越境とキャッチアップが拓く可能性
ここで話題は、プロダクトエンジニアに求められる資質の1つである「越境とキャッチアップ」へと移った。丹羽氏はこのコンピテンシーについて、「単なる知識の拡張ではなく、明確な目的意識を持った越境が重要だ」と語る。
越境の目的は2つに整理できる。1つ目は、他職種とのコラボレーションを円滑に進めること。たとえばプロダクトマネージャーがデータベースの仕組みを理解していれば、エンジニアとの議論は飛躍的に進めやすくなる。共通言語があるだけで、議論の質と速度が大きく変わる。
2つ目は、「技術との掛け算」によって発想の幅を広げること。たとえば、画面の読み込みが遅いという課題に対して、アプリケーション性能を無理に改善しようとするのではなく、ローディング画面の設計でユーザー体験を向上させるといった工夫ができる。こうした柔軟な発想は、複数領域をまたぐ視点からこそ生まれる。
では、三領域(テクノロジー・UX・ビジネス)をまたいで学ぶには、どのようなアプローチがあるのか。丹羽氏は以下のような実践的キャッチアップ方法を紹介した。
まず「デザイン」領域では、一般に“センス”に依存すると捉えられがちだが、丹羽氏は「デザインはロジックで語れるもの」だと強調する。視認性や可読性、UIの統一感を高めるには、タイポグラフィやスペーシングなどの基本設計を押さえることが重要だという。さらに、オブジェクト指向UI(OOUI)や「Fパターン」「Zパターン」といった視線誘導の理論、情報アーキテクチャに関する知識も、直感的かつ実用性の高いUI設計につながる。

次に「プロダクトマネジメント」領域では、意思決定の背景にあるプロセスを理解することが肝心だ。たとえば、ロードマップの策定は単なる結果ではなく、「どのような議論の末にその方針になったのか」に着目すべきだという。ユーザーリサーチやMVP設計の現場に立ち会うほか、カスタマーサクセスと対話しながら業務フローを理解することも、視座を高めるきっかけになる。

「ビジネス」領域では、まず自社プロダクトがSaaS型かプラットフォーム型かといったビジネスモデルの理解が基本となる。加えて、事業戦略やビジョンの把握も欠かせない。KPIについても、指標が多すぎると捉えがちだが、実際は3つ程度に絞られて語られることが多い。まずはそこを押さえるだけでも、ビジネスチームとの連携がスムーズになる。また、業界構造や市場動向を把握しておくことで、プロダクトの位置付けや方向性がつかみやすくなる。

加えて紹介されたのが、「課題へのオーナーシップ」というコンピテンシーを支えるシステム思考の重要性だ。プロダクトは、ユーザー・ビジネス・技術の関係性が絡み合う「システム」であり、部分最適ではなく全体最適の視点が求められる。
丹羽氏は、システム思考を「複雑な構造をまるごと捉える思考法」と位置づけ、その実践的な着眼点として2つを挙げる。1つは、少ない労力で大きな変化を生む「レバレッジポイント」を見極める力。もう1つは、短期的な利益と長期的な成長のバランスを捉える時間軸の意識である。
ロジックだけでは捉えきれない因果の連鎖を想像し、全体像を描く──こうした視点を持つことが、プロダクトの質を根底から支えるのだ。
アセンドの挑戦とそのアーキテクチャ
そんな丹羽氏がCTOを務めるアセンドでは、プロダクトエンジニアリングの思想を組織全体に実装し、実践へと昇華させている。その代表例が、トラック運送業向けの業務SaaS「ロジックス」だ。
物流の逼迫が深刻化するなか、同社は「物流の真価を開き、あらゆる産業を支える」というミッションを掲げ、労務・会計・配車など複数のドメインをカバーするプロダクト群を同時並行で開発している。
開発体制においては、プロダクトマネージャーのリソースが限られるなかで、プロダクトエンジニアがマネジメント領域まで越境。PdMは市場と顧客課題の俯瞰、ミッションの策定を担い、PdEは仕様と品質の担保、チーム育成を担うという役割分担のもと、開発力の最大化を図っている。

この組織の基盤には、「オーナーシップ・ドメイン理解・検証スピード」の3要素を支えるアーキテクチャがある。たとえば現場訪問や、メンバー自身による仕様策定によってオーナーシップを醸成。TypeScriptによる言語統一や、Slackから15分でリリースできるChatOps(チャット上のコマンド操作によって開発・運用のプロセスを自動化する手法)の導入により、「自ら設計したものを、自らの手で顧客に届ける」実感を持てる環境を整備している。
顧客理解の面では、商談録画やSlackの顧客チャンネルを通じて、エンジニアが日常的に顧客の声に触れられる体制を整備。さらにSlack上の「ご要望チャンネル」では、投稿からわずか30分で実装・リリースに至ることもあり、必要に応じてフィーチャーフラッグで迅速に巻き戻すことも可能だ。
こうした多面的な取り組みを、システム思考的に積み重ねることで、アセンドは組織のカルチャーを醸成し、「開発チームそのものをアーキテクチャとして設計する」という、先進的な開発体制を築き上げている。
目指すのは、毎日価値を届け、毎日学び、毎日プロダクトを磨いていくチーム。その思想は、すでにプロダクトと組織の隅々に息づいている。
「エンジニアは社会を豊かにできる仕事。ともに志を持ち、プロダクトを社会に実装していきましょう」。その言葉には、未来をつくる力が込められていた。