エンジニアコミュニティを取り巻く変化の中で
2020年はMySQL 25周年(最初のバージョンがリリースされたのが1995年)、日本MySQLユーザ会設立から20周年となる年だ。これを記念し、オラクルのエンジニア向け勉強会「Oracle Code Night」のMySQL版となる「MySQL Technology Cafe」ではMyNAにスポットライトを当て、中心メンバーにこれまでの活動を語ってもらった。
「あれ? 日本MySQLユーザ会(MyNA)20周年&MySQL 25周年イベントは5月25日にオンラインで開催されていたのではないか?」と気づいたあなたは事情通。でも、そんなことは気にしない。5月はMyNAが主催した20周年記念イベントで、今回はオラクルの勉強会で、20周年を迎えたMyNAにスポットライトを当てたというだけだ。日本オラクルで開発者向けの情報発信を主導している梶山隆輔氏は「めでたいことだから、(記念イベントを)何回やってもいい」と笑う。
今年の春過ぎから、あらゆる勉強会やイベントがオンラインで開催されるようになったのは周知の通り。MySQL Technology Cafeもオンラインで開催するようになった。オンライン開催を始めたことで新しい変化が生まれ、同時にオフラインの良さも再認識されている。
オンラインで開催するようになって良かったことは時間や場所を問わず、参加可能になったこと。ユーザー会や勉強会のほとんどが東京での開催だったので、地方在住者が出席するハードルは大きく下がった。
過去にはMySQLの勉強会後に後泊したり、夜行バスで帰路に就く人もいた。ところが今ではオンライン開催なので誰でも自宅から参加できるし、中には「近所のファミリーレストランから閲覧している」という地方在住者もいた。もう居住地域に関係なく参加できる。
気軽に開催できるようになった一方、今度は勉強会が乱立するようなった。今回のイベント当日は各種勉強会が多数重なり、参加するエンジニアには「どれを閲覧すべきか?」迷う事態になっているようだ。猛者だと複数の端末を並べて閲覧する人もいるとか。
なおMySQL関連イベントでは当日の動画を公開しているため、後から閲覧することもできる。これまでプレゼン資料の公開は普通だったが、動画まで公開されるようになったのはオンライン開催が普及してからだ。コロナ禍を機に、エンジニアの勉強会は時間や場所を超えて参加できる時代に変わってきた。
MySQLの第一人者たちが振り返ったMyNAの20年
当日はMyNA 20周年ということで、中心メンバーがこれまでを振り返った。今回の登壇メンバーはMyNAの代表、副代表全員に加えて、MyNAとの関りも深い木村明治氏である。MySQLの第一人者たちだ。
まずは「日本MySQLユーザ会の名ばかり代表」と謙遜するとみたまさひろ氏。最近ではRubyでMySQLのUDF(ユーザー定義関数)を作成したり、バージョン毎のMySQLパラメーターなどを比較できるWebページを公開したりしている。
とみた氏がMySQLを見出したのは1997年。社内で使うツールのために手ごろなデータベースを探していたところ、MySQLとPostgres95(PostgreSQLの前身)が候補に上がった。「Googleがない時代だったので、どう探し当てたか覚えてない」とのこと。
簡易に測定したところMySQLが速く、日本語も使えて日本語マニュアルもあったのでMySQLを使うことにした。ところがマニュアルのバージョンが古く、新しいマニュアルを自分で翻訳しながら読み進めていたら最新版の全文訳が完成してしまい、Webで公開したこともあった。そのうち問い合わせがメールで届くようになり、メーリングリストでノウハウを共有することにした。設立当初は日本語の扱いでたびたび壁にぶつかった。とみた氏が「文字化け担当」と自称するのは文字コード絡みの問題でよく修正パッチを作成していたため。
メーリングリストを通じてMyNA 副代表 堤井泰志氏も参加するようになった。会合で「過去ログを誰でも閲覧できるようにWebで公開しよう」と提案があり、ドメイン(mysql.gr.jp)を申請するために組織(ユーザ会)を設立することにした。当時ドメインの取得にはJPNICのIDが必要で、IDを所有していたとみた氏が代表に就任することに。
