FileMakerとの出会いは救急症例データベースを構築するため
新型コロナウイルス感染症拡大により、医療現場が逼迫しているというニュースが世間をにぎわす機会が増えた。その一つの状況として顕在化したのが、救急搬送のたらい回しの頻発である。救急搬送のたらい回し現象が起こる背景には、医療業界がレガシーな仕組みからなかなか脱却できていないことが一因として挙げられる。レガシーな仕組みであるが故にスムーズな救急搬送が実現できない場面があるのが実情だ。
そんな医療現場のDXを推進すべく、システム開発を行っているのが、園生氏が率いるTXP Medicalである。園生氏は大学卒業後、東京都文京区にある東京大学医学部附属病院病院(以下、東大病院)、茨城県日立市にある日立総合病院で10年以上救急集中医療医として救急集中治療の臨床業務に従事してきた。
「最初に課題を感じたのは、後期研修医になった頃からです」と園生氏。2012年に園生氏は東大病院の救急・集中治療部の医局員として入局した。東大病院は園生氏が入局する2年前に救命救急センター(厚生労働省指定)を受けていたが、「2012年当時はExcelの簡単な入院台帳のみで、まともな症例データベースがありませんでした」と園生氏は振り返る。
病院に搬送されて救急部からICU(集中治療室)に入院した患者の情報は、後期研修医などの若手医師がExcelに入力する。一方、救急外来で帰宅した患者や他の科に入院した患者は、日々膨大な臨床業務を行っているにもかかわらず、データベースに入力しないので形が残らない状態だった。
「日本を代表する大学病院である東大病院がこのような状態なのはどうなんだろうって。そこで数名の同期と救急のデータベースを作ろうという話をして、東大救急症例データベースを作ることにしました」(園生氏)
東大病院の救急症例データベースのプラットフォームとして選んだのが、Claris FileMakerだった。「FileMakerの選択には特段の理由はなかったです」と園生氏は話す。というのも医療従事者の間で、Excelでデータ管理するのが大変になってきたら、次に選ぶのはFileMakerがベストだと選択肢は決まっていたからだ。
「初期研修医の時は呼吸器内科や循環器内科などいろいろな診療科を巡りましたが、多くの診療科のカンファレンスでFileMakerで作った資料が活躍していましたし、私たちより年長の医師も、FileMakerを使って日々の業務をこなしていました」(園生氏)
当時の部長クラスの先生方の間でもFileMakerの利用は一般的であり、例えば、京都府立医科大学附属病院集中治療部の橋本悟氏や国立病院機構大阪医療センター 産婦人科医の岡垣篤彦氏、都立広尾病院 小児科医の山本康仁氏などがその代表例だ。いずれも医師という仕事に従事しながら、FileMakerで院内データベースを構築した。
医療の業界ではClaris FileMakerが当たり前のように使われていたので、園生氏がFileMakerを活用するようになるのは既定路線だった。だが園生氏が初めてFileMakerに触れたとき、Excelとの使い方の違いに戸惑い、「当たり前ですがレコードを追加しないと情報を書き足せないことに、多少、面倒くささを感じたこともありました」と明かす。
院内における救急症例のデータベースを構築した園生氏は、医療ITで業界を変えていきたいという思いがどんどん強くなり起業を決意。救急の専門医でありながら、2017年8月に立ち上げたのがTXP Medical株式会社である。同社のビジョンは、「複雑性の高い医療現場にテクノロジーを導入し、データに基づく意思決定を当たり前にする」。この言葉通り、同社は医療現場のDXを推進するためのシステム開発に取り組んでいる。
患者情報記録管理システムをFileMakerプラットフォームで構築
同社が2018年2月にリリースした「NEXT Stage ER」は救命センタークラスの大病院救急外来に特化した患者情報記録管理システム。基本機能として救急隊情報記録、医師カルテ、トリアージ、データ解析機能を提供している。
救急医療・急性期医療の現場で課題となっているのが、医療機関同士や自治体が運用する救急隊と医療機関、さらに病院と製薬会社間など、異なるレイヤーで医療データが分断されていること。「救急車で運ばれた患者が初期の印象で軽症と判断・記載されたが、実際には重症で入院治療、さらに亡くなっているケースもあります。しかし、データがつながっていないので、軽症と初期判断された人のうち何割がどのような転帰を辿っているのか分からないのが現状です」(園生氏)
もちろん、手を打たなかったわけではない。地域の自治体・消防本部から病院に対して、紙で予後調査票を送付するという仕組みはある。だが、これは病院にとってアドオンの業務であり、一般に調査票の返送率は高くない。このように医療の現場では「紙」での運用が一般的であり、予後調査票以外にも、救急隊から渡される搬送情報や病院間でやり取りされる紹介状など枚挙にいとまがない。
「院内では医療情報は電子カルテを用いていますが、電子カルテはインターネット回線につながっていませんので、外部とのやり取りの多くは紙や電話・FAXが多く使われ続けています。特に救急は、紙での運用が多いです。そこで私たちは救急搬送・救急外来・集中治療室でデータを流通させる業務をプラットフォームとしてNEXT Stage ERを提供しました。情報を見える化し、正しい意思決定ができるようになるだけではなく、必要最低限の情報を同一フォーマットで流通させることで、情報の再利用が容易になります」(園生氏)
それだけではない。救急車利用の軽症者割合が昨今、問題となっていることから、有料化の議論がなされている。だが、先述したように、「軽症者として診断されるのは、診察が始まる前の初期対応段階だったりする。先に述べたように、予後のデータとつながっていないので、本当に軽症だったのかどうかもわからない。私たちが開発したNEXT Stage ERを導入すれば、正しいデータに基づいた医療政策の策定ができるようになります」(園生氏)
救急の現場におけるデジタル化の対象は紙だけではなかった。それがホワイトボードによる情報共有である。「電子カルテは会計管理に関わるシステムなので、保険証などの身分証で確実な人員特定をした上でないとシステムへの登録自体ができません。しかし、救急外来の患者においては人員特定の前に、大量の臨床情報が生じます。この情報を電子カルテで取り扱うことができません」と園生氏は話す。
救急隊からは「橋で倒れていた推定60代の男性。氏名不詳。血圧50、脈拍は120で低体温」といった情報のみで受け入れることもある。「このような患者は、氏名もわからず、電子カルテに登録できないので、ホワイトボードで情報共有することが一般的なのです」(園生氏)
つまり救急外来の現場では、救急隊から電話でもたらされた情報を手書きでメモし、それをホワイトボードに書き写すという運用になっているのだ。だがこの運用をそのまま電子化することはできない。電子化するには厚生労働省が策定した「医療情報システムの安全管理に関するガイドライン」を遵守する必要があるからだ。
「ホワイトボードなら誰でも情報を書けるのに、電子化した瞬間に、ログイン認証が必要になります。また端末から離れるときはログアウトしなければなりません。ですが救急や災害時の医療情報の共有においては、関係者が情報をすぐに更新可能でかつ、共有できることこそが重要です。もちろん医療情報はセキュリティを担保しなければならない情報です。災害時や救急医療現場では、情報共有のメリットの方が大きいため、ホワイトボードが使用され続けています。救急の現場においては、医療情報のセキュリティと、情報共有によるメリットの両立を実現するITシステムの構築が事実上不可能であったため、なかなか手がつけられていませんでした」(園生氏)