世界で最も有名なプログラマ、Matzが問う「幸せ」とは?
まつもとゆきひろ氏といえば、世界中に多くのユーザーを抱えるプログラミング言語「Ruby」の生みの親として、その名を知らない人はIT界では皆無だろう。しかし世界では、フルネームよりも「Matz」の愛称の方が有名なようだ。
「フルネームを海外で紹介しても、絶対覚えてもらえないんですよね。日本でも“ひろゆき”なんて間違われるくらいなので、もうMatzでいいだろう、Matzと呼んでくださいと(笑)」
25年というエンジニア人生で、部下がいたことは現在も含めてほぼゼロ。いわゆる、組織における出世街道から外れた人生だ。しかし、Rubyの開発によってその名は世界的に知られ、おそらく日本で最も著名なプログラマの一人とも言えるだろう。日経新聞主催のさまざまなアワードを総なめにし、2012年には内閣府によって「世界で活躍し『日本』を発信する日本人」に選ばれ、NTTやトヨタの重役と並んでIT総合戦略本部委員に名を連ね、さらにラフカディオ・ハーンや人間国宝と並んで松江市名誉市民にも選ばれている。
ずらりと並んだ肩書に「ほとんど自慢です」と笑いつつ、まつもと氏は「エンジニアはエンジニアとして幸せになりたい」と語る。果たして「エンジニアとしての幸せ」とは何なのか。
まずはお金。まつもと氏は「お金があれば幸せになれると仮定するとどうだろう」と投げかける。とはいえ、宝くじのような運に任せて幸せになる戦略は、確率的にものすごく低く、決して賢明とは言えない。もし「成功すること」がお金を得る一つの手だとすれば、成功する確率を上げる戦略を考えるべきだろう。そのためには、まずは成功が何たるかを定義し、ゲームのルールを理解し、成功に到達するまで繰り返すことが必要となる。また、他のプレイヤーがしないことをする、つまりは「差別化」も大切だろう。
逆に「成功」とはなんだろう。「お金を得ること?」「お金があれば幸せ?」と繰り返し問いながら、まつもと氏は「どうなれば、あなたは幸せなのか」と問いかける。つまり、どんなにお金を持っていても、名誉な肩書きを持っていても、満たされない人は常にいる。自分が何をしたら幸せを感じるのか、「自分の幸せ」に自覚的になることが重要というわけだ。そして、まつもと氏は、自身の幸せについて次のように語る。
「とにかくプログラムが好き、プログラミング言語が大好きでしたね。15歳からプログラミングを始めて、最初はBASICで書いていました。でも、とにかく機器が貧弱でストレスがたまり、他にもっと軽い言語があることを知って言語自体に関心を持ったわけです。知るともっと知りたくなっていきました」
自分が最も興味を引かれる場所で成功するまで繰り返すこと
まつもと氏も当初はPascal、LISP、Smalltalk、C言語などを勉強していたというが、ふと「これらのプログラミング言語は、誰かが作ったもの。それなら、自分でも作ってみようかな」と思うようになったという。言語を習得すると「ゲームを作りたい」というようにとプロダクトに興味を持つ人が多い中、まつもと氏はプログラミング言語自体、そしてそれを自分の手で作ることに関心を寄せていった。
「当時はインターネットもなく、言語を作るためのコンパイラを手に入れようと思ったらPC98用で20万円近くしました。とても高校生のお小遣いでは買えないので、夢のまた夢。さらに、周りにプログラミングについて語れる友達がおらず、『プログラミング言語を作りたい』なんて考えるのはマイノリティであるというのは、大学に入ってコンピュータ・サイエンスを専攻するまで気づいていなかったんです」
その結果、“ライバルのいない分野”を突き進み、「第一人者」と言われるようになったという。希少価値のあるものには価値がある、ニッチな部分でも突き進んで第一人者になれば、幸せになれる。
