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エンジニアの器 ~AI時代に、スキルの先にある成長~

エンジニアが「勝手に育つ時代」は終わった ~エンジニアを育ててきた装置はAIで壊れた~

柳川 慶太[著]


職能・組織・社会、3つの装置が同時に壊れている

 ここまでエンジニアの話をしてきました。でも、これはエンジニアに限った話ではありません。

 タイトルにも書いた「装置」は、人を勝手に育ててきた環境のことです。本人が訓練だと思っていなくても、そこにいるだけで揺さぶられて、支えられて、振り返らずにはいられない環境です。

 そう呼んでみると、見えてくることがあります。装置を持っていたのは、エンジニアの仕事だけではありませんでした。そして壊れつつあるのも、エンジニアの装置だけではありません。

 装置は、大きく分けて3つありました。職能の装置、組織の装置、社会の装置です。この3つが、いま同時に弱っています。

職能の装置

 多くの仕事には、それぞれの「嘘をつかない相手」がいました。

 エンジニアにとってのマシン。職人にとっての素材。料理人にとっての火加減と、お客さんの箸の進み方。営業にとってのお客さん。社内でどれだけ評価されていても、お客さんが買わなければ売れていません。経理にとっての帳尻。合わないものは、合いません。

 ごまかしのきかない相手と向き合い続けることが、職能の装置でした。相手が上司なら言い訳が通ることもありますが、素材にも、火にも、数字にも、言い訳はとおりません。

 この装置が、少しずつ弱っています。理由はエンジニアの場合と同じで、テクノロジーが人と「嘘をつかない相手」のあいだに入るようになったからです。分析ツールがお客さんの反応をまとめてくれます。文章の粗も、企画の穴も、出す前にAIが整えてくれます。生の手応えに触れる前に、整えられた答えが届きます。

 あいだに入ってくれること自体は、悪くありません。おかげで挑戦の回数は増えたし、大けがは減りました。ただ、嘘をつかない相手から直接届いていた「あなたが間違っている」という知らせが、角の取れた形で届くようになりました。角が取れた知らせは、受け流せます。受け流せる知らせでは、人は揺さぶられません。

組織の装置

 ふたつ目は、組織です。

 昔の組織には、意図しない訓練の場がたくさんありました。無茶な仕事を投げてくる上司。突然の異動。炎上したプロジェクト。そして、逃げられない人間関係。長く勤めるのが前提だったので、合わない上司からも、噛み合わない同僚からも、簡単には離れられませんでした。離れられないので、向き合うしかありませんでした。その中で、自分のやり方が通じない体験を嫌というほどしてきました。

 炎上したプロジェクトは、動かないコードと似ています。ごまかしがききません。肩書きも、それまでの評判も、助けてくれません。いまの自分の実力と器が、そのまま出ます。

 美化するつもりはありません。あの装置は乱暴でした。壊れてしまった人もたくさんいました。理不尽な働かせ方を「成長の機会」と言い換えるごまかしも、たしかにありました。だから、この装置がなくなってきたことには、ちゃんとした理由があります。ハラスメントは減らすべきだし、丸投げは直すべきだし、合わない職場から移れる自由は、まちがいなくいいものです。

 ただ、いい変化にも副作用があります。炎上が減って、仕事の量が管理されて、離れる自由ができた結果、「いまの自分では手に負えない体験」に出会う機会そのものが減りました。働きすぎを減らす流れは正しいです。それでも、揺さぶられなければ器は大きくなりません。どちらも本当のことです。

社会の装置

 みっつ目が、いちばん見えにくいものです。社会そのものが持っていた装置です。

 昔の社会では、人生の節目が外からやってきました。成人。就職。結婚。家を継ぐ。地域の役が順番に回ってくる。本人が望むかどうかに関係なく、次の段階が向こうから来て、そのたびに新しい役割を引き受けさせられました。役割が人を作る、とよく言われます。

 選べない人間関係も、装置でした。選べない隣人。切れない親戚。世代も考え方も違う人と、顔を合わせ続ける関係です。町内の役員を押しつけられて、苦手な人と一年付き合わされます。話の通じない親戚と、それでも法事のたびに同じテーブルを囲みます。快適とは言いにくいこの摩擦が、「自分と違う前提を受け入れる器」を、無理やり広げていました。

 この装置もなくなってきました。そしてこれも、多くはいい変化の結果です。結婚するかどうかも、どこに住むかも、誰と付き合うかも、自分で選べるようになりました。選べなかった時代に戻りたい人は、多くないと思います。

