「内製化」の意味がわからないまま、1年かけて言語化した定義
がむしゃらな学び直しの1年間で、外部セミナーへの参加やAI・新技術の実践、社外との交流を積み重ねた濱﨑氏だったが、どうしても腹落ちしなかった言葉がある。それが「内製化」だった。この10年、多くのパートナー企業に支えられてきた濱﨑氏にとって、彼らは戦友とも呼べる存在だ。「一緒にこの10年を乗り越えてきた人たちに、さよならと言うのはなんか違う気がする」という違和感が拭えなかったという。
学びを重ねる中で見えてきたのは、内製化はあくまで目指す姿を実現するための手段だという考え方だった。村田製作所が掲げるコンピタンスは、いずれも顧客やパートナー企業と共に価値を作ることを前提にしている。パートナー企業と単純に決別する話ではないと気づいた濱﨑氏は、1年をかけて自社の内製化を定義し直した。「開発を水平分業から垂直統合に変更し、スピードと品質を飛躍的に上げることで、超高速な仮説検証サイクルを実現し、ステークホルダーの期待にこたえ続けること」。社員だけで完結させることではなく、開発の主導権を自分たちの手に取り戻すことこそが本質だと位置づけた。
まず着手したのは開発プロセスの刷新だ。要件定義・設計・実装を別々の会社が担うバケツリレー型のウォーターフォールから、エンジニアがAIとともに要件定義から実装までを一気通貫で担う垂直統合プロセスへ切り替えた。ドキュメントは全てマークダウン化し、AIが読み書きしやすい形に揃えた。「エクセル方眼紙のようなものをAIに読ませても、やはりうまくいかないということが身にしみてわかった」ためだ。
この決断は社内に少なからぬ波紋を呼んだ。業務部門とのやり取りは基本的にオフィス文書であり、マークダウンのテキストファイルを渡すことに戸惑いの声も上がった。それでも濱﨑氏は、「差別化要素が強く、競争優位につながるところは、なるべく社員で握っていく」形にパートナー企業との役割分担を組み直し、開発の主導権を取り戻す準備を整えた。
変革のたびに立ちはだかった「これで本当にできるの?」という反発
プロセスを変えたからといって、組織はすぐには変わらない。「これはいったい何なんですか」「効果はあるんですか」といった疑問の声が上がり、やがて「新しいことをどんどんやってスケジュールが遅れたらどうするんですか」という反発にまで発展した。濱﨑氏はマネジメントする立場として、変化しないことこそ最大のリスクだという視点が組織から抜け落ちていたことに気づき、反省点として受け止めた。
しかし同時に、こうした反対の声が上がること自体を前向きに捉え直したという。「批判の声が上がるということは、施策がどこかにきちんと刺さっているということ」。100人を超える大きな組織であっても、まず2割の推進派を作れれば十分に変わり始める。残る4割のフォロワー層には地道な対話を重ね、実際に体験してもらうことで着実に理解が広がっていった。そして最後に欠かせないのが、トップダウンでの後押しだ。掛け声だけで終わらせず、頑張りがきちんと人事評価につながる仕組みを整えなければ、変革は定着しない。「上のところをマネジメントしないと、これは本当にうまくいかない」というのが、濱﨑氏がこの1年で得た大きな学びだった。