まつもと氏は「ガリレオ温度計」になぞらえて、エンジニアのコンディションを表現する。ガリレオ温度計とは、透明な液体と色とりどりの球体を含む、ガラス製の円筒で作られた温度計だ。
エンジニアは、好きなこともモチベーションもそれぞれ。アプリを使うユーザーの笑顔を見るのがうれしいという人もいれば、フレームワークを作ってエンジニアが喜ぶ姿を見るのがうれしいという人もいる。プログラミング言語、ツール、OS、ハードウェアなど技術自体に関心を寄せている人がいる。つまり、ガリレオ温度計において、浮かんでいる球体の位置それぞれが違うように、個性や関心、バックグラウンドによって、自分の興味関心やモチベーションは変わる。その最も高く浮かべる場で力を発揮することが、一番成果も出て、一番幸せになれるのではないかというわけだ。
「自分が何に関して関心を持つか、何に対して能力が高いのか。己を知り、“魂の浮力”が最も高い場所を知る。自分を幸せにする最大のスキルであり、戦略です。そのために、他の人の戦略は使えません。モチベーションの源泉を見つけ、そのモチベーションの高さが生産性につながり、他人に負けない成果を出せば、最大の差別化が実現します。まずは自分を知り、自分が目指すべきゴールを設定することが大切です」
さらにまつもと氏は、成功するまで繰り返すことの重要性を説く。あるチャレンジの成功確率が10%だとすれば、「1 - (0.9)10 = 0.651…」で10回繰り返すと65%成功する。40回やれば99%となり、ほぼ成功するというわけだ。さらに、PCもインターネットもそろい、低コストで繰り返せる環境が整っている。かつては家を担保にするくらい起業コストは高かったが、今は失敗しても少々貯金が減るだけ。しかも、繰り返すことにより成功確率が上がるなら、挑戦しない手はないだろう。
「みんなと同じであれ」は自分らしい幸せの障壁になる
繰り返せば成功率が上がるとはいえ、もともとの成功の確率も上げておきたいもの。そこでまつもと氏が、成功するための3つ目のポイントとして挙げるのが「ルールを理解する」ことだ。人生はゲームとして例えられることが多いが、自分らしく幸せになるためにはさまざまな障壁がある。
その一つが「同調圧力」だ。特に学生時代において、みんなと同じであれと教えられ、テストではすべての教科で100点を取ることを求められ、結果として「苦手を克服すること」を求められる。みんなが同じゲームをプレイしている気になるのは当然だ。しかし、社会人になれば“満点がない”。さらに言えば“評価もまちまち”となれば、満点である意味がなくなる。むしろ、得意なところを伸ばして、苦手なところを誰かに任せる方が生産的といえるだろう。
「同じチームであっても、プロダクトマネージャーとエンジニアではプレイしているゲームが違います。いや、一人ひとり全く違っています。しかし、学校と社会とのゲームのルールの違いについて教えてくれる人は誰もいません。オープンワールドのゲームであり、攻略本もなければ、そもそも全く役に立たないことが多い。それを早いうちに自覚することが大切です」とまつもと氏は強調する。
そして、このルールの落とし穴について、かつて大学の授業「パンチカード・タワー」による演習での経験を紹介した。「パンチカードとホチキスだけで、できるだけ高い構造物を作る」という課題を与えられ、制約を課せられながら、パンチカードを筒にして、それを重ねて3mのタワーを作ったという。しかし、過去には階段に沿ってぐるぐると紙をつなぎ、15mの高さを作った人がいると聞き驚く。つまり、構造物なら丈夫に作らなければという先入観のために、「何かに寄りかからせることも可能」と気づかなかったのだ。
「よい手があったのに、視野が狭かったがために気づかなかった。そうしたことは人生ではよくあることではないでしょうか。人生の本当のルールを誰も教えてくれない。もしかするともっといい手があるかもしれない。それは、深く考えること、自分でやってみてから初めて気づくのです」