 でも選べるということは、向こうからは来ないということでもあります。合わない人とは付き合わなくていいし、自分と違う考え方に触れる機会は望まなければ来ません。快適になった分だけ、器を無理やり広げられる機会が社会から消えていきました。

3つ同時、ということ

 職能の装置、組織の装置、社会の装置。壊れた理由はそれぞれ違います。テクノロジーの進歩、働き方の見直し、個人の自由の広がり。どれも単体で見れば歓迎すべき変化で、悪者がいません。

 ただ、時期が重なりました。

 ひとつが弱っても、残りの装置が人を育てていた時代は長く続きました。職能の装置が弱い仕事に就いても、組織の修羅場が人を鍛えました。組織がゆるくても、地域の役割が人を大人にしました。装置どうしが、お互いの穴を埋めていました。3つが同時に弱ったいま、その埋め合わせが効きません。

 だからこれは、エンジニアだけの問題ではありません。若手の問題でも、特定の業界の問題でもありません。人が勝手に育っていた時代が、静かに終わりつつあるという、時代の問題です。

 「静かに」というところが、やっかいです。装置は音を立てて壊れたわけではありません。スキルはむしろ速く身につくようになったので、数字のうえでは人は育っているように見えます。研修は整っているし、情報はあふれているし、学ぶ機会はかつてないほど豊富にあります。足りなくなったのは学ぶ機会ではなく、揺さぶられる機会です。これは数字に出ません。数字に出ないので、気づかれないまま何年もたちます。

 エンジニアの話から始めたのは、エンジニアの装置が強かったぶん、壊れ方も急だったからです。嘘をつかないマシンを相手にしてきた仕事に、気の利くAIが入りました。変化の落差が大きいので、先にはっきり見えます。エンジニアはほかの仕事より少し早く、この問いに向き合っています。同じ問いが少し遅れて、ほかの仕事にも届きます。

まとめ

 装置があった時代には、勝手に育つ人がいました。

 「あの人は現場で鍛えられた」「修羅場をくぐってきた人は違う」。こういう言い方には、主語がふたつあります。鍛えたのは現場で、くぐらせたのは修羅場です。もちろん、そこで踏みとどまった本人の力はあります。でも、踏みとどまる場所を用意したのは環境でした。

 だから、装置の中で育った人が「自分は努力で育った」と言うとき、半分は正しくて、半分はずれています。努力は本物です。でもその努力は、逃げ場のない環境の中だから出てきた種類の努力でした。この区別がつかないまま「最近の若手は粘りがない」と言ってしまうと、環境の変化を、本人の資質の問題にすり替えてしまいます。粘る場所が用意されていた世代と、粘る場所を自分で作らないといけない世代とでは条件が違います。

 装置が壊れた時代には、勝手には育たなくなります。

 スキルはこれまでより速く増えます。でも器は、放っておいても大きくなりません。揺さぶられる機会も、逃げられない相手も、外から来る節目も、待っていれば届いた時代は終わりました。

 外から来なくなったものは、自分で持つしかありません。自分を育ててくれる環境を自分で選んで、自分で作るということです。

 ただ、ここで「じゃあ苦労を買えばいいのか」と急がないでください。動かないコードの前の夜が器を大きくしたのは、つらかったからではありません。揺さぶりと、支えと、振り返りがそろっていたからです。やみくもに自分を追い込んでも、鍛えられるより先に壊れます。根性論に戻った時点で、この話は台無しになります。

 それに、環境を作る前に知っておきたいことがあります。自分の器が、いまどんな形をしているかです。同じ状況に置かれても、人によって揺さぶられ方はまるで違います。ある人を育てる経験が、別の人を潰すこともあります。自分がどこで踏ん張って、どこから逃げて、何を避け続けてきたのかが見えないまま環境を作っても、得意な種類の苦労を選んで、鍛えたつもりになってしまいます。

 次回は、「成長する」という言葉そのものを分けてみます。できることが増える成長と、見える景色が変わる成長は、別のものです。転職しても同じ壁にぶつかる理由は、たぶんこの違いの中にあります。

問い

 あなたがこれまで「勝手に」育ってきた環境は、何でしたか。その装置は、いまも働いていますか。

次回までに

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この記事の著者

柳川 慶太(ヤナガワ ケイタ)

エンジニア→PdM→事業責任者とキャリアチェンジし、現在は金融事業の責任者として事業戦略・プロダクト戦略・組織戦略の全てを統括。プロダクトで勝負する会社において、事業計画から企画から開発まで全て一貫して進めることの重要性を主張し、自ら実践する。noteでプロダクトマネジメントや事業開発に関する記事を...

※プロフィールは、執筆時点、または直近の記事の寄稿時点での内容です

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