新人時代にはさまざまな壁にぶつかった
「Hello, World! 外国語学部英語学科系エンジニア爆誕までの軌跡」というテーマで行われた関本氏のセッションは、自己紹介から始まった。
2017年に電通デジタル入社し、現在バックエンドエンジニアとして開発業務に従事している関本氏は非常にユニークな経歴を持つ。高校を卒業後、米国に渡って大学を転々とした後、転送サービス領域で起業する。その後日本に戻り、上智大学外国語学部英語学科を卒業し、電通デジタルに入社した。従って当時の目標は、英語も技術もバリバリのエンジニアになることだったが、それはあまりにも甘い目標だったと振り返る。
電通デジタルは2016年設立、と比較的若い会社であり、デジタルマーケティングのすべての領域に対して、コンサルティング、開発・実装、運用・実行などのサービスをワンストップで提供している。開発エンジニアは広告業務の運用支援ツールやクライアントデータの基盤の開発、DXのための技術検証などに従事している。
自社プロダクトの開発現場ではモダンな技術を採用しており、「プロセスはScrum開発を前提としています」と関本氏。現在、バックエンドエンジニアとして関本氏が携わっている主な業務はAPIの設計開発だそうだ。
「使用言語はGoやPythonを使ってgRPC APIの設計開発や、Node.jsでBFF(Backend For Frontend)を書いていたりしています。そのほかにもPythonなどを使ってデータパイプラインの構築をしたり、デジタル広告配信に役立つスクリプトを作成したりしています」(関本氏)
開発業務をこなす中で、新人エンジニア時代には未熟さゆえに壁にぶつかることも多く、直面した数々の難局に、関本氏はユニークなあだ名をつけて心の中で呼んでいたという。
例えば、「TG:BGI」というあだ名。こちらは「先輩の書いたコードがわからないを超越して、半目で硬直状態になってしまった」を意味する。エンジニアあるあるとして紹介する「通例儀式シリーズ」だが、そのほかにもTG:HDK(本番データを消す)、TG:OK(お客カンカン)など、「文系卒の新人プログラマなら、あるあるの失敗だと思います」と関本氏は笑みを浮かべる。
また「技術的な用語が多すぎて何を言っているのかわからないが、優しいので何回も教えてくれる先輩に困ったこともあった」という。わからない、優しいの二重の意味で泣きたくなった状態を関本氏は「UJYS」と名付けている。上述のような通例儀式シリーズと同様に、「プルリクエストに公式ドキュメントのURLだけを貼ってくる先輩」など、先輩シリーズにもさまざまあると関本氏は言う。
そのほかにも、「うまく言葉にして説明できない」「ただの質問が詰められているように思える」「〇〇さんとコミュニケーションが難しい」など、新人エンジニア時代にはさまざまな困難にぶち当たることがある。「文系だからと負い目を感じる必要はありません。これらのことがあっても、それでいいのだと思うこと」と関本氏は言う。
なぜ、そう言えるのか。関本氏自身、「典型的なできないエンジニア」だったそうだ。技術系イベントに参加することもあまりなく、会社のチームの同僚が自作キーボードで盛り上がっていても、話している内容は面白いと思うものの、どうしても自分事にできなかったという。「技術的にも思考的にもソフトウェアエンジニア的ではないと思いながらも、仕事をしてきました。ですが、徐々に『自分が成長している』ことに気づくようになったのです」(関本氏)
今、関本氏はあるプロダクトのバックエンド設計・開発チームのリード的な立場を担っている。そのチームでは2人のメンバーのサポートをしているほか、インターンシップシップに来た学生のメンターや新人エンジニアのトレーナーを務めることもある。「学生や新人と自分を比較すると、圧倒的な差があることに気づきました。いつの間にかできることが増えているのです」(関本氏)
もちろん、技術力を身につける努力は必要だ。だが前向きに頑張って取り組んでいけば、必ず未来が見えてくる。「エンジニアとしての生命力は上がっていきます。だから、いろいろ失敗をしてもいいんだと自信を持って言えるのです」(関本氏)
「一般的な文系出身エンジニアの成長度合い」として、レーダーチャートで表すと次のようになる。自身の目指す理想像を10とすると、入社時のコミュニケーション力は普通、勇気・鈍感力は文系から別業界に飛び込んだということでやや高め、別領域の知識は持っている。一方、技術知識とコーディング力はゼロである。これが数年たつと、コーディング力や技術知識はゼロだったものが平均値になるなど、日常業務だけでも大きく成長していけるのである。