初の試みに困難続出、初代プリウスの開発環境とは?
──昔のビデオを見ることでどんなことが分かると期待していましたか?
南野:我々はハードウェア中心の製造業という認識でしたが、そのDNAのなかにアジャイルのフレームワークであるスクラムの要素があると知った時はすごく驚きました。最初は、どこがどう結びついているのか知りたいという好奇心がありました。
川口:ビデオは社外秘なので、全員、守秘義務契約をさせていただいたうえで実施しました。社員が見れば過去の活動記録で「こんなにすごい人がいたんだね」で終わるかもしれませんが、アジャイル視点で「ここがすごい!」というところを発見し、整理すれば、これからのトヨタやアジャイルにとって有益な資料になると思いました。最終的に南野さんが分析結果をまとめてくれました。
──初代プリウスといえば「21世紀に間に合いました」が有名なキャッチコピーでした。当時は、どんな時代でしたか?
竹内:世界初の量産ハイブリッド車である初代プリウスの発売は、1997年。Windows 95登場を機に、電子メールが使われるようになったころです。自動車製造ではMATLAB Simulinkを使い、車両ハードモデルとエンジン・モーター・ブレーキ・バッテリー協調制御モデルが結合され、車両全体モデルでの技術検討が行われたことが画期的でした。
振り返れば、社内には熱血社員もいて、コミュニケーションはキャッチボールというよりはドッジボールでした。「図面と試作品で寸法が違うじゃないか!」「量産設備で作ったらモーター効率が出ないぞ!」「こんなの作れるか!自分でやってみろ!」とマッチョな会話が飛び交うこともありました。心理的安全性が、現在とはずいぶん違いました。
南野:従来のクルマ開発は、何度も試作を繰り返すなかで、ハードとソフトの両面で改善を重ねていきます。同じエンジンであればノウハウがかなり蓄積されていますが、初のハイブリッド車となるとゼロスタートです。当初は走行中にエンジンを止めない計画でしたが、燃費が足りず止めることになり苦労したようです。
──開発においてどんなところが困難だったのでしょうか?
南野:普通エンジンは、かけたらずっとかけ続けるものです。今だとアイドリングストップは当然かもしれませんが、エンジニアリング的には「エンジンを止めるなんて効率悪い。ナンセンスだ」という感覚でした。なぜならエンジンは回転し続けている間はオイルが潤滑されて摩耗しませんが、止めてしまうと摩耗が進んでしまいます。
そのため、エンジンを止めるという決断は大きな影響がありました。ハイブリッド車ではエンジンとモーターのバランスを考えて動力に変えていかなくてはなりません。ソフトウェア制御も含め、我々の制御技術からすると格段にハードルが高く、従来の何倍、何十倍もの試行錯誤が必要とされるなか、短期間で開発する必要がありました。
竹内:こうした状況を打開するためにシミュレーションが重要になりました。当時はまだモデルベース開発適用の黎明期でした。最新ツールを活用してアジャイル開発をしていかないと、ちゃんとしたクルマが作れませんでした。
──当時の開発環境というのはどのようなものだったのでしょうか?
竹内:情報共有のためにメーリングリストを採用するのも初めての試みでした。関係者全員が発信できて、スムーズな情報共有が可能となりました。古代のグループチャットですね。印象的だったのは、例えば「試作検討過程で、この部品にこういう力が入って壊れました」といった技術的課題に遭遇した時、シミュレーションを使うことで「この制御の定数をこう変えれば許容レベルに低減できる」など対策を立てることができます。こういうことができるようになった先駆けでした。
川口:MATLABは数値解析できるパッケージで、走行状態を仮想空間でシミュレーションできます。現在の3Dの流体シミュレーターと比べるとかなり原始的でシンプルですが、数理的に解析結果を出していきます。当時はどのパラメーターを選ぶか、その選択が重要で匠の技でした。巨大な連立方程式を作るようなイメージですね。