今年で7回目となるITエンジニア本大賞2020。CodeZineからもお知らせしたが、技術書部門、ビジネス書部門ともに1月上旬まで一般投票を受けつけており、1月下旬にベスト10が選出された。
そのうち各部門のトップ3から大賞を決めるための最終プレゼン大会は、例年どおり「Developers Summit 2020」(ホテル雅叙園東京)内で開催。著者や編集者など本に縁のある方が、会場に集ったITエンジニアに向けて本の狙いや背景を語った。
来場者とゲスト審査員による最終投票の結果、大賞に選ばれたのは技術書部門『レガシーコードからの脱却――ソフトウェアの寿命を延ばし価値を高める9つのプラクティス』、ビジネス書部門『プレゼン資料のデザイン図鑑』となった。惜しくも大賞を逃した本と合わせ、そのプレゼン内容を紹介したい。
技術書部門ベスト3
『ハッキング・ラボのつくりかた 仮想環境におけるハッカー体験学習』
IPUSIRON、翔泳社
『Kaggleで勝つデータ分析の技術』
門脇大輔/阪田隆司/保坂桂佑/平松雄司、技術評論社
『レガシーコードからの脱却――ソフトウェアの寿命を延ばし価値を高める9つのプラクティス』
David Scott Bernstein、オライリー・ジャパン
ビジネス書部門ベスト3
『FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』
ハンス・ロスリング/オーラ・ロスリング/アンナ・ロスリング・ロンランド、日経BP社
『ソフトウェア・ファースト あらゆるビジネスを一変させる最強戦略』
及川卓也、日経BP社
『プレゼン資料のデザイン図鑑』
前田鎌利、ダイヤモンド社
Twitterでの公開質疑が活発に 『ハッキング・ラボのつくりかた』
技術書部門で最初に登壇したのは『ハッキング・ラボのつくりかた』の著者、IPUSIRONさん。2018年12月発売の本書は、いまもTwitterでハッシュタグに質疑が飛び交っており、活発なコミュニティが形成されている。そのコンセプトは「手を動かす楽しみを知り、感動体験を得ること」だという。
IPUSIRONさんはハッキングを実践するための環境構築を「手を動かすこと」、そしてパスワード解析など実際にハッキングを成功させることが「感動体験」と説明。想定していた読者は、そうした体験をしてもらいたい、WindowsやLinuxの基本的な操作ができるPC初心者だったが、その範囲を超えて読者層が広がっていったそうだ。
ただ、内容的に難しい部分やエラーで立ち止まってしまう読者もおり、IPUSIRONさんの元には日々メールやDMで質問が。しかし、1人が疑問を持つということは何人もが同じ疑問を抱えている可能性が高い。そのため、質疑をTwitterのハッシュタグでオープンに受けつけるようにした。1年間応え続けた結果、自身の持つ本がボロボロに。さらに、IPUSIRONさんに代わって質問に回答してくれる読者も現れたという。
技術書を読み通し、書かれてあることを実践しきるのは意外と難しい。だが、IPUSIRONさんは本を買ってもらうこと以上に、本を通して感動体験を得てもらうことをとても大切に考えていた。読者を著者自身がサポートしてきたことで「ラボ仲間」ができ、コミュニティが盛り上がっていったのだ。ベスト3への選出は、まさにその営みの結晶だと言えるだろう。
データ分析コンペは役に立つ 『Kaggleで勝つデータ分析の技術』
技術書部門、2人目は『Kaggleで勝つデータ分析の技術』の著者、門脇大輔さんが登壇した。本書はKaggleというデータ分析の腕前を競うコンペで使える技術をまとめたもの。メインターゲットはデータ分析中級者とのことで、実務でも使える技術や、あまり本などの形になっていない重要なTIPSを集約したという。
門脇さんいわく、マニアックな本のわりには1か月で1万部以上も売れたとのこと。好評なレビューが多く、Kaggleやデータ分析に関心が持たれていることがうかがえる。ただ、活動する中でデータ分析のコンペがどう役に立つのか疑問に思われることもあるそうだ。それに対する答えとして、順位によって明確に自分の知識や技術を評価されるため、実力を知るのに効果的であること、また、機械学習の手法を評価するのにも有効だと強調する。
なにより、本書自体がコンペが役に立つ証拠だという。門脇さんはKaggleに取り組む中で「ぐだぐだ言わずに結果で示す精神」を学べたと話してくれた。つまり、コンペの順位で実力を示すだけでなく、コンペを通して身につけた技術を本として出版し、好評を得たことで自身の実力を示せたということだ。
