本記事は『GitLabに学ぶ 世界最先端のリモート組織のつくりかた ドキュメントの活用でオフィスなしでも最大の成果を出すグローバル企業のしくみ』(千田和央著、伊藤俊廷/佐々木直晴監修)の「第1章 世界最大のリモート組織「GitLab」」から一部を抜粋したものです。掲載にあたって編集しています。
リモート組織のメリットを読み解く
GitLabは世界67カ国以上にまたがり、2,000名を超えるメンバーが在籍している「オールリモート企業」です。日本ではフルリモートという言葉に馴染みがありますが、GitLabは自分たちのことをオールリモート企業であると宣言しています。
オールリモートとは文字通り「すべて」がリモートを前提としてつくられている組織です。オフィスを持たず、世界中に従業員がいるので決まった就業時間やコアタイムなどのタイムラインも持ちません。非同期(時間を合わせない)コミュニケーションを前提とすることで、世界中いつどこからでも場所と時間に縛られないコラボレーションを可能にしています。
GitLabはこうしたオールリモートの方法で法人化から7年後、2021年にNASDAQに上場を果たし、時価総額64億ドル(日本円にして約9,000億円〈2023年8月時点の為替相場で計算〉)のユニコーン企業として成功を収めています。
このように文字にしてみると味気ないですが、皆さんの組織と重ね合わせてGitLabのような組織が実現できるか想像してみてください。67カ国という地球の表と裏に満遍なく散らばった多様な国籍を持つ2,000名を超える従業員が、たった1つのサービスを協力して成長させていく活動が現実に行われていることは本当に驚くべきことではないでしょうか。
価値観も常識も違う人たちがどのようにコラボレーションを行い、どんな意思決定のプロセスで物事を決定し、従業員のモチベーションを引き出し、パフォーマンスにつなげているのか、考えるとワクワクします。
このようなユニークな組織であるGitLabがどのような経緯を経て成り立ち、どうやって成長してきたのかを見ていくことで、リモート組織としての軸となる思想を読み解いていきます。
偉大なリモート組織はウクライナの水道のない家から生まれた
サービスとしての「GitLab」はDevOpsプラットフォームと呼ばれる、効率的なソフトウェア開発を支援する製品です。開発者と運用者がコラボレーションし合い、ユーザーに迅速かつ継続的にプロダクトやサービスの提供を行える価値を提供しています。
2011年、ウクライナの水道もない家に暮らしていた共同創業者ディミトリー・ザポロゼツ氏が、優れたコラボレーションを追求するためのプロジェクトとしてGitLabをスタートさせました。「毎日の井戸への水汲みよりも、ソフトウェア開発者たちがコラボレーションするツールがないことのほうが問題だと感じていた」というモチベーションに基づいて、OSS(オープンソースソフトウェア)として世界中の開発者からの貢献を受けながら育まれていきます。
その後、オランダ人の共同創業者でCEOのシッツェ・シブランディ氏がこのビジョンに共感して2014年に法人化しました。翌年にシードアクセラレーター(スタートアップの成長を支援する組織)として著名なYコンビネータに参加するためシリコンバレーにチームは集いましたが、通勤よりも開発に集中したいと3日目にして誰もオフィスに来なくなったところからリモート組織の探求が始まっています。
2015年に9名だったメンバーは、オールリモートの環境でパフォーマンスの最大化を模索しながら2,000名まで拡大しました。オフィスを持たないまま4億2,600万ドルを調達し、2021年8月時点で100万人以上の有料課金ユーザーと3,000万人以上の登録ユーザー数を抱える規模にまで成長しています。
コラボレーションのためのリモートワークという発想の転換
リモートワークと聞くと「分業」や「孤独」というイメージを持つ方もいるかもしれません。オフィスで顔を合わせない上に、さらに非同期でのコミュニケーションを前提とするなんて人情がわかっていないロボットのようになってしまう、と考えるのも無理はないでしょう。実際、リモートワークでは孤独感を覚えている人が多く、パーソル総合研究所が2020年に行った「テレワークにおける不安感・孤独感に関する定量調査」では約3人に1人が「私は孤立している」と感じています。
しかし、GitLabの歴史を見ると、彼らが考えるリモートワークは真逆の発想から始まっていることがわかります。非同期のコミュニケーションを前提としていますが、同期のコミュニケーションをないがしろにしているわけではありません。GitLabは同期コミュニケーションがコラボレーションに不可欠であることを理解しており、むしろ従来のオフィスワーク企業よりも強い信念を持って同期コミュニケーションを行っています。
GitLabのカルチャーは、「GitLab Value」「仲間意識(信頼と友情)」「ワークスタイル」という3つの要素で構築されており、仲間意識を醸成するためにインフォーマルコミュニケーション(業務外の日常的な会話、雑談、何気ないやり取り)が「意図的」に設計されています。
コーヒーチャットと呼ばれる社内メンバーとの雑談を毎週数時間行うことを推奨していたり、年に一度世界中からGitLabメンバーが1カ所に集まる「GitLab Contributes」という全社サミットを開催したりするなど、さまざまなインフォーマルコミュニケーション施策を行っています。