組織の名前はちょっと悩んだ。PostgreSQLのユーザ会(JPUG)にならうとJMUGになりそうだが、堤井氏が「もっとかっこいい名前がいい」と言い、みんなで語呂合わせをいろいろと考えた。最終的には「マイナー」と呼べるMyNA(MySQL Nippon Association)に落ち着いた。
MyNA 副代表 坂井恵氏が合流しはじめたのは2003年ごろ。あるときMyNAのWebサイトに掲載してほしい情報を提案したところ、「言い出しっぺの法則」で坂井氏がやることに。坂井氏は冗談交じりに「オープンソースの世界は厳しいです」と言う。
2005年ごろから合流したのが日本オラクルでMySQL テクニカルアナリストを務める木村明治氏。もともと木村氏は日立の関連会社出身でHiRDBの開発に携わった経験があり、オープンソースRDBのFirebird 日本ユーザー会 理事長を務めるなどデータベース全般に詳しい。2007年からMySQL ABの東京支社にジョインした。7月ごろに最終面接をしてから音沙汰がなく「落ちたかな」と思っていたところ、9月のイベントの招待が届き、イベントに足を運んだら名前入りのスタッフ用ポロシャツを渡されたのだとか。「採用ならもっと早く伝えてほしかった」と木村氏は苦笑いする。
その後にMySQLでは買収が続き、デフォルトストレージエンジンがInnoDBになるなど着々と進化を遂げていった。2011年から合流したのがyoku0825氏。ある企業のDBAをしており、日本では2人しかいないMySQLでOracle ACEに認定されたスペシャリストでもある。2018年からMyNA 副代表に就任した。
yoku0825氏はよくプレゼンにイラストを添えている。実はこれ、MyNAのロゴの鳥(Mynaという九官鳥)を擬人化したものだそうだ。確かに緑色がベースで、よく見ると帽子がくちばしっぽく、羽が生えていたりする。yoku0825氏はMyNAの勉強会でもたびたび発表をしており「おれが機会をもらったように、他の人にも機会を与えていきたい」と話す。
MySQLは「手を掛ければ速くなるいい子だったから、手を掛けて育てた」
MyNAの初期メンバーは、パッチを開発するなど、MySQLを育てながらMySQLとともに歩んできた。とみた氏は「最初からちゃんと日本語化されていたら、MyNAを作らなかった」、堤井氏は「速くていい子だけど、日本語だけ難ありだったから手を掛けた」と話す。微妙に不完全で手間がかかるところが愛着となり、メンバーたちを結びつけた。
振り返ると、MySQLだけではなく人も育ててきた。MyNAは、提案があれば「いいね。やってみて」と寛容で、背中を押すのが上手な空気がある。イベントでは誰もが肩肘張らず、気さくに報告し合う。イベントが夜や週末なら、登壇者は「プシュッ」と缶ビールを開けてから話し始めるのがお約束だ。初心者が基本的なことで困っていても邪険に扱うことはない。この居心地の良さや心理的安全性は参加者たちにMySQLへの親しみを抱かせ、上級者には機能開発やイベント登壇を促すこともあり、結果として多くのエンジニアの成長につながったはずだ。
MyNAが設立当初から掲げている目的には日本におけるMySQLの普及や日本語化の検証や開発があり、これらはほぼ達成されたと考えていいだろう。残るのは「ユーザ間のコミュニケーションを図る」。この目的は今後もコミュニティの本質として続けていきたいとメンバーは異口同音に言う。
坂井氏によると、オフィシャルのWebサイトは近々リニューアルを予定している。コミュニケーション手段はメーリングリスト以外にも、今ではTwitterやYouTubeチャンネルに広がっている。オンラインでの交流の場を広げつつも、オンオフ問わず「ゆるふわ」な雰囲気はこれからも続いていきそうだ。
Oracle Code Night 開催情報
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過去開催(オンライン開催)分の動画はこちらから。