「好き」を分かち合い、事業側と対話しよう
ここまで漆原氏は、事業側/経営側とエンジニア組織の対立構造を説明し、互いの方向性が根底から異なると亀裂が生じてしまうことを明らかにしてきた。それでは、双方が上手に付き合う方法はあるのだろうか。
ここでエンジニアが苦手な、事業側からの圧力について、もう一度振り返ってみよう。事業側の人たちと対話する際に、エンジニアたちがよくしがちな質問として、以下のような例が挙げられる。解決すべき課題は何か。目標数字は何か。事業のKPIは何か。何をしたら評価されるのかといった具合だ。そう実はエンジニアから積極的に外発的な数字を聞いている。事業側はそれを大事にしていると知っているからだ。だが果たして、事業側は本当に数字だけで仕事をしているのだろうか。
そんなことはない。
実はエンジニアが技術のオタクであるように、事業側も自分たちのビジネスのオタクだと、漆原氏は言う。自動車メーカーの人は、エンジン技術について語らせると止まらない。航空会社と仕事すると、整備場に連れて行ってくれて「こんなデカい機体が空を飛ぶんだ」と誇らしげに語ってくれる。小売業の人は、お店の朝の品物の搬入から棚割りまで、楽しそうに話してくれる。物流の人は自社の倉庫の素晴らしさを熱く語ってくれる。自らが携わったプロジェクトの経験を振り返りながら、事業側の人々がいかに自分のビジネスを愛しているか思い知ったと、漆原氏は熱く語る。言い換えれば、事業側を駆り立てているのも、また内発的動機なのだ。
だからエンジニアは事業側に、こう尋ねてほしいと、漆原氏は勧める。
「このビジネスがどれほど好きですか?」
「この仕事ってどれだけ凄いですか?」
「誰にも負けないこだわりは何ですか?」
「皆さんの夢は何ですか?」
売り上げやお金といった数字だけで事業側と対話しても、なかなか「楽しい」と思える部分は共有できない。しかし、お互いに内発的動機を曝け出せば、「ビジネスが好き」「人が好き」といった思いを共有することができる。オタク同士は分かりあえるのだ。これを漆原氏は「『推し』が尊い」というネットミームで表現する。
「世の中にはすごいビジネスがたくさんあって、その根幹には、情熱を持った素晴らしい人たちがいます。そんな人たちから『君たちの技術でなんとかしてほしい』と頼まれたら、頑張りたくなりますよね。だからこそ、貨幣価値に換算できない、情熱的な魂の話を、真剣に語り合ってください」(漆原氏)
お金で買えない文化とチームにこそ、組織は投資すべき
最後に語ったのは経営側の視点だ。経営者の大事な仕事に、企業の付加価値配分の決定がある。例えば、人件費、販売管理費、R&Dや設備投資など、何にどれくらいお金を配分するか決める。さらに会社の利益から、株主にどのぐらい配当するかを決める。この価値配分の優先度と、現場の価値観が合わないと、主観的Well-beingが下がってしまう。ただ実は経営側にも、現場からは見えない、さまざまなステークホルダーからの圧力があるのだ、という。特に株主や一般投資家だ。
日本経済を評して、失われた30年間という人がいる。あるいは成長が鈍化した成熟経済と評する人もいる。確かに1990年以降、給与や企業の売上は横ばい傾向にあった。ところが、この間突出して伸び続けたのが、株主還元だ。特に1990年代後半に始まった証券・会計ビッグバン以降、株主還元は伸び続けている。市場の急成長が見込めない以上、成熟経済の下で投資家が求めるのは株主還元だからだ。こうして経営側は、資本市場のプレッシャーに押し潰されそうになりながら、社員の給与や売り上げが横ばいの中、株主還元を増やし続けてきたのだと、漆原氏は言う。
しかし、このような資本市場での経営のあり方は正しいのだろうか。もちろん資本市場への価値還元はとても重要だし必要不可欠だ。しかし将来に渡って価値を生む本当の源泉は、経営陣や現場組織の内発的な動機であり、主観的Well-beingではないだろうか。そのような「お金で買えない組織文化とエンジニアチーム」にこそ、もっと優先的かつ徹底的に投資するべきではないかと、漆原氏は強く訴える。
「資本市場としっかり対話しつつ、人的資本にこそ思い切って投資する。これこそがこれからのデジタル時代に不可欠なエンジニア組織経営だと思います」(漆原氏)
最後に漆原氏は、これからのエンジニア組織経営に必要なポイントを、以下の3点にまとめた。まず現場が夢中になれる環境づくりを優先すること。数字だけではない事業側の内発的動機を理解し、情熱で通じ合える関係性を築くこと。そして最後に、資本市場としっかり対話しつつやりがいと良い仲間に積極的に投資することだ。
「私たちは今日も幸せに、イケてる仲間とコードを書きます!」と宣言して、漆原氏は講演を終えた。