しかし、人は変わること、挑戦することに対して恐れをいだくものだ。いや、必要以上に失敗を恐れているともいえるだろう。みんなと同じことをすることの安心感。しかし、まつもと氏は「むしろ変化しないこと、みんなと同じことをすることのリスクの方が大きい」と解説する。
つまり、求人数がどんなに多くても、自分ができる仕事は一つ。それなのに、みんながやっていることは求人数も多ければ、応募数も多く競争も激しくなる。さらには希少性がなくなり、価値も下がる。つまり、他の人と違うことをすることが、人生においての必殺技、裏ワザになるのではないかというわけだ。そして、それを身につけるためのモチベーションの源泉を見つける必要がある。
“意識の壁”を取り払い「自分の幸せ」の種を貪欲に追求しよう
エンジニアが技術を持つのは当然といえば当然だが、まつもと氏は、他の職能であっても「エンジニアの補助スキル」を上手に使えば、リスクを下げて、リターンを拡大できるという。
「例えば、アントレプレナーにとって、プログラミングができることは補助スキルになります。例えば、どんなにいいアイデアを持っている人でも、自分で作れる人は少ないもの。そこで出資者を募り、形にしていくことが求められますが、その際に作り手との齟齬が生じる可能性も少なくありません。しかし、発注側がプロトタイプを作ることができれば、その落差も小さくなるはずでしょう」
実際、楽天の最初のコードは三木谷社長が自分でプログラムを学び、実際に作りたいサービスのイメージを形にしたことで、エンジニアの理解が進み、スピーディに事業化が可能になったという。
さらに、まつもと氏は日本の英語環境についての特殊性を語る。オープンソース関係のイベントでマレーシアを視察した際に、すべてが英語であることに驚かされたという。英語の講演に、資料もコミュニケーションも英語。ITを職業に選んだ時点で、80〜90%を英語でやるのは必然。そういう環境は、北欧を含めた多くの国では当たり前になっている。
「日本では、技術書でも日本語のものが多数出版され、日本語だけで仕事ができる状況です。生活に、仕事に、勉強に英語がいらない環境は、逆に『ガラパゴス化』と揶揄されることも多いです。しかし、物理的には自由に行動でき、たどたどしい英語でも十分に通じるのです。つまり、われわれを閉じ込めているのは、“意識の壁”というわけです」
確かに壁があることで情報格差が生まれ、その格差は位置エネルギーにより発電が起きるように、新しい外から中に持ってくることで商売になる。いわば「タイムマシン経営」といわれる経営だ。しかし、IT市場は地続き。壁と思っているその先に、最低でも10倍以上のマーケットが広がると考えるべきだろう。意識の壁を取り壊さずに、10倍のマーケットを諦めてしまうのは実にもったいない。事実、海外では多くのインド人、中国人がめちゃめちゃな英語でしゃべっており、その勢いは「お前、なんでオレの英語がわからないんだ!」と言われるほどだという。
「意識の壁も、同調圧力も、知らないルールへの挑戦も、意識改革いや意識だけの改革でも大きく変わってくると思います。その意識の壁を破るために、海外カンファレンスに行ってみて『たいしたことない』と実感するもよし、転職を含め、自分の環境改善をするなど、“自分を変える”ことが大切でしょう。『世界は変えられないが、自分は自分で変えられる』というように、人任せにせず、自分でやりとげることが大事」とまつもと氏は熱く語る。
そして、最後にインテルの創業者の一人であるアンディ・グローブの言葉として、「パラノイアこそが生き残る」を紹介。「エンジニアは、自分が何をしたら幸せか、何をしたら生き残れるのかを考え、そこにしっかりと注力し、偏執的に努力してみることが重要。人生の課題を解決する、ハックするという、『ハッカーマインド』を携え、ぜひとも素晴らしいエンジニア人生を歩んでほしい」と語り、セッションのまとめとした。