「管理職は技術から離れていていいのか」を自分に問い続けた10年
村田製作所は1944年創業の電子部品メーカーだ。世界シェア40%を握る積層セラミックコンデンサをはじめ、スマートフォンや自動車、家電など、電気で動くあらゆる製品に同社の部品が使われている。濱﨑真治氏は同社の本社IT部門でSCM基幹システムを担当し、現在はアプリケーション・データアーキテクトとして内製化やドメイン駆動設計(DDD)、AIDD、データマネジメントに取り組んでいる。
濱﨑氏のキャリアは、20代前半に物流ドメインでハンディーターミナル開発を手がけ、20代後半は生産ドメインで業務SEとしてリーダーを務めるという、いわば「プログラマからSE、マネージャーへ」という王道な道のりだったという。転機は30代前半、チームマネジメントを担うようになったタイミングで訪れた。同社のビジネスはこの10年で売上3.1倍という急拡大を遂げ、それを支えるシステム部門は激しい負荷にさらされた。「トランザクションが爆増し、バッチが夜通しやっても終わらない」。そうした状況の中、パートナー企業への依存度は年々高まっていった。
「非常にやりがいはあったが、技術から遠ざかる10年となった」と濱﨑氏は振り返る。システムや仕様を自分たちで理解できなくなり、キーマンはパートナー企業側に移り、ユーザーからの問い合わせにスピーディに答えられなくなった。投資対効果を語れないことに、事業会社の人間としてどうなのかという焦りも募った。「パートナー様への依存度が高まり、開発の主導権は失われた」というのが、10年の率直な総括だった。
デブサミで受けた衝撃、そして社内で味わった「モヤモヤ」
そんな濱﨑氏に転機が訪れたのは、昨年の「Developers Summit 2025 Summer(デブサミ夏)」への参加だった。技術トレンドのキャッチアップ目的で初めて参加したところ、AIをはじめとする技術の進化と、登壇するエンジニアたちの熱意に衝撃を受けたという。「AIってもうこんなことになっているのか」。興奮そのままに社内へレポートを発信したが、反応はそう多くなかった。強く共感してくれる人も少数いたが、濱﨑氏自身はモヤモヤを抱えたままだった。
安定供給を最優先にしてきたこれまでの仕事の延長線上で、次の変化の波に本当に対応できるのか。悩んだ末に、濱﨑氏は「役割にとらわれない」「自ら技術を学び直す」「少しずつ組織と文化を変えていく」という3つを掲げ、独自にチャレンジを始めることを決めた。
外部セミナーや研修への参加、AIや新しい技術を実際に試すこと、社外の技術コミュニティとのつながりづくりなど、この1年はがむしゃらに学び直しに費やしたという。学び直しの先で待っていたのは、10年来パートナー企業と築いてきた関係を揺るがしかねない、「内製化」というひとつの言葉との格闘だった。
