三菱電機におけるアジャイル開発20年の軌跡
──細谷さんは2002年ごろから三菱電機でアジャイルを進めてこられたと聞きました。どのようなきっかけでアジャイルを取り入れていったのでしょうか。
細谷泰夫氏(以下、細谷):私が当社でアジャイル開発を始めたのは、2002年頃のBtoB領域での開発からです。私の担当していた分野は顧客要望が厳しく、新規性も高いため、最初から仕様を決めて計画通りに進めることが難しい領域だったのです。私自身は、社会人になった1997年頃にUMLの流行や統一プロセスの登場を経験し、反復型開発を学ぶ機会がありました。その後、日本にXPが入ってきて、その衝撃的で魅力的な手法に惹かれました。2001年に三菱電機に転職し、翌年に自社開発プロジェクトのソフトウェア開発リーダーを任されたときに、XPを導入しました。これが当社におけるアジャイル開発の始まりです。
その後、活動を徐々に広げ、コーポレート部門に移って全社的なアジャイル開発支援を行うようになりました。同時に、2002年頃からXPのユーザーグループなどのコミュニティ活動も続けており、そこで市谷さんとも出会いました。
私は現在、三菱電機のDXプロジェクトの推進活動をするDXイノベーションセンター(DIC)にて、事業のDXに適した開発プロセスと品質管理システムの構築に取り組んでいます。これまで当社ではウォーターフォール開発が主流でしたが、DX事業ではアジャイルを前提とした開発プロセスや品質保証の仕組みの構築が必要です。また、全社的なアジャイル開発推進支援組織のマネージャーとして、現場でのアジャイル開発導入支援も行っています。
──そうした流れのなか、市谷さんが三菱電機の一員として、アジャイル推進をしていくことになったのですね。
市谷聡啓氏(以下、市谷):今回、プリンシパルアジャイルエキスパートという役割を拝命し、三菱電機でアジャイルを広めていくことになりました。細谷さんが20年にわたって行ってきたアジャイル開発を礎として、新しい事業やデジタルサービスの開発に、アジャイルをさらに活用していきたいと考えています。また、組織外のアジャイルコミュニティとのつながりを強化していく役割も担っていきます。
──三菱電機での、この20年のアジャイル推進の成果と課題について教えてください。
細谷:最初はボトムアップでアジャイルを始め、私が責任ある立場になってからは組織全体でスクラムを本格的に適用しました。工場の規則やガイドラインを整備し、誰でもアジャイルに取り組めるようにしたのは成功事例です。しかし、私が異動してしまい、元の組織にアジャイル開発の推進者がいなくなると活動が下火になるという課題も見えました。
ソフトウェア開発だけでなく、経営や顧客、品質保証、資材など多くの部門が関わるビジネス全体の中で、開発部門だけがアジャイルになってもさまざまな軋轢が生じます。これを解決しながらアジャイルを推進するには、強い意志と問題解決能力が必要です。
──市谷さんが三菱電機に関わるようになったのはいつ頃からでしょうか。
市谷:私にとっては細谷さんが全ての始まりです。2014年、細谷さんから社内向けのアジャイル勉強会での講演依頼を受けたのが最初の関わりでした。それ以前はコミュニティでつながりがあり、一緒に同人誌作成やイベント開催などを行っていましたが、そこから会社としての関わりが始まりました。その後、組織内でのアジャイル導入やプロダクト、事業作りの伴走支援を行うようになり、三菱電機でのアジャイル活用の可能性や自身の立ち位置について考えるようになりました。
細谷:補足すると、翔泳社主催ITエンジニア向けカンファレンス「Developers Summit 2014」に参加し、そこで市谷さんが「正しいものを正しくつくる」というテーマの話をされました(講演資料)。それが、当時私が感じていた課題にものすごく刺さって、勉強会を依頼することにしたのです。そうした勉強会では、工場長や部長など、影響力のある人たちに直接連絡して参加を促し、アジャイルの考え方を広めていきました。
市谷さんの講演では「期待マネジメント」の話題が好評でした。大規模な開発に携わり、顧客との関係性に苦心している方が多い部門でしたので、その概念は彼らにとって目新しいものだったようです。
市谷:プロジェクト開始時、メンバーの暗黙的な期待を明確にしないと、後に齟齬が生じてうまくいかないことがあります。アジャイル開発では、これを防ぐためにインセプションデッキという手法を用います。これはメンバーの思いを表出し、すり合わせるプロセスで、チームの方向性を統一できます。当時もすでに仮説検証型アジャイルの概念がありましたが、まだ受け手が理解しづらいと考え、より分かりやすい方法を示しました。