そもそもレガシーコードを作らないために 『レガシーコードからの脱却』
技術書部門の最後に登壇したのは、『レガシーコードからの脱却』の翻訳を手がけた1人、永瀬美穂さん。当初はITエンジニア本大賞の特別ゲストだったが、本書が選出されたことで辞退しプレゼンターに。本書は原著が2015年に発売され、邦訳が2019年9月に発売された。Amazonランキングでも長らく上位にあるように、すでに2度の増刷がかかっている。
タイトルからはすでに存在しているレガシーコードをどう解きほぐすかのノウハウが解説されているように思うかもしれないが、実際には「レガシーコードを作らないようにするためのプラクティス」が紹介されている。テストやリファクタリングではなく、「よい開発者は机をきれいにしている」といったマインドセットが解説されているのが特徴だ。
本書では大きく9つのプラクティスが紹介されるが、永瀬さんはその中から「やり方は言わない」をチョイス。このプラクティスでは、ビジネス側はプロダクトのWhatを提示し、Howには言及しないことを述べている。Howは開発者側の仕事だからだ。もちろん、その逆もしかりである。また、永瀬さんは「持続可能な開発」も紹介。そこでは、プロダクトは最後までコードに手を入れて保守性を確保する必要があると書かれている。
本書には現代のソフトウェア開発のプロセスに関する基礎知識が凝縮されており、「どのように」ではなく「なぜ」という思想を伝えることが目的の本だという。永瀬さんは最後に、現場の開発者だけでなくマネージャーの立場にある人も読むべき本だと教えてくれた。
世界がよくなっていることをデータで示す 『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』
ビジネス書部門の最初に登壇したのは、『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』の担当編集者、中川ヒロミさん。翻訳書となる本書は日本だけで63万部を突破し大きな話題を呼んだ。中川さんからは著者のハンス・ロスリングさんがなぜこの本を作ったのかが紹介された。
ロスリングさんはスウェーデンの医師で、エボラ対策などに従事していた。世界は少しずつよくなっていると実感しているのに、先進国の人と話してもいまいちそのことが伝わらないことが悩みだったという。どうしたら世界を正しく見る目を持ってもらえるのかと考えたとき、本を執筆することにしたそうだ。ロスリングさんは再発した癌により発売を待たず亡くなってしまったが、息子夫婦が跡を継いで仕上げ、本書が世に出ることとなった。
人はなぜ世界を正しく見ることができないのか。それは、ドラマチックな本能があるためだと解説される。世界はどんどん悪くなっている、格差が広がっている、教育を受けられない女の子が増えている、男性は女性より数学が得意、人口は増え続け食料が不足してしまう……等々。しかし、データを見ればそれが事実に反しており、世界はだんだんよくなっていることがわかる。
その事実をありのまま受け取るには、人が持つ10の本能に対抗しなければならない。本書はその本能を退けデータを見る目を養い、ファクトフルネスを実践するための手引書だ。
ソフトウェアにこそ世界を変える力がある 『ソフトウェア・ファースト』
ビジネス書部門、次に登壇したのは『ソフトウェア・ファースト』の担当編集者である伊藤健吾さんだったが、今回は著者の及川卓也さんがビデオメッセージを届けてくれた。
及川さんは平成の30年間が「失われた30年」と言われることがあると嘆く。その一端として、世界時価総額ランキングの上位は平成元年には日本企業が大半を占めていたのに、平成末期には上位50社中1社となり、トップはITプラットフォーマーに占められるようになった事実がある。及川さんは、その原因としてソフトウェアへの認識の差が分かれ目となったと話す。
世界は明らかにソフトウェア・ファーストに向かっている。これはITエンジニアには当たり前の話だろう。本書にも同様のことが書かれているため、ITエンジニアからは内容に新鮮味はないという評価を受けたそうだ。
