本記事は『エンジニア育成現場の「失敗」集めてみた。 42の失敗事例で学ぶマネジメントのうまい進めかた』の「Episode 04 すべてが最優先「FIFO型業務依頼」」から抜粋したものです。掲載にあたって編集しています。
また、Episode 04を含む5つのエピソードをまとめた特別抜粋版(PDF)も配布しています。
すでに新人のキャパは超えている

筆者の経験上、時間にゆとりがあるソフトウェア開発現場など、ついぞ見たことはありません。トップから若手に至るまで業務過多にもかかわらず、次々に新規業務が流れ込んできます。当然すべてをこなす時間はありませんから、優先順位を付け、断るべき業務は断らないと首が回りません。
とはいえ、そんな取捨選択が新人にできるわけもなく、結局もらった業務をもらった順にこなそうとして破綻してしまいます。
そんなにたくさんの仕事はできない
現在ガクさんは、新入社員の教育カリキュラムとして開発部の様々なチームで業務経験中です。その傍ら、週に1回は配属先であるハルさんチームのミーティングにも参加をし、状況報告とチームの業務に対する理解を進めています。

「スキンチェッカー」の進捗報告、ありがとうございます。えーと今週の課題はシンテクさん担当のプローブ信号の取得が時々おかしくなる件か。ノビシロさん、原因を把握するために、データ取りを手伝ってもらえるかしら?

えぇぇ。ちょっと今週はアプリの受入検査仕様書作りで手一杯ですー。しかもまたブチョーさんから謎の指令が来ていて……。

な、謎の指令……。あ、社内DX推進委員からのヒヤリングか! あれは緊急でもないので来週以降に延ばしてもらおう。受入検査仕様書なら俺も書けるから一部引き受けるよ。

申し訳ないっス。データ整理をガクさんにもお願いできると助かるんスけど……。というのも今さっきメールでヒンシツさんから販売中の「アームチェッカー」にもヤバイ問題が出ていると連絡が……。
プロジェクトの課題も解決しないといけないのに、どんどん新しい問題が入ってきます。明らかに全員キャパオーバーです。ガクさんもできることがあればと、自主的にシンテクさんのデータ整理を引き受けたのですが……。

ガクさん。お願いしていた棚の整理……じゃなかった、試作回路のデータ取りどうなった? もし問題があるなら早く直したいんだけど。

あ、すみません。ハルさんにお願いされたデータ整理をやっていました。お急ぎなのですね? では先にそちら取り組みます。

ガクさんデータ整理はできた? ってあれ? エレキのデータ取りしてんの? あー実習より、こっちヤバいので優先してくれる?

え? えーと、エレキチームからデータ取りは回路修正を急ぐから、優先度上げてほしいと。えぇぇ?
あれもこれも最優先と言われて、ガクさんも困惑してしまいました。とはいえ体は1つ。いったいどうしたらいいのでしょう。

これはもう残業をお願いするしかないのかなあ。でもハルさんとかシンテクさんとか、こんなものじゃない業務量なのだけど、いったいどうなっているのかしら? いつどうやって仕事しているの?
このまま業務が増えていくと、夜も休日も、会社でも家でも働き続ける生活になりそうです。そんな未来を想像して、ガクさんは暗鬱とした気分になるのでした。
業務量は常に自分のキャパを上回る
新社会人になって驚くのは、想像していたよりいろいろな業務がものすごい物量で押し寄せてくることです。そう、会社は従業員それぞれに、一見こなせない量の業務や、解決困難な業務の遂行を要請してきます。常に自分がこなせる量より2~3割増し、ひどいときには倍の業務が流れ込んできます。
「すべての業務はできない」とあきらめることを教える
とはいえ会社に入ったばかりの新人に対し、なんの予備知識もなくこの業務シャワーを浴びせかけてしまうと、途端に風邪を引いてしまいます。新人は要請された業務を、依頼された順(FIFO:ファーストインファーストアウト)にこなしますから、優先度の低い業務に時間を取られ、本当に大事な業務がおざなりになることもあります。

