奏しました」と黒澤氏は語る。
続いて、サーバー仮想化時代が到来する。2006年ごろに仮想化技術の土台を形成したVMware Infrastructure 3が登場したことで、より簡単にサーバー環境を用意することが可能になったのだ。当時の黒澤氏は、ネットワークエンジニアではなくサーバーエンジニアとして業務にあたっていた。しかし、VMware環境を仮想マシンとして払い出す形で社内リリースを行ったものの、コストが高いためなかなかメンバーに利用してもらえなかったという。
そんな折、コストの課題を解決する救世主が登場する。無償版のハイパーバイザであるESXiが登場したのだ。これに黒澤氏は飛びついた。特に開発環境にはもってこいだと考え、試験運用をかねて社内のメンバーに積極的に使ってもらうことにしたという。
「社内展開にあたり重要なのが、組織の上層部と現場サイド両方の理解を得ることです。そこで、全社的なアナウンスを行っただけではなく、現場サイドへの説明会を開いてサーバーについての説明をしました。徐々に利便性が理解されたことで、社内での普及が進んだのです。たとえ良いソフトウェアでも、地道な啓蒙活動を行わなければなかなか普及しません」
次に、クラウドの黎明期に入る。2011年ごろにAWSの東京リージョンが登場したことで、徐々にパブリッククラウドの利用が一般的になっていった。黒澤氏は、無償版ESXiの運用を長年続けるなかで、可用性に関する課題が徐々に見えてきたこともあり「無償版ESXiの課題を解決できること」「AWSに対抗できる価格でインフラを提供できること」という条件を満たすプライベートクラウドの構築を検討していったという。
このプロジェクトはコストを主軸に置いていたため、主にオープンソースソフトウェアを採用した。だが、オープンソースソフトウェアはメーカー製ソフトウェアほどドキュメントは整理されておらず、カスタマーサポートに問い合わせることもできない。そこで、外部の勉強会・コミュニティーに積極的に参加し、情報収集を行った。
インフラ技術者は、ネットワークやサーバー、ミドルウェア、データベースなど幅広い知識を持つ必要がある。しかし、それらをすべて自分の力で学ぶことは厳しい。「だからこそ、外部のエンジニアとのつながりを持ち、情報交換をする姿勢が必要になってきます」と黒澤氏は解説する。
2015年ごろからはAmazon AuroraやAWS Lambdaなどが東京リージョンに登場し、サーバーレスの潮流が起こり始める。このころから、インフラ運用の方法論が変化してきた。インフラに関する作業をコード化する流れが出てきたのだ。
「これから先、インフラエンジニアとして戦っていくには、今まで通りのやり方だけでは通用しません。クラウドサービスの知見を持ち、クラウドに適した手法を取ることが必要とされています。
そこで一大決心し、パブリッククラウドをフル活用しようと考えている企業への転職を検討しました。知人からゲーム業界には臨む場があるという話を聞いたため、現職であるディライトワークスに足を踏み入れます。技術者同士のつながりは、ここでも生かされました」