日本でも交流ランチ会や会社のメンバーを集めた運動会などを行っている企業がありますが、効果につながらなかったり継続できなかったりするのは「取りあえずやること」が目的となってしまい、達成したい目的やプロセスが曖昧で根拠に基づいておらず、よくわからないから続かないという状態になってしまっているのではないでしょうか。
人間的な感情の交流が存在していることがパフォーマンスやコラボレーションの上で必要不可欠であることを根拠に基づいて認識し、効果の振り返りや従業員目線での継続的な改善が行われていかなければ、こうした取り組みの継続は難しいでしょう。
GitLabでは効果的なコラボレーションをする上で必要な要素をしっかりと言語化し、同期/非同期コミュニケーションにおけるそれぞれの特性を理解した上で、コラボレーションのために最適な活用方法を模索しています。
次の図は、GitLabで活用されているコミュニケーション手段と特性を表したものです。
基本的にGitLabでは電話や会議など、揮発性の高い情報や複数の場所に類似した情報が混在している状態を良しとしていません。関係者であれば誰もがアクセスでき、情報同士の関連性が可視化されている一元管理された(その情報が他の場所に存在しない)揮発性の低い情報源に情報を集約するようにしています。
この一元管理された揮発性の低い情報源のことをSSoT(信頼できる唯一の情報源)と呼んでいます。最新の正確な情報が1カ所にしか存在しないのはドキュメント文化を発展させる上で非常に重要な概念です。
このようなコラボレーションのためのスタイルが根付いたのは、ウクライナから始まったGitLabが、OSSとして多様な価値観・タイムラインの開発者が協力することでつくり上げられてきた歴史に関連しています。つまり、リモートワークという概念以前に、世界中のありとあらゆる人たちがコラボレーションするための最適化されたプロセスがまず存在し、それを組織として活用しているというイメージが近いかもしれません。
こうしたGitLabの取り組みは、将来を豊かにする働き方を実現する上で重要な事例としてハーバード・ビジネス・スクールのMBAにおいてケース問題として議論の対象となる1など、世界中から大きな注目を集めています。
リモート組織を支えるオープンソース・ソフトウェアの概念
GitLabがオールリモート環境でここまで成長できた背景として、OSS(オープンソースソフトウェア)の概念を組織へと拡大して適用することで効率的なコラボレーションを成し遂げてきたことをハンドブックから読み取ることができます。これからリモート組織を構築することを考える企業にとっても、この考え方が鍵になると筆者は捉えています。
OSSとは、目的を問わずソフトウェアとソースコードを誰でも使用できるライセンスに基づいてリリースされるソフトウェアです。OSSの中にはオープンで透明性のあるプロセスに従って、利害関係のない多くの人たちが協力して開発していくケースがあります。
そういったOSSでは年齢・性別・国籍に関わりなくすべての人が貢献でき、提案の内容が共通目的のために良い提案であれば認められ、新しい変更によって悪い影響が生じればすぐに修正されるというエコシステムが構築されています。
ソフトウェアが良くなるのであれば、たとえ経験が浅い人の提案であってもすべてが認められ、そうでなければ著名な人の提案であっても取り入れられることはありません。
GitLabはこの考え方を組織に適用することで、オールリモート組織の健全性維持とプロダクト・事業の成長を実現しています。組織のルールは「GitLab Handbook」という唯一の情報源に言語化され、判断基準やプロセスはすべてハンドブックに集約されています。
権力を持つ人の思い込みやエゴが優先されることはなく、組織やプロダクト、サービスにとって価値があることであれば国籍・年齢・社歴などにかかわらずあらゆるメンバーの提案が取り入れられ、問題があれば公正なプロセスで修正されるのです。
GitLabではこうした組織を実現するために、組織の意思決定プロセスについて解釈の余地を可能な限り減らすように、まるでプログラミングのように言語化を徹底しています。それに加えて、自分たちの主観で成功や失敗を判断するのではなく、ユーザーの利用状況などの定量的な指標を用いて計測することによって、客観的な判断を保てるようにしているのです。
このようにGitLabにおける組織の意思決定は常にユーザーやチームにとって良いのかという客観的な視点が基準となり、改善され続けていきます。OSSのように公正かつ透明性のあるプロセスでユーザーに向き合ってきたからこそ、世界中のあらゆる価値観を持つメンバーがタイムラインの違いを乗り越え、ユーザーに支持され続けるサービスを開発する組織として成長してきたのです。
また、すべてが言語化され、ロジックが組み立てられ、客観的に測定していることは再現性があることも意味しています。客観性を持って組み立てられてきたものであるため、しっかりと誠実に向き合うことで、誰であっても同様の組織を構築できる可能性を秘めています。
こうした考え方はこれから本書で説明する内容にも一貫している思想であるため、この前提を持って本書を読み進んでいただければ、さまざまな施策の意図を読み取りやすくなるはずです。