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Developers CAREER Boost 2024 セッションレポート

なりたくなかったマネージャーが天職に? 知らない景色に飛び込むエンジニアは「何にだってなれる」

【A-1】知らない景色を見にいこう──チャンスを掴んだら道が開けたマネジメントの旅

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 先行きが見通しにくいVUCA時代、将来のキャリアに迷いを抱える技術者も多いだろう。キャリアは計画通りに進むとは限らない。むしろ偶然が積み重なることで新たな道が開けることもある——そうしたリアルな実感を語ったのが、株式会社カケハシのエンジニアリングマネージャーである小田中育生氏だ。本セッションでは、小田中氏が実際に体験した“偶然”をもとに、「やりたいことが明確でなくても、手を動かし続けることでキャリアは形作られ、知らない景色が見えてくる」というメッセージが贈られた。

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未知のキャリアに踏み出した最初の挑戦

 「僕たちは何にだってなれる」。セッション冒頭、小田中育生氏はこの力強い言葉を皮切りに、自身のキャリアを語り始めた。小田中氏はエンジニアとしてキャリアをスタートさせ、現在は株式会社カケハシのエンジニアリングマネージャー(EM)を務めている。過去には大規模エンジニア組織を率いるVPoEを務めるなど、その経歴は多岐にわたる。

 しかし、小田中氏自身は「最初からマネージャーになりたいと思っていたわけではなかった」と振り返る。エンジニアとして技術を追求する中で、偶然の機会によりマネジメントに携わることになったのだという。技術書の執筆もまた、「特別な人のやることで、まさか自分が書くとは想像もしていなかった」と述べる。いずれも、たまたま目の前に訪れたチャンスに勇気を持って飛び込んだことが、結果として大きな転機をもたらしたわけだ。

 そんな小田中氏のキャリアの原点は大学院時代にある。当時、小田中氏は研究者を目指していたが、研究室の先輩から「企業の研究室に来てみないか」と誘われる。一度は断るも、「せっかくだから」と受けた面接を機に、企業研究所でのキャリアが始まった。

株式会社カケハシ Service Development Division エンジニアリングマネージャー 小田中 育生氏
株式会社カケハシ Service Development Division エンジニアリングマネージャー 小田中 育生氏

 配属されたのは外資系企業の研究所。ブースで区切られた空間で、時には「1週間誰とも話さずに作業に没頭することもあった」という。先進的な研究ができる環境は小田中氏にとって理想的なものだったが、静かながらも充実した生活は、リーマン・ショックによって一変する。研究所が解体され、転職を余儀なくされたのだ。

 次の職場に選んだのは、株式会社ナビタイムジャパンだった。景気が低迷する中でも同社が求人活動を続けていることに対し、「なぜ景気が悪いのに採用を続けているのか」と社長に直接質問したというから驚きだ。返ってきたのは、「景気が良かろうと悪かろうと、人は移動する。そこに課題がある限り、私たちは解決する必要がある」という言葉。この信念に感銘を受けた小田中氏は、入社を決意した。

 転職後は研究職としてアルゴリズムやデータ構造に向き合いながら、新たな挑戦を楽しんだ。「その頃の自分にはなりたい姿が特になかった。ただ目の前の仕事を楽しんでいただけだった」。

 そこへ次なる転機をもたらしたのは、企業の基盤となるレガシーライブラリのリプレースだ。新しいライブラリの構築は手応えのある仕事だったが、それを呼び出すレガシーシステムの複雑さが壁として立ちはだかった。そのシステムには、仕様書もなく、動作確認のためのテスト環境すらない。まさに手探り状態でリバースエンジニアリングを進めざるを得なかった。

 一箇所を修正すると別の箇所に不具合が生じる……そんな悪循環を目の当たりにした小田中氏は、「このシステム全体をリファクタリングすべきだ」と進言。この発言が「リファクタリングをやりたいらしい」という形で伝わっていき、あるとき上長から「リファクタリングしたいんだって?(システムの保守運用を担当している)チームには話をしてあるから、異動してやってきていいよ」と告げられたとのことだ。

「リファクタリングしたほうがいい」が伝言ゲームで「したい」に変化!?
「リファクタリングしたほうがいい」が伝言ゲームで「したい」に変化!?

 突然の展開に驚きつつも、小田中氏はこの依頼を引き受ける決断を下した。「強い姿勢で断る選択肢もあったかもしれないが、リファクタリングが必要なのは事実だし、誰もやらないなら自分がやるべきだと考えた」。ここにも、偶然に対して自ら飛び込むという小田中氏の行動力が見受けられる。

 異動先で出会ったのは、同システムに関わった経験を持つ先輩だった。「一緒にやろう」という先輩の提案を受け、作業を分担。小田中氏は実装に集中し、先輩はレガシーシステムの知識やテスト環境整備を担当するという形で進行した。この経験を通じて、小田中氏は「人と働く楽しさ」に初めて気づく。「28歳にして、人間の心を取り戻した瞬間だった」。

 その後も小田中氏はチームに残り、放置されていた改善項目を次々と解消。「散らかった部屋を片付けるように、取り組み始めると効果が目に見えてきた」。改善活動は成果がわかりやすく、毎週のサイクルとして定着した。「人と働くのも、改善するのも楽しい。『みんなで良くしていく』ことが、もしかすると自分のやりたいことなのではないか」。年間50回に及ぶ改善プロセスを通じ、小田中氏は次第にそう実感するようになったという。

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マネジメントへの挑戦と葛藤を乗り越えるまでの道のり

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この記事の著者

水無瀬 あずさ(ミナセ アズサ)

 現役エンジニア兼フリーランスライター。PHPで社内開発を行う傍ら、オウンドメディアコンテンツを執筆しています。得意ジャンルはIT・転職・教育。個人ゲーム開発に興味があり、最近になってUnity(C#)の勉強を始めました。おでんのコンニャクが主役のゲームを作るのが目標です。

※プロフィールは、執筆時点、または直近の記事の寄稿時点での内容です

篠部 雅貴(シノベ マサタカ)

 フリーカメラマン 1975年生まれ。 学生時代、大学を休学しオーストラリアをバイクで放浪。旅の途中で撮影の面白さに惹かれ写真の道へ。 卒業後、都内の商業スタジオにカメラマンとして14年間勤務。2014年に独立し、シノベ写真事務所を設立。雑誌・広告・WEBなど、ポートレートをメインに、料理や商品まで幅広く撮影。旅を愛する出張カメラマンとして奮闘中。 Corporate website Portfolio website

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CodeZine編集部(コードジンヘンシュウブ)

CodeZineは、株式会社翔泳社が運営するソフトウェア開発者向けのWebメディアです。「デベロッパーの成長と課題解決に貢献するメディア」をコンセプトに、現場で役立つ最新情報を日々お届けします。

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