「私のチームは何を目指しているんだっけ?」──マトリクス型組織で生まれた連携不足
「チームワークあふれる社会を創る」という企業理念のもと、情報共有ソフトウェアやプロダクトサービスを提供するサイボウズは、1997年の創業から27年以上の歴史を持つ。
当初は社内イントラネットで導入するパッケージ製品を提供していたが、2011年にクラウドビジネスに舵を切った。同社のメインプロダクトである「kintone(キントーン)」をリリースしたのもこの時期だ。kintoneは、プログラミング知識がなくても現場の担当者が業務に合わせたシステムを簡単に構築できる、ノーコード・ローコードツールとして知られている。
サイボウズで現在エンジニアリングマネージャー(EM)を務める上岡氏は「パッケージ製品からクラウドサービスへのシフトを進め、現在では売上の9割以上をクラウドサービスが占めています」と語る。とくに、2017年以降のkintone成長期には売上高が急激に伸び、2022年には連結売上高100億円を突破するなど、事業の拡大とともに組織規模も大幅に成長していた。
この成長過程で、サイボウズは継続的に組織のアップデートを実施してきた。創業初期は地域ごとの組織編成だったが、リモートワーク普及に伴い拠点横断型組織へ移行。そして、事業価値向上を重視する体制へと段階的に進化を遂げている。
上岡氏は2016年の新卒入社以来、バックエンド開発やプラットフォームエンジニアリングを経験し、2023年からマネジメント職に転身した。講演では後者で経験したエンジニアリング組織づくりを基に、同社が長年採用してきたマトリクス型組織の課題から話を始めた。
2023年以前のサイボウズの開発組織は、「職能ライン×価値創造ライン」で構成されていた。職能ラインはソフトウェアエンジニア、QA、デザイナーといった専門性ごとに部長を配置し、人材マネジメントや給与評価を担当する。一方、価値創造ラインは製品ごとのグループや技術支援チームなど、事業価値創造を軸とした編成となっていた。
この体制における最大の課題は、職能マネージャーの事業への関わり方が限定的だったことだ。上岡氏は「マネージャーとして人材マネジメント、採用や給与評価などの責務は担っていましたが、プロダクト開発する上で不確実性の高いものを進める役割としてはかなり限定的でした」と振り返る。つまり人の管理はしていても、事業貢献部分が手薄だったのだ。
その結果、製品の方針や意思決定は、プロダクトマネージャーに集中する構造が生まれていた。上岡氏は「開発チームから『このリスクがありますが、どうしたらいいでしょうか』とか『仕様を考えてください』といった相談や意思決定がプロダクトマネージャーに委ねられる状況でした」と説明する。
しかし、プロダクトマネージャーは必ずしもエンジニア出身ではなく、「どちらかというと販売や事業により近いところで活動する」バックグラウンドを持つ場合が多い。本来エンジニアが技術的知見をもって判断すべき事項まで、プロダクトマネージャーに集約される構造となっていた。典型例として「運用チームと開発チームが相談する際も、ひとまずプロダクトマネージャーが窓口になる体制でした」と、上岡氏は当時の状況を振り返った。
さらに深刻だったのは、チーム間の連携不足だ。kintoneプラットフォーム事業全体で300人近い規模となる中で、「私のチームは何を目指しているんだっけ?」「あのチームって最近何やってるの?」「隣のチームが動いてくれないので進まない」といった意見が頻発していた。
上岡氏は「組織全体の戦略との接続や、チームの活動を他チームや上位戦略と接続する機会が少なかった」と課題を総括し、2024年初頭から着手した組織変革の背景を明かした。
事業戦略を理解し、成果物最大化に貢献する──サイボウズ流のEMとは
組織変革の理論的基盤として、上岡氏はSpotifyの組織論で著名なHenrik Knibergの「Alignment enables Autonomy(方向性の一致が自律をもたらす)」概念を紹介した。縦軸をアライメント(何を目指すかという方向性の一致を示す)の高低、横軸を自律性の高低とした4象限において、最も理想的なのは「高いアライメント×高い自律性」の状態だ。
「サイボウズの組織では、それぞれのチームや個人が問題発見や解決についてはある程度慣れていましたが、アライメントが取れていない状態でした」と上岡氏は分析し、当時の状況を、同じ「川を渡る」という目標でも、あるチームは橋を作り、別のチームはトンネルを掘ってしまう「ミスアライメント(方向性の不一致)」で例える。
この課題解決の核となったのが、EM体制への転換だ。上岡氏は、その狙いを「従来の職能マネージャーやチームリーダーとは別に、成果物に責任を持つ役割を再定義しました」と説明する。
EMの責務は明確だ。事業戦略を理解し、チームの意思決定や成果物への説明責任を持ち、成果物最大化に貢献する。「代表者として、プロダクトマネージャーなどのチームの外とチーム内の活動を接続できる形にする」ことで、従来プロダクトマネージャーに集中していた判断をエンジニア主導で行える体制にした。
