『ルビィのぼうけん こんにちは!プログラミング』は、プログラミングではなくプログラマー的思考法を学ぶことができる子ども向けの絵本です。著者はフィンランド出身のプログラマーでイラストレーターでもあるリンダ・リウカスさん。女性にプログラミングを学んでもらうワークショップを主催するRails Girlsの創設者の一人です。
彼女は多くの講演でプログラミング教育の重要性を説き、子どもたちのためにワークショップも開催しています。日本でもプログラミング教育に注目が集まり、義務教育に取り入れられる機運も高まってきましたが、そもそも子どもたちが身につけるべき「プログラミングの知識」とはどういうものなのでしょうか。リンダさんは、それはプログラミングの言語や文法ではなく、プログラマー的思考法だとおっしゃいます。
ではなぜプログラマー的思考法がいまの、そしてこれからの子どもたちに必要なのでしょうか。
今回、リンダさんと、本書の翻訳者でかねてからRails Girlsをサポートしている鳥井雪さんに、本書に込めた想いについてインタビューをお願いしました。自分の子どもにプログラミングを学んでもらいたいと考えている方は、お見逃しなく。
テクノロジーは想像力の源で、自己表現できるもの
――リンダさんはポケモンを遊びながら育ったとうかがいました。日本の文化には以前から興味を持たれていたのでしょうか。
リンダ:私はフィンランドで生まれ育ちましたが、テクノロジーは無機質で冷たいものだという印象がありました。ノキアのエンジニアがケータイを作っていますが、エンジニアリングはとても工学的なものだと思っていたんです。ですが、ファミコンでマリオをプレイしたり、たまごっちやポケモンも遊んだりしていました。そんな中で、テクノロジーとクリエイティブを組み合わせたものはたいてい日本から来ていると感じるようになったんです。ですから、若いときから日本に興味を持っていたといえます。
2年間で6回も来日していますが、日本に来るときはいつもわくわくします。今回は『ルビィのぼうけん』が日本でも出版される直前の来日で、とても楽しみにしてきました。
――日本のゲームで遊んだ経験は、いまのリンダさんの活動にも影響を与えていますか?
リンダ:日本のゲームには、テクノロジーは想像力の源で、自己表現できるものだと気づかせてもらいました。日本人とフィンランド人の特徴を比べると、かわいいもの、きれいで美しいもの、整理されたものを好むところに共通点があると思います。そして単純にかわいいだけでなく、機能を重視するところも似ています。ですから、本書の雰囲気も日本では受け入れてもらえるのではないでしょうか。
――日本で『ルビィのぼうけん』を出版することは当初から考えていたのですか?
リンダ:実は考えていませんでした。そもそもこんなに多くの国で出版することも想定外です。結果としてこれだけ広がったということは嬉しく、驚きでもあります。綿密なマーケティングをして、戦略的に展開しているのではないかと訊かれることがありますが、そうではありません。実際には、偶然の巡り合わせ――セレンディピティですばらしい出会いに恵まれ、それがきっかけとなって出版に至っています。
皆さんがわくわくしてくれているのはとても嬉しいことで、私にも日本で出版することには特別な思い入れがあります。それはRubyという言語が日本発祥であるからです。そういえば、ラトビアの女の子にRubyの話をしたとき、「Rubyのパパがいるならママはどこにいるの?」と質問され、困ったことがありました(笑)。
※Rubyのパパこと、まつもとゆきひろさんには推薦文をいただきました。
フィンランドと日本の文化の違いが翻訳に
――翻訳者の鳥井さんにもおうかがいします。以前からリンダさんのRails Girlsでワークショップを開催されてきて、今回翻訳に携わっていただきました。本書がとうとう日本で出版されることになって、どんな気持ちを抱かれていますか?
鳥井:とても嬉しいです。私の小さい頃に本書があったらもっとよかったのに(笑)。本書がようやく日本の子どもたちの手に渡ることは感慨深いです。本書に携わることができて本当によかったですね。
リンダ:雪さんが翻訳してくださったことに感謝しています。翻訳は単純に言葉を置き換えるだけでなく、もっとたいへんな仕事です。対応する言葉がなかったらどういう表現をすればいいのかを検討しなければいけませんし、子どもに受け入れられる文化的な表現も工夫する必要があります。ですが、個人的にも尊敬している雪さんが担当してくれることを知ったとき、日本版はもう大丈夫だと安心しました。
鳥井:ありがとうございます(笑)。翻訳ではページの切り替えや原書にはない文章を入れることも提案しました。ほかにも、例えば大人なら「TRUEとFALSE」は「真偽」で通じますが、子どもにはどういう言葉だと通じるのか、これまでの翻訳書を研究して考えました。今回は「本当、間違い」としました。
私は絵本が好きなんですが、絵本はリズムも大事ですよね。ただプログラマー的思考法が学べるだけでなく、絵本としてよいものにしたかったので、国際子ども図書館に通って資料を読むこともしましたね。
リンダ:日本独特で面白かったのが、お風呂の表現です。ぜひ雪さんから紹介してください。
鳥井:104ページにロボットがお風呂に入る問題があり、そこではロボットが何をし忘れているかを考えます。
フィンランドやアメリカの場合は、ロボットはお風呂に入って体を洗い、お風呂を出るという順番で文章が並んでいます。ですから、答えは「お風呂のお湯を止め忘れている」ということなんですが、日本では別の答えになってしまいますよね。「Get into the bath(お風呂に入る)」は「湯船に入る」ことになるので、答えが「お風呂を出てから体を洗う」となってしまうんです(笑)。この問題はどうしよう、とけっこう悩みました。日本版では空欄を入れることで、お湯を止めるという答えを出しやすくなっています。
日本の子どもたちはプログラミングに馴染みがある?
