不安と焦りのなか、資格取得に迷走した20代
若手に向けて、自身の経験を語ってくれるのは株式会社hokan 開発責任者 小倉隆宏氏。2021年2月に入社、CRE(顧客信頼性エンジニアリング)を立ち上げ、30社ほどの顧客企業の導入支援に従事してきた。2023年5月より開発責任者を担当している。小倉氏にとってhokanは4社目。1社目に13年、2社目に6年勤めたため「社会人としての人格を形成したのは最初の2社」と話す。
小倉氏が就職したのは2000年。バブル崩壊後の不景気の影響で「就職氷河期」と呼ばれ、就職浪人もいた時代だ。ただしIT業界は別だった。インターネットバブルや2000年問題への対応があり、求職は活況だった。そうした後押しがあり、小倉氏もシステム開発会社に入社した。
1社目となるシステム開発会社では、保険や共済のシステム開発・保守案件を多くこなした。入社後に最初に配属されたのは大手損害保険会社で、帳票システム開発などを経験した。また、共済の基幹システム保守開発案件にも従事した。なお、共済は保険と似ているものの、営利目的ではなく、加入できるのは組合員と家族のみで構成されているのが特徴だ。さらに損害保険会社にて、社員代替としてシステム開発会社と要件定義のとりまとめや、社内向けシステムの開発も担当した。
そして1社目の最後には、大規模なシステムリプレイス案件に立ち上げから参画することになった。アサインされた時に小倉氏は10〜15年かかる規模のプロジェクトだったため「先のキャリアを考えた時これでいいのか悩んだことを覚えています」と話す。
仕事はおおよそ順調そうに見えるが、小倉氏の脳裏には焦りや不安もあった。学生時代にプログラミングやシステムを熱心に学んでいたとは言えず、2008年にはリーマンショックによる影響で常駐先の仲間が次々と撤退していく姿も見た。当時はその自覚がなかったものの、いま振り返ると「迷走していた」と小倉氏は言う。そう感じていたのは、がむしゃらに資格取得に励んでいたからだ。
資格を取得すれば少なくとも報奨金が出る。1度きりとはいえ、いい収入になる。小倉氏は「当時の社会情勢から、給料アップやボーナスが不安な時代でしたので、どうしたらいいか焦り、まずはさまざまな資格を取りました」と語った。まずは基本情報技術者、ソフトウェア開発技術者(応用情報技術者)、データベーススペシャリスト、プロジェクトマネージャ、Oracle認定JavaプログラマなどIT技術者向けの資格はもちろん、日商簿記2級、ファイナンシャルプランナー3級など金融系にも手を広げ、さらにTOEICも定期的に受験していた。
さまざまな資格を取りながら業務を行う中で、社内活動にも参加した。小倉氏が所属する会社では多くの社員が派遣先企業に常駐していたため、会社への帰属意識が薄かった。こうした状況を改善すべく、若手社員と経営陣が月次で意見交換する委員会が立ち上がり、小倉氏はここに参加した。自身の体験をもとに経営に提言し、行動に移していた。
なお、1社目では社内・社外の研修受講の機会が豊富にあった。小倉氏は「35歳エンジニア定年説というのがあり、プログラミングだけでは35歳以降生き残れないという話を真に受けていたので、マネジメントやリーダーのための研修も熱心に受講していました」と話す。
1社目の経験を振り返り、小倉氏は「とにかく迷走していました。皆さんも周囲を見て焦ることもあるかと思いますが、恐らくこれは誰もが経験する普通のことです。いろいろ悩むことも経験してください。また資格や研修受講は若い時期がいいと思います。30歳を過ぎると家庭を持ち、子どもを育てる人もいますし、職場で責任ある立場を任されることもあり、自分に使える時間が減ってきます。若いタイミングでキャリアの基盤を固めるために、技術研さんすることはとても大事なことです」と提言する。