量子コンピュータの現在地は「特化型の計算機」
近年、量子コンピュータに関するニュースがメディアを賑わせている。「スーパーコンピュータを凌駕する計算速度」「現在の暗号技術がすべて無効化される」といったセンセーショナルな話題が先行しがちだが、ビジネス現場においては過度な期待と現実のギャップが課題となっている。
現状の量子コンピュータはすべての計算を高速化する魔法の杖ではなく、特定のアルゴリズムに適合する問題のみを高速に解くことができる特化型の計算機だ。さらに、ノイズの影響を受けやすいため、実用的な規模での計算にはまだ多くのハードルが残されている。
量子コンピュータはすべての計算が速いわけではない
2月に実施されたDevelopers Summit 2026に登壇した大阪大学 量子情報・量子生命研究センター(QIQB)の森俊夫氏は、フリーランスのAIエンジニアから量子コンピュータ開発の最前線へと転身した異色の経歴を持つ人物だ。AIエンジニア時代、最先端のアルゴリズムを検証しようにも、当時は国内で自由に使える国産の量子コンピュータ実機が存在しなかった。
「量子コンピュータでAIを動かそうと思ってQIQBに来たのですが、残念ながらまだ実機がないということでしたので、まずその実機を作る、新しいコンピュータを作るというところをモチベーションにしています」
この言葉が示すように、森氏にとって同プロジェクトの出発点は、自らの手で基盤となるコンピュータを作り上げるという強い渇望にあった。そしてこの取り組みは、単なる研究室内の実験にとどまらず、日本の量子情報科学を社会実装のフェーズへと引き上げるための重要な試金石となっている。
量子デバイスの主権確保へ、大阪大学が描く「FTQC」実現までのロードマップ
大阪大学を中心とする共同研究グループが国産量子コンピュータのクラウド公開を目指した背景には、グローバルな開発競争における日本の立ち位置と、量子コンピュータの進化に関するロードマップがある。
2010年代から海外のメガテック企業が先行して量子デバイスを発表する中、日本国内では技術基盤を確立し、主権を確保することが急務となっていた。量子コンピュータの開発は、現在稼働している「NISQ(Noisy Intermediate-Scale Quantum:ノイズあり中規模量子コンピュータ)」の段階から、最終目標である「FTQC(Fault-Tolerant Quantum Computer:誤り耐性量子コンピュータ)」へと向かう途上にある。
量子コンピュータの進化に関するロードマップ
FTQCの実現には、エラーを訂正するための「論理量子ビット」を構築する必要があり、1つの論理量子ビットを作るためには約1000個の「物理量子ビット」が要求される。現在の暗号技術を解読し得る規模の計算を行うには、実に100万個の物理量子ビットが必要になると試算されており、その実現は2050年頃になるという仮説が立てられている。
はるか先にあるゴールを見据えつつ、大阪大学と富士通などの共同研究グループは、NISQとFTQCの間を埋める「Early FTQC」に「STARアーキテクチャ」という独自のアーキテクチャを提案し、限定的なエラー訂正を用いながら実用的な計算を前倒しで実現するというアプローチを採用した。
「将来的には一部の暗号が破られる可能性があるものの、残念ながら今の量子コンピュータはノイズが多いので無理です。一番早期に来るのは物性物理や量子化学の計算と言われています。創薬や新素材の探索での活用が期待されています」
このように森氏が語る通り、早期にビジネス価値を創出できる領域へターゲットを絞っている。2023年を「日本の量子コンピュータクラウド公開元年」と位置づけ、理化学研究所、富士通に続き、大阪大学は3号機となる純国産量子コンピュータの稼働を開始した。これは、ハードウェアの進化を待つだけでなく、それを制御し活用するためのソフトウェア基盤を並行して構築しなければならないという、確固たる仮説に基づく行動であった。