――翻訳に文化的な違いが表れるとのことですが、ワークショップでの子どもたちの反応はいかがですか? 日本でもすでに開催されていらっしゃいますよね。
リンダ:何回か開催していますが、日本の子どもたちにはルールにもとづいて考える姿勢があることに驚きました。フィンランドだと、物事に対処するときには型にはめず、オープンにやらせる傾向があります。なので、子どもたちに「紙でPCを作って」とお願いするとき、フィンランドだと「はいどうぞ」とスタートしてあとは任せてしまいます。ですが、日本だと「まずこれをこうして……」とルールと手順をきちんと伝えていくアプローチが必要です。この違いに驚いたんですね。
本書でも、プログラミングは問題を細分化する手順だと説明していますので、日本の子どもたちはほかの国の子どもたちよりもプログラミングに親しみを持ちやすいかもしれません。
国による違いをもう一つ挙げると、日本の子どもたちはフィンランドと同じで自由にいろんなところを冒険できる環境にいます。アメリカの子どもたちはそうではないんですね。そういう環境にいるということは、プログラミングを学んでいくには適していると思います。なぜなら、東京の街を歩いていたら「これは何だろう、あれは何だろう」とたくさんの疑問が思い浮かぶでしょう。それがとてもいいことなんです。
ゲーム好きの子どもたちにどう振り向いてもらう?
――日本の子どもたちは、現実での冒険よりもゲームでの冒険のほうが好きかもしれません。そういう子どもたちにプログラミングの面白さを知ってもらうために、大人はどうすればいいのでしょうか。
リンダ:何を教えるときでも、さまざまなアプローチがあります。私が好きな方法は、ストーリーテリングです。物語を話すことでコンテクストを与え、そのコンテクストの中で考えるようになってもらえるからです。それにより、子どもたちが日常生活の中で問題解決をする手がかりや、「こうしたら世の中の人の助けになるのではないか」と考えられる環境を作るように心がけています。
――とはいえやはり、子どもたちはゲームを遊ぶことに忙しく、作るほうにはなかなか振り向いてくれないことも多いです。
リンダ:それは非常に重要なポイントです。まずは親が、ゲームをしない時間、物事を考える時間を作ってあげることが大事です。そうしないと、コンピュータやスマートフォンでゲームをするだけの生活になってしまい、消費するだけの人になってしまいます。
大人も口で言うだけでなく、見本を示さなければなりません。子どもに「あれをやりなさい、これをやりなさい」とスマートフォンを見ながら言っていては説得力がありません。こうあるべきだという見本を、自分の行動で見せてあげてください。
私は、そういうときに本が優れていると思っています。本はキャンプファイアのようなもので、本があるとそこに人が集まり、会話が生まれるユニークなメディアです。親と子どもも、一緒に読むことができますよね。アプリにそういう力があるかどうかはまだ分かりませんが、本が持つキャンプファイア的な力は活用すべきですね。
私は小さいときに『ムーミン』などたくさんの本を読みました。もちろんストーリーは面白いのですが、いろいろな本を読むことで冒険や家族愛、社会のことなど、大人になって役立つ大きなテーマについて学ぶことができます。大人になったとき必要なことを考えるために、あるいはさまざまなことに興味を持つ大人になるために、本はとても大きな力を持つ存在ではないでしょうか。
――自発的に興味を持つ子どももいると思いますが、リンダさんもプログラミングに興味を持ったきっかけはアル・ゴアのファンサイトを作ったことだったそうですね。
リンダ:そうなんです。いろいろなところでこの話をしているので、そろそろ彼から声がかかるはずと思っているのですが、まだ何もないのでがっかりしています(笑)。
私のこの経験から学べることは、好きなことに対する情熱をプログラミングを学ぶモチベーションに変えるということです。子どもは単純に「プログラミングを学びなさい」と言われても、モチベーションを感じません。ですが、自分の生活の中でモチベーションや熱意を持っている事柄があると、それが動機づけになり、「じゃあどうすればプログラミングで表現ができるのか」と考えるようになります。ですから、子どもにプログラミングを教えるためには動機が大事です。それは、何かを好きという強い気持ちから生まれてくるものなのです。
――ちなみに、ファンサイトは成功したのでしょうか?
リンダ:ダメでした(笑)。ゲストブックがあったんですが、身近な友達しかメッセージを残してくれなかったんです。
プログラミング教育を受けても、プログラマーになる必要はない
――リンダさんはプログラミングが21世紀の教養になるとおっしゃっていましたが、プログラミングやテクノロジーの知識がなくても幸せに生きていくことはできますし、現に幸せな人も多いはずです。そうした生き方についてはどう思いますか?
