AIは「機能や作業の拡張」をもたらすが、「ビジネス価値の創造」そのものは代替しない
広木大地氏は、株式会社ミクシィにおいてアーキテクトとして技術戦略や組織構築を牽引し、メディア開発部長などを歴任した後、現在は一般社団法人日本CTO協会の理事や朝日新聞社の社外CTOを務めている。それまでの経験を生かして、2019年には『エンジニアリング組織論への正体』、昨年11月には『AIエージェント 人類と協働する機械』を上梓。多岐にわたる活動を展開している。
本セッションのタイトルにもなっている問題提起、「なぜAIで生産性が上がっていると錯覚してしまうのか」。AIによる爆発的な作業の高速化が、なぜ最終的な価値創造という成果に直結しないのか。広木氏はこの複雑な現象を読み解くため、ソフトウェア開発の歴史的な背景と、現代の組織が抱える構造的な問題という多角的な視点から仮説を立てる。その根底に流れているのは、AIという技術がもたらすものはあくまで「機能や作業の拡張」であり、「ビジネス価値の創造」そのものを代替してくれるわけではないという事実だ。
かつてソフトウェアエンジニアリングの世界において、コンパイラが期待通りに動作しない、あるいはライブラリの連携がうまくいかないといった技術的、あるいは環境的な制約は、開発者の貴重な時間を大きく奪う最大の要因であった。これらは業界において「偶有的複雑性」と呼ばれており、過去数十年にわたるプログラミング言語やツールの進化、そして近年のAIの台頭によって、こうした実装レベルの困難は劇的に解消されつつある。
しかしながら、AIがいかに高度なコードをエラーなく瞬時に生成しようとも、企業が直面するビジネス課題そのものの複雑さや、移り気な顧客の真のニーズを見極めるという難しさが消え去るわけではない。しかも、競合他社も等しくAIという強力な武器を手にしている市場環境の中では、単に「速く作れる」というだけの能力は、もはや競争優位性の源泉にはなり得なくなっているのである。
広木氏が本セッションで特に注目し、掘り下げたのは、AIの導入によって人間の認知的な負担が軽減されるどころか、むしろ新たな種類の疲弊を引き起こしているという仮説である。
「私たちは生産性が上がったと錯覚しています。体感としてはやはり作業が速くなったと感じます。しかし、価値というのは最終的な成果でしか確定しません」
AIの支援によって実装という「手を動かす」時間が極端に圧縮された結果、何が起きるのか。人間は、AIが次々と出力してくる結果に対して、絶え間なく方針を決定し、コードをレビューし、承認するという「頭を使う」判断のタスクを秒単位で突きつけられることになる。この高密度な意思決定の連続が、人間の精神的なエネルギーを急速に枯渇させ、いわゆる「AI疲れ」という新たな問題を引き起こしているというのが広木氏の分析だ。
つまり、AI導入が期待された成果を上げられない理由は、AIの技術的な未成熟さにあるのではない。圧倒的なスピードで稼働するAIという新たな労働力に対して、人間の働き方や組織の価値創出プロセスを最適化できていないという「構造的欠陥」にこそ起因しているのである。
