不確実性が高く、見通しが立たない開発現場を突き動かす力とは?
データエンジニアとしてキャリアをスタートさせ、生成AIの研究開発を経て、現在はCTO直轄の新製品開発チームを率いる川口媛香氏。さまざまな分野のエキスパート5名、若手社員4名という多様なバックグラウンドを持つメンバーの先頭に立っている。
本セッションの出発点となったのは、男性の上司からかけられた「女性のいるチームはすごく強くなるんだよ」という言葉だった。仕事において性別の違いを特に意識してこなかった川口氏は、その言葉の真意を掘り下げ、整理していく中で、上司が語る特性の本質へと行き着く。
それは「答えのないものにも方向性を出せること」、そして「目的に共感して力を発揮できること」の2点だった。この特性は、現代のソフトウェア開発において最も重要とされる「不確実な状況でも決断できる力」と「背景と意味を追求できる力」という、チームの重要な価値へとマッピングできる。川口氏は、これらが決して特定の性別だけに閉じられたものではなく、性別や年齢、キャリアを問わず、開発現場の停滞を打破し、チームを動かすために不可欠な力であると確信した。
これまで歩んできた道の中で、意思決定に迷い立ち止まりそうなとき、常に大きな方向性を示してチームを引っ張ってくれたのは先輩たちの存在だった。不安を感じたとき、いつでも相談に乗ってくれた先輩たちの背中を見て育った川口氏は、今度は自分がリーダーとして、その役割をメンバーに還元することを決意する。
では、不確実性が高く、外部環境が目まぐるしく変わる開発現場において、川口氏はどのようにしてチームを動かしていったのだろうか。
「返事待ち」をゼロに! スピードを重視するTwo-Way-Doorの決断
川口氏がチームを加速させるために実践している1つ目のアクションが、「即レスで信頼を築く! スピード判断」である。ここで重要なのは、即レスを行うこと自体が目的ではないという点だ。メンバーが日々の作業の中で「このまま進めていいのだろうか」と迷ったとき、リーダーの返答を待つ時間はチームの停滞につながってしまう。
「メンバーの待ち時間を最小限にすることは、チームの開発スピードを最大化することにつながります」と川口氏。もちろん、その場ですぐに回答できない難しい質問もあるが、放置せずに「確認します」というリアクションのスタンプを返すだけでも、メンバーには「メッセージを見てくれている」という安心感が生まれる。これが、気軽に何でも相談できる心理的安全性の高い環境のベースとなる。実際に、川口氏は1日に約50個ものリアクションをSlack上で重ねており、こうした活発なコミュニケーションがチームの安心感を支えている。
そして徹底した即レスを支えているのが、「One-Way-Door(戻れない決定)」と「Two-Way-Door(戻れる決定)」という意思決定のフレームワークだ。川口氏は「世の中のほとんどの決断は、間違えても後からやり直すことができるTwo-Way-Doorだと考えています」と述べる。一発で完璧な正解を引き当てようと時間をかけるよりも、まずはスピードを重視して行動したほうが、結果的に正解にたどり着くまでの時間は短くなる。川口氏のチームではこの考えを徹底しており、スピード重視の決断によって万が一間違えた場合でも、すぐに元の選択肢に戻れるよう「ADR(意思決定までの経緯)」をドキュメントとして残す工夫を凝らしている。なぜその決定を下したのか、ほかの選択肢は何だったのかが可視化されているからこそ、チームは恐れることなくすばやく動き続けることができる。
即レスを継続した結果、チームには大きな変化が表れた。メンバーの待ち時間を減らせただけでなく、相談が早い段階で寄せられるようになり、認識のズレを初期段階でキャッチアップできるようになったため、開発における手戻りが大幅に減少したのだ。また「川口さんに聞けばすぐに答えてくれる」という認識の広がりによって質問するハードルも下がり、チーム内のコミュニケーションが加速していった。
さらに、このアクションは川口氏自身の成長にもつながり、「決断する力」が身に付いたという。川口氏は「とにかく毎日決断し、その結果から学んでサイクルを回すことでしか、決断する力は身に付かないと実感しました」と振り返る。
川口氏はこのセクションで持ち帰ってほしいものとして「リアクションすること」と「意思表示をすること」の2点を示した。Slackなどに通知が届いたらスタンプでもよいのですぐにリアクションする、決断に必要な拠り所とするために自身の考えをアウトプットして周囲からフィードバックをもらう。いずれのアクションもスピード感のあるチームづくりの一助となる。