リンダ:分別があって、自分で選択している大人に関しては問題ないと思います。ですが、子どもにもそれを許してしまうのは好ましくありません。少しでもいいので、物事の仕組みがどうなっているのか、想像できるようになるためにプログラミングを教えてあげることが必要です。
私は子どもたちにプログラミングやテクノロジーの裏側を知ってほしいと考えていますが、すべての子どもたちにプログラマーになってほしいとは思っていません。
――プログラミング教育というと、プログラマーになることと直結して考えがちですが、本書の目的はそうではないということでしょうか。
リンダ:そのとおりです。私がこのプロジェクトを始めたとき、自分がやっていることをどう説明したらいいのか、意外と難しかったんです。考えをまとめていくうちに、「プログラマー的思考法」を伝えることが私のやっていることだと思いついたんです。
プログラマー的思考法は、必ずしもプログラマーにならなくても、社会で生活していくうえで役立つスキルだと思います。技術的な問題だけでなく、世の中の問題を効率的に、また状況に適したやり方で解決するために、クリエイティブに考える力がつきます。プログラムを開発するときに大切となる共同作業の方法や忍耐強さを学ぶこともできます。
また、プログラマーにならなくてもいいというのは、私が典型的な例です。私は以前プログラミングの仕事をしていましたが、私はバックエンドのアルゴリズムを極めるようなプログラマーになるよりも、もっとプログラミングの全般的な知識を活かしながら、異なる領域と組み合わせて何かを提案するほうが向いていると思ったんです。そこで、私はプログラミングとストーリーテリング、絵本で表現することを組み合わせ、私が学んできたことを広く伝えていくことにしたんです。
コンピュータ・サイエンスは教養になった
――プログラマー的思考法がプログラミング以外の領域で有効であることを、日本の大人に気づいてもらうにはどうすればいいのでしょうか。
リンダ:プログラミングの世界はもともと専門的で独立した領域でした。ですが、いま世の中で起こっているビジネス、政治、健康、教育などの問題はコンピュータ・サイエンスの力なしでは解決できません。なので、人がコンピュータ・サイエンスを用いて知恵を出し合い、問題を解決していくという意味では、プログラミングの位置づけはかなり変わってきていると思います。
子どもを持つ親としては、子どもが大人になったときどういう世の中になるのか、子どもの将来はどうなるのかと思いを巡らしますが、どうすれば子どもがよりハッピーになれるかを考えなければなりません。そのとき、プログラミングを学ばせることはとても重要だと思います。
プログラミングにまつわる考え方や方法論を身につければ、プログラマーになるためだけでなく、世の中が変化してもさまざまな問題に応用することができるからです。ですので、プログラミング、より広く言えばコンピュータ・サイエンスは昔と位置づけが変わっていて、子どもが習得する重要性が増しているわけです。
かつてコンピュータ・サイエンスは学問領域の一つで、電子工学や哲学、数学の一部として学ばれていました。現在はいろいろな領域でコンピュータ・サイエンスの力が必要になっていて、既存の学問を横断する形で広がっています。高等教育では教養として学ばれますし、フィンランドのように小中学校での教育にも広がっていっていますよね。
ちなみに、いままでハーバード大学で学部生に最も人気のあるコースは経済学入門でしたが、昨年はコンピュータ・サイエンスが1位になったんです。高いレベルの教育を受けている学部生の興味もそちらに向いているのも、世の中が変わりつつあることのサインではないでしょうか。
子どもたちに、テクノロジーへのドアを開く
――では、将来的にはプログラマー的思考法がどんな領域、どんな人にも必要になるとお考えですか?
リンダ:すべての人に不可欠、そういう思考法がなければ生きていけないということはありません。ある一定のレベルで理解していれば、日々の生活にも役立つだろうと考えています。エンジニアはすでに技術があるので問題ありませんが、これから理解してもらわないといけないのは、子どもたちも含め、まだテクノロジーの世界に立っていない人たちです。そういう方にこの世界の入口を見せて、考え方を養ってもらう必要があります。
――その対象になる大人はたくさんいると思います。ということは、本書は子どもたちだけでなく大人にもきちんと読んでもらいたいということでしょうか。
リンダ:もちろん本書は子ども向けで、そもそもは自分が子どもの時代にこういう本があればいいなと思い描きながら作った本です。ですが、実は、子どもにプログラミングを学ばせたいと思っているけれど自分は素養がない、という親にもプログラマー的思考法を学んでもらうことが秘密の目的です。
――それでは最後に、子どもたちと大人に一番伝えたいことを教えてください。
リンダ:子どもたちには、テクノロジーは無機質で冷たいものではなく、好奇心の対象になるものだと伝えたいですね。テクノロジーがあることで、よりエキサイティングな生活ができるんです。親の皆さんには、子どもたちにぜひテクノロジーへのドアを開いてあげてもらいたいです。そして、子どもと同じ目線でテクノロジーに親しみを持ってもらえれば、とても嬉しく思います。