「おもしろさ」を追い求めたキャリアの軌跡
エンジニアリングマネージャー(EM)として豊富な経験を積んだのち、現在はMonotaROでシニアアーキテクトとして活躍するおだか氏。現在は52歳だが、20代はバーテンダーとして過ごしたという異色の経歴を持ちだ。そんなおだか氏がエンジニアのキャリアを歩み始めたのは28歳。
「ノストラダムスの大予言を本気で信じていたので、20世紀のうちは真面目に働く気が起きなかった。1999年を無事に迎えた後、このままではまずいと奮起し、選んだのはエンジニアだった」。
おだか氏をエンジニアへと誘ったのは、システムエンジニア(SE)であった父が趣味で開発していた競馬予想アプリだった。楽しそうに自作アプリを開発する父の姿が、彼の好奇心を刺激し、キャリアチェンジのきっかけを与えた。

エンジニアとしての初就職先は、主に下流工程を担当するSES企業だった。「コーディング自体は楽しく、書いたプログラムが動く瞬間は感動的だった」と語るが、与えられた作業をただこなすだけの日々には、「おもしろさ」が欠けていた。「指示されたまま作業するのは性に合わない。自分のアイデアを反映させつつ、主体的に仕事を進めたい」。その思いを胸に、おだか氏は事業会社への転職を決意する。
こうして巡り合った事業会社では、業務担当者と直接対話しながらニーズを把握し、それをシステムとして実現するプロセスに携わった。「企画段階から関わることで、システムが業務に役立ち、感謝される瞬間を体験できた。それがたまらなくおもしろかった」と語るおだか氏。業務の成果が直接的に評価される環境は、おだか氏にとって大きなモチベーションとなったようだ。
そして、生き生きと働くおだか氏に、さらなる成長の機会が訪れる。業務担当者との会話の中で、ふと「この業務効率化が、ビジネス全体にどれほどの影響を与えるのだろう」と考えるようになった。そして、自身の役割や目的を再考するようになったのだ。ただ目の前の担当者を喜ばせるためだけなのか、会社全体のためなのか。自分にとっての「顧客」とは誰なのかなど、次々と問いが湧き上がり、いつしか、仕事への向き合い方を大きく変えていった。
こうした問いを経て、事業全体を支えるIT部門の役割に視座を広げたおだか氏は、「事業会社のIT部門が果たすべきは、単なるシステム開発だけではない。継続的な価値提供を支える『組織資本』『情報資本』『人的資本』の形成だ」という信念を得る。そのためには、事業分析能力や保守性を高めるスキルだけでなく、健全な組織文化や充実した開発プラットフォームの構築が不可欠であることも体得した。

現在、おだか氏はMonotaROで「事業分析」と「保守性の作り込み」に力を注いでいる。「毎日が本当におもしろくてたまらない」と語るその姿からは、「おもしろさ」を軸に行動し続ける氏の哲学が強く伝わってくる。シニアアーキテクトという肩書きにふさわしく、組織やシステムを包括的に捉えるおだか氏のキャリアは、「おもしろい」を追求し続けることで形成され、これからもさらなる成長を続けていくのだろう。