メイン業務以外にこんなに仕事が入ってくるなんて! しかも全部急ぎだって! そんなことある? 業務をこなす自信がなくなるなあ。
しかも、いろいろな人から同時に業務要請が入りますから、新人のキャパはすぐにあふれてしまいます。まじめな新人ほど、言われたことをすべてこなさねばならぬと考え、すべてに対応しようとするのですが、そもそも業務量が自分のキャパを超えていますから、納期までに十分な結果が出せなくなっていきます。業務が滞っていくにつれ、依頼者からは文句を言われ、ひどい場合には「仕事ができないやつ」と認定されてしまいかねません。
ここが失敗のポイントです。業務のさばき方を教えず、どんどん業務指示だけを与え続けると、いつしか業務が新人のキャパを超え、十分対処することができなくなってしまいます。その結果、新人は業務に対する自信を失い、「理想の自分」と「実際の成果」とのギャップに苦しむようになります。できるはずのことさえ、できなくなっていく。そんな状態で無理を続けていると体調にも不調をきたし、最悪メンタル不全に陥る可能性もあります。
優先度を付けることを指導する
まず大事なのは、新人に対する指示命令系統を明確に一本化することです。期待の新人ほど様々な人から業務依頼が舞い込むのですが、一旦新人の上司経由で依頼してもらうように調整します。新人は他から要望されたら断れませんし、上司も新人の業務を理解し、活動や成果をきちんと評価できるように、新人への依頼はすべて把握しておく必要があります。
そのうえで、業務に優先度(プライオリティ)を付けて、優先度の高い業務からこなしていくように指導します。優先度の低い業務は後回しにするか、いっそ断ってもいいんだよとアドバイスをします。
優先度の付け方として、一般的によく使われているのが緊急度と重要度のマトリクスで判断するという手法です。これは、『7つの習慣』(スティーブン・R・コヴィー著)という書籍で紹介されている時間管理のコンセプトです。

ではこの中で最初に取り掛かるべきはどの象限でしょうか。普通に考えると第1象限、すなわち重要でありかつ緊急な業務ですが、この本では、実は最も大事なのは第1象限ではなく第2象限の「重要だが緊急ではない」業務であると述べられています。緊急性の高い目の前の業務をこなしていただけでは、本質的で、より大きな高い目標を見誤るからです。
新人には「重要でありかつ緊急」な業務を最優先に
しかし、新入社員向けには、あえて第1象限の「重要でかつ緊急な業務」を優先度高く設定することをおすすめします。新人のころはまず業務を覚えること、上司の期待に応えること、そしてなぜこの業務が重要で緊急なのかを理解することが大事です。
なぜその業務に取り組む必要があるのか、目的は何か、これによって何が得られるのかなど、業務の内容や背景を理解し学ぶことが重要です。
やらないことを決める
次に肝心なのが第3象限です。新人に業務を依頼する際、第3象限に該当する作業は、自分自身のキャパシティや状況に応じて「やらない」という選択肢を選んでもよいと伝えてあげましょう(もちろん、事前に相談はしてもらうよう念押ししたうえで)。新人なのに依頼された業務をやらないと決めるなんておこがましいと思うかもしれません。しかし、最初に述べたように与えられた業務をすべてやりきることが難しい場合もあります。重要でもなければ緊急でもないものに貴重な時間を使う必要はないはずです。
断るかどうかを新人が判断するためには、まず上司が手本を見せることが効果的でしょう。こういう業務はやらなくていいという実例があれば、新人にも判断の基準が持てるようになります。
ただ本当に「やらない」ためには、利害関係者の合意が必要です。業務にはどんなステークホルダーがいて誰と折衝すべきか、新人にもわかるようにしておくことはチーム全体にとっても価値があります。ステークホルダーリストを作って随時更新しておくのがよいでしょう。
価値を明らかにして動機付けする
第4象限は最も扱いが難しく、新人にこの業務を依頼するなら、上司がしっかりと業務の価値を明らかにすることが大事です。
この象限の業務は本質的に重要度が低いため、やらなくてもよい作業に見えます。しかし、緊急案件に対応することで、依頼者に感謝されて関係性がよくなり、その後の業務もやりやすくなる、という効果もあります。それゆえ、この業務を実施するにあたっては上司から業務の価値を伝え、本人にしっかり動機付けすべきでしょう。
新人のうちはまず「重要かつ緊急の業務」を解決していくことで、部署内の信頼感も生まれてきます。緊急度の高い業務はなんといっても緊急には間違いありませんから、急いで対応してくれるのは本当に助かります。
上司として業務を依頼する際は、まずはこの重要性と緊急性の2軸で業務を振り分けることを指導してみてください。また困ったときには気軽に相談を受け、相談しやすい環境を作ることも重要です。

業務があふれそうなら相談して。不要な作業なら俺から断るし。反対にガクさんにとってプラスになることもあるから、まずは相談してね。
とにかく言われた順で仕事をするのをやめていい、「やらないでいい」タスクがあるなら相談の上断っていい、ということを伝えるだけでも心が軽くなるものです。