相手の「嬉しい」を起点にしたコミュニケーションが、助け合いの文化を生み出す
チームのエンゲージメントを高める2つ目のアクションとして、川口氏は「相手の『嬉しい』を起点にした共感のコミュニケーション」を挙げる。メンバーの動きを観察し、良いと思った行動があればその場ですぐ本人に伝えること。次に、メンバーから相談を受けた際に同じ目線で話せるように、ふりかえりの意味を込めて日々の心の動きを日報に書き続けること。そして、自身の失敗をメンバーが繰り返さないように、仕事の中で試行錯誤した足跡を、Slackの作業スレッドにログとして残すこと。これらの「誰かのため」を思った川口氏の小さなアクションは、やがてチーム全体へと広がっていった。
川口氏が個人的に始めた「作業スレッドに試行錯誤を残す習慣」は、今やメンバー全員の習慣となり、Slackのチャンネル全体がチームの貴重なナレッジベースへと進化。誰かが困っている状況を早期に発見し、周囲の知見を持つメンバーが自然とアドバイスを送り合う「助け合う文化の種」が、日々の小さな思いやりから芽吹いた。メンバーに対する想像力を働かせ、目の前の仲間を思いやることが、巡り巡ってプロダクトを利用するユーザーへの想像力へとつながっていく。
このセクションのまとめとして、川口氏は「いいなと思った行動にリアクションする」「このIT Women Summitで『いいな』と思ったことを真似してみる」という2点を参加者に勧めた。こうした小さな一歩が、チームの文化を作る種になっていくのである。
本来の目的から逆算するゴール・ドリブン思考が、仕事のやりがいにつながる
川口氏が大切にしている3つ目のアクションが「タスク完了で終わらせないゴール・ドリブン思考」だ。「言われたタスクを終わらせること」そのものが目的化してしまうのはありがちな問題であり、川口氏は、本来の目的(ゴール)を達成するために何が必要かを常に逆算して考え、自ら進んで必要な仕事を作り出す重要性を指摘する。
例えば、業務で「全社員に大事な情報を知ってもらう」というミッションが与えられた際、単に社内報に記事を1本投稿して終わらせるのではゴール・ドリブンとは言えない。本当に全社員に届けるというゴールを見据えるならば、業務的なお知らせにするのではなく、目を引く内容に工夫し、社内報やSlackが最も見られる時間帯をねらって投稿するといった、泥臭いまでのこだわりが必要になる。こうした小さな工夫を愚直に積み重ねた結果、川口氏が執筆した記事は社内で最も多い閲覧数を得ることができた。
「なぜやるのかという背景や意味に納得することが主体性を生み、それまで見えていなかった仕事が見えるようになります」と川口氏。与えられたタスクをただこなすだけの毎日は退屈だが、ゴールを主軸に自らタスクを生み出し、それを解決していくプロセスこそが、仕事の楽しさを本質的に引き出す原動力となる。
そして成果というものは、決して単一の作業からは生まれない。あらゆる要素が複雑に影響し合って初めて実を結ぶからこそ、「今やっているすべての作業が、将来の何かに必ずつながっている」という意識を持つことが、キャリアをより豊かで確かなものへと変えていく。
このセクションで川口氏は、「ゴールについて考えること」の大切さをまとめとして提示した。「今やっている作業を終わらせるだけで本当にゴールにつながるのか」。一度立ち止まって考え、さまざまな人と意見交換することが仕事の閉塞感を打破するきっかけになるだろう。
明日からできるアクションがチームと未来を変えていく
日々の業務が忙しく、上司やメンバーとのコミュニケーションに課題を感じ、待ち時間の多さに不満を抱く現場は少なくない。しかし、川口氏は「自分1人で周囲のすべてを変えることは難しくても、まずは自分自身が変わり、アクションし続けることが大切です」と訴える。そして、最後に改めて「不確実な状況でも決断できる力と、背景と意味に納得する力こそが、チームを動かすパワーになるはずです」とまとめて、セッションを締めくくった。
明日からの開発現場で実践できる第一歩は目の前にある。通知が来たら、まずは「確認します」といったリアクションをすぐに返すこと。周囲のメンバーの素晴らしい行動に対して「いいね!」と声をかけ、自らもそれを真似してみること。精度に執着せず、まずはスピードを上げて行動を起こすこと。本セッション示された具体的なアクションとマインドセットは、日々の業務やチームマネジメントに課題を抱えるエンジニアにとって、明日から実践できる有益なアプローチとなるはずだ。
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