プログラミングと出会った学生時代から役員就任まで
江草氏はまず、自身のキャリアを中学時代から振り返る。彼は友人がつくったロボット同好会に参加し、中学/高校時代はロボカップジュニアに出場した。小学校の頃から電子工作はしていたものの、設計できるほどプログラミングを理解できていなかった。だが、ロボット制作の経験をきっかけにトランジスタの使い方やH8マイコンなどを独学で習得したという。大学時代は同好会メンバーの1人と同じ大阪大学に進学し、NHK大学ロボコンに出場した。
江草氏は幸運にも、ロボコンサークルと隣の部室に位置していた鳥人間サークルの先輩から、大阪大学生協のシステム開発のアルバイトを紹介される。このアルバイトでは、生協や大学などから受注したシステムの開発やサーバー管理などを行った。これらの業務を通じて、Webアプリケーションの開発だけではなく、デプロイからサーバーの構築まで多種多様なことを学べた。並行して大学2年生の頃から個人事業主として開業し、システム開発や情シスなどの案件を受託した。
その後、江草氏は就職先の企業を検討するようになる。社会インフラを自社製品として扱っており、作業工程の広範囲に携われる規模の企業を指向していた。大学3年生まで志望していたのは、電機メーカーや重工、通信などの業界。だが、仕事の規模は大きいものの、社員1人が携われる範囲が狭いことが自身のマインドと合わなかったという。
転機が訪れたのは大学4年生のときだ。さくらインターネットの石狩データセンター見学ツアーに参加したことが、同社に興味を持つきっかけとなった。社会インフラを扱っているうえに、企業の規模としても江草氏の指向と近い。かつ、業務のなかで自分の得意分野である物理とソフトウェアの両方を生かせることが入社の決め手になった。入社後は下図のような業務を担当した。
入社から1年半ほどたった後、江草氏は執行役員に就任する。きっかけは、社長である田中邦裕氏への相談だ。当時は、さくらインターネット全体の技術を管轄する社員が不在であり、そうした役割を置く方がいいのではないかと江草氏は田中氏へと提案した。すると、田中氏から「やりますか?」という言葉をかけられ、就任に至ったという。過去の仕事ぶりを高く評価されていたのだ。
執行役員への就任時、不安はあまりなかったそうだ。さくらインターネットには各領域のスペシャリストがそろっているため、もしわからないことがあれば彼らに聞けばいい。また、学生時代に広域な技術に携わったことで、どんな領域でも議論できるほどのレベルになっていた。個人事業主で確定申告をするために簿記3級を取得していたため、PLやBSなど経営会議に出てくる概念も理解できた。
役員になってからも、江草氏の業務内容はそれほど変わっていない。アーキテクトに近い役割を担っており、実際に成果物を作成しながら全社に良い影響を与えるのが主な業務だという。また、仕事に対する姿勢にも大きな変化はない。「役員になったからといって、つくりたいものやエンジニアとしてのマインドが変わったりはしませんから」と江草氏は述べた。