重要なのは、EMが必ずしも部長職ではない点だ。「部長とEMの役割を兼ねる人もいれば、部の業務マネジメントを委譲する形でEMを任命する場合もあります。また部以下のチーム単位で責任を持つEMも任命しています」と上岡氏は説明し、役割の多様性を強調した。なお、上岡氏自身もチームのEMでありながら複数の部の部長も兼任している。
トップダウン型に代わる、EM間の対話による段階的なアライメントの強化
組織変革において、サイボウズはトップダウン型を意図的に避けた。上岡氏は「製品戦略として『あなたの部にこの業務をアサインします』という形ではやりませんでした」と明言する。
その理由として、既存業務を変更する難しさと、何よりも「サイボウズのカルチャーに合わない」点を挙げた。
「トップダウンで業務指示するのは文化的にマッチしないし、現場のハレーションもあると考えました」
代わりに採用したのは、EM間の対話による段階的なアライメント強化だ。「それぞれの現場に近いEMと、その上位のEMと、最上位の製品戦略・事業戦略をマッチングさせて、EM同士が話し合う形にしました」と上岡氏は説明する。
各チームのEMが「次の四半期でこういったところに注力しようと思います」と提案し、上位戦略に沿っているかフィードバックを受ける。同時に横の連携も活発になり、「それちょうどうちのチームでもやろうとしてたから手伝いましょうか」といった協力が自然に生まれるようになった。
この取り組みを支える仕組みとして、「Bets Board(重点投資ボード)」を導入した。Spotifyの手法を参考にしたこの仕組みは、開発組織全体で注力するテーマを「Bet Item(投資案件)」という形で一覧化し、ポートフォリオとして可視化する。各テーマには担当オーナーを設定し、週次でプロジェクトの進捗状況をレポーティングする体制を整えた。
登録される「Bet Item」には、例えば新機能開発や組織アップデート、技術刷新プロジェクトなど、開発組織として目指すべき重要な取り組みが含まれる。これにより、全社で「今、何に注力しているのか」という方向が明確になり、リソースの分散防止を狙った。
さらにサイボウズ特有の取り組みとして、年次開催の「Cybozu Days」での発表に向けた開発マイルストーンを設定した。Cybozu Daysは同社が主催する中で最大規模のイベントで、新機能や製品アップデートを顧客に向けて発表する場となっている。「機能リリースによって事業インパクトも高められるし、そこに向かって開発をしていくという取り組みを行いました」と上岡氏は述べる。
組織変革によりkintoneのアップデート件数は2倍に、一方で新たな課題と可能性も
2024年初頭から開始した組織変革は、2025年8月に公式な組織変更として結実した。マトリクス型組織を廃止し、価値創造ラインを主軸とする組織図に移行。EMを社内公式の役割として権限を明確に定義した。
上岡氏は「kintoneでAIをはじめとする魅力的な機能のリリースが増えました。事業戦略実現に向けた投資や効果的な取捨選択ができるようになったと思います」と変革の成果を定性的に評価する。
特に重要な変化として、エンジニアのオーナーシップ回復を挙げる。「EMを置いたことで、成果物に対してチームやメンバーがオーナーシップを持ち、メンバー自身が事業貢献を意識できるようになったのが大きいです」
具体的な指標として、kintoneのアップデート件数を比較した。4年前の2021年9月に主にアップデートされた機能が6件だったのに対し、2025年9月は12件と倍増した。AI機能の充実などの新しい取り組みも増えたという。
一方で課題も残る。特に顧客に直接機能を提供する領域から離れたプラットフォームエンジニアリングや技術支援系のチームでは、「まだアライメントが難しい状況があります」と上岡氏は率直に認める。これらのチームは「事業への影響が見えにくいところで活動している」上、技術的なアプローチの選択肢も多岐にわたるため、方向性の統一が困難な局面もある。
また、マネージャー不足も深刻だ。「マネージャーの役割を業務マネジメントにまで広げて、組織構造も大きく見直したが、従来のマネージャーの人数で見るのが難しくなっています」と上岡氏は述べる。実際、上岡氏自身も2つの部の部長を兼務している状況で、社内人材の育成や採用活動にも力を入れているという。
ただし、この課題は新たな可能性も生んでいる。「従来は『マネージャーになると現場に戻れない』と思われがちでしたが、プロジェクトマネジメントやプロダクトマネジメント、プラットフォームマネジメントなど、マネジメントする範囲の選択肢が増え、キャリアパスが広がっています」と上岡氏は前向きに捉えた。
アライメント強化によって事業と組織の方向性をそろえ、EMを置いてエンジニアリングチームがオーナーシップを発揮できる環境となったサイボウズでは、チームやメンバーがより事業を意識できるようになった。エンジニアの事業貢献とキャリア多様化を両立させた好例と言える。

