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このお話の舞台は、飲食店の予約サービスを提供するIT企業のプロジェクトチーム。ツワモノぞろいのチームに参加した新人デザイナーのちひろは、変わり者のメンバーたちに圧倒されながらも日々奮闘しています。第5回となる今回のテーマは「共通認識を持つ」です。
登場人物

和田塚(わだづか)ちひろ
この物語の主人公。新卒入社3年目のデザイナー。わけあって変わり者だらけの開発チームに参加することに。自分に自信がなく、周りに振り回されがち。

御涼(ごりょう)
物静かなプログラマー。チームではいろんなことに気を回すお母さんのような存在。今後もちひろをよく見て助けてくれる。

鎌倉
業界でも有名な凄腕のプレイングマネージャー。冷静で、リアリストの独立志向。ちひろにも冷たく当たるが…

藤沢
チームのリードプログラマー。頭の回転が速く、リーダーの意向を上手くくみ取って、チームのファシリテートにもつとめる。

境川(さかいがわ)
彼の声を聞いた人は数少ない。実は社内随一の凄腕プログラマー。自分の中で妄想を育てていて、ときおりにじみ出させては周りをあわてさせる。

片瀬
インフラエンジニア(元々はサーバーサイドのプログラマー)。他人への関心が薄いケセラセラ。ちひろのOJTを担当していた。
書き換えられたコード
「あれ? オレが書いたコードが跡形もなくなっている」
片瀬さんが唐突に間の抜けた声をあげたのに反応し、私と、藤沢さん、御涼さんはぞろぞろと片瀬さんの席に集まった。
「片瀬さんは“書いた気になっていた” が本当に起こるからな」
「そうね。それか、コミット漏れじゃないの」
2人の物言いに、片瀬さんはやれやれと首を横に振ってみせた。
「何言ってるんすかー。ちゃんと前のスプリントでコードレビューしてたでしょうが」
「ああ、その機能。そういえばそうね、やったわ」
「おや、片瀬さんのコミットの後で、大量の変更が発生していますよ」
3人で片瀬さんのモニタをのぞき込んでいるので、背の低い私は全く状況が分からない。隙間からのぞき見しようとウロウロしていると、しばらくあってから、3人が一斉に振り返った。
「チョロチョロするな」と怒られる! と思って、瞬間、身を引いたが、3人が見ているのは私ではなく別の方向だった。
「………」
3人の視線の先には境川さんがいた。御涼さんがおもむろに声をかける。
「境川さん、片瀬くんのコード全部書き換えていますね」
「………」
「片瀬さんのダメコードを全取っ換えするのは良いのですが、チームのコードレビュー、また通してませんよね」
「………」
(…ダメコード…)
境川さんが一向にキーボードをたたく手を止めないので、私は聞こえていないのかなと思って、彼にソロソロと近づこうとした。その時。境川さんの小さな小さな声が漏れ出た。
「………何がダメなの」
「ダメですよ。他のメンバーの理解できないコードが増えます」
境川さんの言葉の最後にかぶせるように、間髪入れず反論の声をあげる御涼さん。さすが、チームのお母さん。厳しいときは厳しい。たとえ相手があの境川さんであっても。境川さんはこの会社きっての凄腕プログラマーなのだ。鎌倉さんでさえ、プログラミングに関しては一目置いているように感じる。
「………オレが書いたところで、何かあればオレが直す」
「そういう問題ではないでしょ」
「………何の問題」
すごい。こんなに話している境川さんを見たのは初めてだ! ……そんなことより、ちょっと雰囲気が険悪になってきている気がする。前回のダブルポーカーの導入で、(境川さんを除く)メンバー同士の会話が増えて、前よりもグッとチームになってきている。だからこそ、境川さんの単独行動がとっても目立つようになっているのだ。
「まあ、オレのコード、ダメだったし、仕方ないかな。はははは」
全く悲壮感を抱かせないのが片瀬さんの良いところだった。
「いや、コードはダメだけど、そういう問題じゃない。オレたちはチームで仕事をしているんだ。チームでの約束は守ってもらわないと困る」
(やっぱり、ダメコードなのか……)
境川さんが、長い前髪の切れ目から鋭い視線を藤沢さんに送りつけた。
「……チーム? ……約束? いつからここはそんなチームワークを口にする場所になったんだい」
あまりにも冷たい言葉に、私と片瀬さんは引きつった顔を見合わせて、止めないとやばいと、ジェスチャーだけ交わした。
「今からですよ」
さすがの御涼さんも不安になってきたらしい。藤沢さんを止めようと腕に手をのばした。その手が届く前に、藤沢さんは、私たちの方に振り返って、自信満々の表情を見せた。
「ファイブフィンガーでこのチームの意思を見えるようにし、チームに必要なルールを決めましょう」
ファイブフィンガー? 私は自分の手を広げて見つめながら、その言葉の意味を考えた。人さし指と中指の間の向こう側に藤沢さんの顔がのぞけた。その様子が面白かったのか、藤沢さんはめずらしくにっこり笑って続けた。
「ファイブフィンガーと、ワーキングアグリーメント。どちらも、昔、鎌倉さんに教えてもらったことなんだ」