しかし、日本企業の多くはまだその方向に向ききれておらず、そのために本書が広く受け入れられているのだと推測する。ソフトウェア・ファーストは世の中ではまだ常識にはなっていないのだ。だからこそ、及川さんはソフトウェア・ファーストを武器にすることが本当の価値を生み出すことに繋がると語る。
ソフトウェア・ファーストが浸透すればどうなるか。ソフトウェア・ファーストという言葉や考え方が必要なくなる。及川さんからは最後に「そんな将来が来ればいいなと思っている」と告げられた。
日常のプレゼン資料に役立つお手本を 『プレゼン資料のデザイン図鑑』
ビジネス書部門の最後に登壇したのは、『プレゼン資料のデザイン図鑑』のスライドデザイナー、堀口友恵さん。著者の前田鎌利さんとともに作った前著となる『社内プレゼンの資料作成術』は20万部のベストセラーとなったが、講演やセミナーをしていると、参加者には共通の課題があることがわかってきたという。どうやら、資料の完成イメージを掴むのが難しいらしい。
ということは、お手本となるプレゼン資料があればそれを目指して自分の資料を作っていける。そこで作られたのが本書となる。『社内プレゼンの資料作成術』が教科書だとすれば、『プレゼン資料のデザイン図鑑』は資料集とのこと。上司や先輩が作ったプレゼン資料を使い回している人は多いかもしれないが、本書を頼ればより伝えやすい資料が作れるようになるのではないだろうか。
本書が好評を得たのは、ビジュアルに訴えるかっこいい資料ではなく日常のプレゼン資料の参考になること、そして「スライドあるある」が改善点とともに説明されているからだろうと堀口さんは言う。また、本のサイズにもこだわったそうだ。書影を見てもらえば一目瞭然だが、横長の本書を見ながらPCで作業するとき、開いたまま腕で押さえられるようになっている。
堀口さんは、資料作成のときに困ったら取り出して使ってほしいと話す。とことん読者の役に立つために作られたのが本書である。
大賞は『レガシーコードからの脱却』と『プレゼン資料のデザイン図鑑』
以上6点のプレゼンが終わったあと、参加者とゲスト審査員による最終投票が行われ、特別賞と大賞が決定した。
まず、ゲスト審査員の広木大地さんによる特別賞は『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』に。ITエンジニア本大賞2019で技術書部門の大賞を受賞した『エンジニアリング組織論への招待』の著者である広木さんは、人間に認知の歪みがある中でよりよい世界を作っていく力がエンジニアリングだと考えており、そのため本書は多くのエンジニアにとって価値がある本だと評価した。
もう1人のゲスト審査員、山下智也さんはITエンジニア本大賞2019でビジネス書部門の大賞を受賞した『イシューからはじめよ』を刊行している英治出版のプロデューサーだ。そんな山下さんが選んだ特別賞は『プレゼン資料のデザイン図鑑』。徹底的に読者を応援する本であることに感銘を受けたという。
そしていよいよ大賞が発表された。ビジネス書部門の大賞は『プレゼン資料のデザイン図鑑』。本書のスライドデザインを担当した堀口友恵さんは、光栄なことだと感謝を述べつつ「ぜひ日常の資料をブラッシュアップしてください」と最後まで読者にエールを送ること忘れなかった。
技術書部門の大賞は『レガシーコードからの脱却』。プレゼンを行った永瀬さんは、「レガシーコードを作らないという強い思いでいい世界を作っていきましょう」と語った。
最後に、大賞のプレゼンターを務めたCodeZine編集長の斉木崇より、ITエンジニア本大賞2020の総評が述べられた。自身も本を作ることがある中で、編集者が著者の一番の読者になって二人三脚で本を作っていくイメージがあったが、今回のプレゼンで読者など様々な人とコミュニケーションを広げながら本を完成させていく方法もあるのだと印象に残ったという。
たとえば、『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』ではnoteで制作の様子が公開されている。『ハッキング・ラボのつくりかた』では発売後に著者が読者と一緒に新しいコミュニティを作っている。それらは、本でどんな情報を提供するかというよりも、本を通してどんな体験を提供できるかということに主眼を置く新しい本の形と言えるかもしれない。
斉木はCodeZineでも「コンピューター・IT」に関する本のAmazonランキングを紹介していることに触れ、「今後もいい本と出会うきっかけを提供していきたい」とプレゼン大会を締めくくった。