エンジニアとビジネスの問題は、両者の「距離感」を見誤ること
河合氏が「エンジニアとビジネスの距離感の難しさ」を執筆したのは、エンジニアが今後、事業貢献を強く求められるのではないかという予感があったからだ。その背景には、IT企業のレイオフなど市況の悪化もあるが、大きな理由は技術のコモディティ化にあると、河合氏は言う。
クラウドやOSSを使えば、少人数でも大規模なサービスを運用できる。スクラムの採用、プロダクトマネージャーの設置など、開発組織のスタイルにもフォーマットができつつある。それらの知見が、技術コミュニティを通じて素早く共有される。GitHub Copilotなどの生成AIも、開発に活用されつつある。
その結果、エンジニアが今まで技術に費やしていた時間が減り、ビジネスや人、社会のために使える時間が増えているという。つまり技術のコモディティ化によって、「技術が人のポテンシャルを解放している状態」が実現されつつあると、河合氏はポジティブな側面を評価する。

しかし技術にかける時間が減ったことで、技術的チャレンジも減り、安易な作業が増えていないだろうかと、河合氏は問題提起する。技術のハードルが下がったのは、実際には複雑性を隠蔽しているからに過ぎない。技術や社会の複雑性に挑むことこそ、エンジニアリングの面白さであり、技術的イノベーションの源泉だ。技術のコモディティ化によって、技術的イノベーションの機会も減っているのではないかと、河合氏は懸念する。
そしてエンジニアの事業貢献を考える際のもう一つの課題が、エンジニアとビジネス側とのさまざまな違いだ。この違いのことを、河合氏は「距離」と表現する。河合氏によれば、エンジニアとビジネスの距離は、大きく分けて以下の3つに分類できる。
1つ目は資本的距離だ。エンジニアが技術に時間を費やすように、ビジネス側は営業や経営に時間を費やしている。例えば、野球部に対して、甲子園で優勝するために意見を文化部が言ってもあまり響かないだろう。同様にエンジニアがどれだけビジネスについて深く考えていても、ビジネス側に対する発言力は弱い。
2つ目は性質的距離だ。例えばエンジニアの3大美德と言われる「怠惰・傲慢・短気」は、物事をハックして、効率化の実現やイノベーションを生み出す上で有益だ。しかし、ビジネス側では、物事を着実に進めるために、実直さが評価される。例えば、仕事上のコミュニケーションでも一貫して「怠惰・傲慢・短気」であれば、優れたエンジニアであっても、周りからは嫌な人に思われるだけだろう。このように、エンジニアが重視する価値は、ビジネス側にとって受け入れにくいかもしれない。
3つ目は環境的距離だ。エンジニアは売り手市場が続いている。また、AIネイティブ世代の登場は、さらに高い開発生産性をもたらすかもしれない。人手不足がさらに進む中で、エンジニアは、これからも労働市場で、他の職種に対して高い価値を維持し続けるだろう。

ここで河合氏は、エンジニアとビジネス側の間に生じる問題は、距離があること自体ではなく、距離を認識できていないこと、つまり「距離感」を掴めていないことが原因なのではないかと考察する。ビジネス側から見ると、エンジニアにとって価値のあることが、それほど重要でないかもしれない。また制度によって両者の距離が隠蔽され、距離感を見誤るのかもしれない。「エンジニアなのに開発できずマネジメントに忙殺される」「現場のボトムアップや生産性改善に着手できない」といった悩みも、この距離感がうまく掴めていないことが原因なのではないかと、河合氏は言う。
エンジニアとビジネス側の相互理解が進めば、このような状況を改善できると思う人もいるかもしれない。だが河合氏によれば、両者の距離感は、事業形態、社会的動向、組織の状況、CTOやCEOの力量など、大きな流れに影響される。言い換えれば、ビジネスとエンジニアをどこまで紐づけるかは、会社の思想や成り立ちに左右されるということだ。そしてこの会社の思想と現場の実情の乖離が、河合氏の言う「距離感を見誤ること」の正体だ。
「ビジネスとエンジニアカルチャーとのバランスは、多くの会社を悩ませる、難しい課題です。今後、このバランスの取り方に、それぞれの会社のカラーが強く反映されるでしょう」(河合氏)
会社に根深く潜む問題だから、エンジニア個人の力だけでは現状を大きく変えるのは難しい。しかし、自分たちの周りにある大きな流れを掴み、ビジネスとの適切な距離感を保つことで、エンジニアとしての働きやすさを実現できるかもしれない。それがブログ記事における河合氏の結論だ。